Strategy & Tactics 第77号の付録ゲーム『奇襲空挺部隊』(Paratroop)は3個の空挺作戦ゲームがついたお買い得なものだ。後にSPI社からボックス版が発売され日本でも販売された。短時間で空挺作戦の雰囲気が味わえる傑作ゲームだ。
今回は、その中の一つである『クレタ』(Crete)のバトル・レポート(AAR)第2弾だ。
【1】連合軍初期配置
連合軍の初期配置は、ドイツ軍の降下を防ぐために勝利ポイントのある空港とSuda市周囲を固めた形だ。
【2】1941年5月20日(第1ターン)
ドイツ軍は東部は第2連隊が、中部は第1連隊が、西部は降下突撃連隊が降下した。第3連隊は予備として第1ターンには降下しないこととした。ドイツ軍は部隊を失うことなく無事降下できたが、目標の空港まで遠い。
英軍が早速、第2連隊第1大隊に集中攻撃をかけ、壊滅させた。
【3】1941年5月21日(第2ターン)
ドイツ軍は中部に残った第3連隊を降下させ、レティムノン空港の奪取を狙う。
西部では、降下突撃連隊とニュージーランド軍が激戦を繰り広げた。
オーストラリア軍は損害を出しながらもドイツ軍と激しく戦う。英軍は東部でドイツ軍第2連隊を包囲しながら各個撃破を狙う。
【4】1941年5月22日(第3ターン)
中部のドイツ軍第3連隊は2個大隊を失いながらも、レティムノン空港に攻撃を続ける。
西部のマルメ空港周辺の戦いでも、ドイツ軍は降下突撃連隊の1個大隊を失いながらも、ニュージーランド軍を少しづつ壊滅させてゆく。
【5】1941年5月23日(第4ターン)
中部では第3連隊第3大隊がオーストラリア軍に包囲された。東部では、英軍がドイツ軍を押してゆく。
西部のマルメ空港近くでは降下突撃連隊とニュージーランド軍が激闘を続けていた。Ju-88とHe-111の空襲もあり、とうとうマルメ空港をドイツ軍が占領した。すぐ南の高地にニュージーランド軍第22旅団が残っているが、山岳猟兵連隊が翌日からグライダーで着陸できる態勢が整った。
【6】1941年5月24日(第5ターン)
東部はドイツ軍はあと1大隊まで戦力を減らしてしまった。この大隊は、英軍が中部へ移動しないよう、玉砕覚悟で、英軍を引きつけることとした。中部では、ドイツ軍がレティムノン空港に西から迫っている。東では包囲されていて予断を許さない状態だ。
西部は、山岳猟兵と降下突撃連隊で、残ったニュージーランド軍を掃討する。
ついに東部ではドイツ軍第2連隊が全滅した。英軍はドイツ軍が東部に入れないようにブロックする態勢だ。
【7】1941年5月25日(第6ターン)
ドイツ軍はオーストラリア軍を逃がさないように中部で包囲殲滅しようとする。
西部では、Sudaを目指してドイツ軍が突進する。Sudaを守るのは弱小なギリシャ軍だ。
【8】1941年5月26日(第7ターン)
英軍は中部に動けない。ドイツ軍も東部に動けない。あとは西部でギリシャ軍が、中部でオーストラリア軍が各個撃破されるのは確実だ。そしてオーストラリア軍は全滅した。
【9】1941年5月27日(第8ターン)
ドイツ軍は英軍を東部から出られないようにし、西部でギリシャ軍を包囲するために西部の地図へ移動する。
Suda市は風前の灯火だ。
【10】1941年5月28日(第9ターン)
Suda市では最後の戦いが始まった。戦力の乏しいギリシャ軍にとっては絶望的な戦いだ。そして、ギリシャ軍は玉砕した。
【10】戦い終わって・・・
ドイツ軍も英軍も隣の地図へ移動できなくなったので、ここでゲームは終了。ドイツ軍の決定的勝利だ。
ドイツ軍は13降下大隊中、6個大隊の損害。何と46.2%の損耗率だ。山岳猟兵も12個大隊中5個大隊の損失。41.7%の損失だ。
一方、連合軍は、英軍以外は全滅した。英軍は全軍無事にクレタ島を脱出した。英軍だけ脱出したとして、後に外交問題になった。
ドイツ軍は、史実以上の損害を出してしまった。ヒトラーは史実どおり二度と大規模な空挺作戦は実施しないだろう。マルタ島への攻撃もしないだろう。
連合軍の成功した点は初期配置だろう。ドイツ軍は連合軍ユニット上に降下することを避けたため空港まで遠くなってしまい、山岳猟兵の着陸が遅くなった。リスクはあるが連合軍ユニット上に降下を試みてもよかったかもしれない。
連合軍の失敗は、東部で優勢になった5月24日(第5ターン)に1部隊でも2部隊でも中部に増援に行かなかったことだろう。逆にドイツ軍はこの時にとった遅滞戦術がうまく行ったと言えるだろう。