Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

タクテクス誌No.4やNo.7を読んでふと思ったこと

 ホビージャパンの隔月刊『タクテクス』誌のNo.4(1982/7-8)の冒頭に「ウォーゲームが怖くなってきた」という投稿があった、とある。「ゲームは人間をコマとして扱い、ために戦争や兵器の悲惨さに鈍感な人間を生むのでは」ということだそうだ。また、同じく『タクテクス』誌のNo.7(1983/1-2)の「読者のページ」には、市の青少年会館がゲーム・クラブに会場の貸し出しをしなくなった、という投稿があった。理由の一つに「戦争をゲーム、つまり遊びにしているから」というのだそうだ。これが「青少年の健全育成にそぐわない」から会場貸し出しをとりやめる、というのだ。

 確かに、「あの頃、そういう雰囲気あったなぁ」と思い出した。戦争体験者が多数存命だったし、親の世代は兵士としては参加していなくても空襲受けたり、疎開したりしていて、戦争を体験していた世代だった。

 あれから約40年経ち、戦争を体験していた世代が減った現在は、どうなのだろうか?

 半藤一利氏が40年周期説を『そして、メディアは日本を戦争に導いた』(東洋経済新報社)(2013/10/24)で言っていた。確かに40年経つと社会の中心世代が替わり、社会全体の考え方が変わってくる。シミュレーション・ゲーム、特にウォー・ゲームを取り巻く環境も変わってきたのだろうか・・・