復活『タクテクス』(TACTICS)の『光秀戦記』3個目のゲームは、『本能寺の変』(以下本ゲーム)だ。
『山崎決戦』と『黒井城撤退戦』がほぼ同じルール、ゲームスケールなのに対し、本ゲームは、全く別のルール、ゲームスケールだ。
ヘクスではなくエリアだし、戦闘結果表を使わずサイコロを振り6が出たらさらにサイコロを振って影響を決める。
初期配置
第1ターン
本能寺を大兵力で囲んだ明智軍は本能寺に侵入する。
明智軍は、庭は5ユニットまで。建物内は2ユニットまでなので、このターンは庭に侵入するまでだ。
第2ターン
いよいよ建物に明智軍が侵入する。
厩で織田軍伴正林討ち死に
御台所で織田軍女房衆討ち死に。女房衆については選択ルールを採用した。
この場合討ち死にではなく、女房衆かどうか確認し寺の外に逃がしたため、ゲーム上除去した、という方が正解だろう。
大広間で織田軍平尾久助討ち死に。
御台所で女房衆除去。
控えの間で織田軍薄田与五郎討ち死に。
第3ターン
廊下エリアに織田軍がいないことに気づき、明智軍1ユニットが廊下に移動した。この細くて小さいエリアがとても重要だった。納戸エリアに行くためにはここを通らないと行けないからだ。織田軍としてはこの見落としは大きかった。
御堂で柏原鍋丸討ち死に。女房衆除去。
厩で明智軍足軽壊滅。
客殿で明智軍足軽壊滅
大広間で一運斎針阿弥討ち死に。
奥書院で織田軍高橋虎松、落合小八郎討ち死に。
明智軍8ユニット、織田軍13ユニット壊滅。
明智軍残り44ユニット、織田軍残り23ユニット。
客殿で織田軍金森義入討ち死に。
廊下で織田軍柏原弟、大塚又一郎討ち死に。
御台所で女房衆除去。
奥書院で森力丸討ち死に。
「信長は寝所にいるぞ~!!」包囲する。明智軍のどこからともなく声が聞こえてきた。とこのセリフを書いた時に、当時、信長は明智軍に何と呼ばれていたのだろうか?
「上様」?「殿」?
これから殺す相手に尊敬語を使っただろうか?
「右大将殿」「右府殿」?
普通なら役職名だろうが、これから殺す相手に普段使っている呼び名を使うだろうか?
「信長」?
普段から名は呼ばないのが当時の常識だろうから、これもないだろう。
では何と呼んだのだろう?
小説家や漫画家なら悩むだろうなぁ。
そもそも光秀はこの戦いについて部下に何と命令したのだろうか?
「敵は本能寺にあり」と言ったのは有名だが本当だろうか?それだけでは部下は従わないだろう。「敵は本能寺にあり。信長の首級を上げろ!」と言ったのだろうか?
だが、足軽衆は「え?なぜ上様の首を?」と思うだろう。
何かの本で「家康を討つと聞いていた」と当時の人が語ったという話を読んだ記憶があるから、「本能寺にいる侍を討て」とでも言ったのだろうか?
「信長を討て」と言ったら、明智軍の足軽でも疑問を持って逃亡する者もいただろうから、「家康を討て」と言って襲った可能性が高い。
小説家や漫画家なら悩むだろうなぁ。
明智軍10ユニット、織田軍19ユニット壊滅。
明智軍残り42ユニット、織田軍残り17ユニット。
第4ターン
これで下天モードになれない。このゲームでは下天モードにならないと信長が単に討ち取られて明智軍の勝利となってしまう。
客殿で小倉松寿討ち死に。
厩で村田吉五、伴太郎左衛門討ち死に。
客殿で久々利亀討ち死に。
奥書院で森蘭丸討ち死に。
廊下で武田喜太郎討ち死に。
あちこちで次々と織田軍が討ち死にしていく。
客殿で飯河宮松討ち死に。
明智軍11ユニット、織田軍26ユニット壊滅。
明智軍残り41ユニット、織田軍残り10ユニット。
第5ターン
北庭で矢代勝介討ち死に。
廊下で織田信長に矢が命中!!
信長討ち死に~!!
「織田信長を我が矢で討ち取ったり~!!」その声を聞いた光秀は「でかしたぞ!!」
光秀は信長の首級を上げ、堂々と京の都にさらしたのだった。
明智軍の戦略的勝利!!
明智軍11ユニット、織田軍28ユニット壊滅。
明智軍残り41ユニット、織田軍残り8ユニット。
感想
AH『英独大西洋の戦い』(War at Sea)や『太平洋の覇者』(Victory in the Pacific)のようなエリア制、サイコロで6が出ると命中し、命中したらサイコロもう一度振ってユニットの戦闘力より大きい目が出たら除去する。
今回のプレイで小さなエリアだが、廊下が重要なエリアだとわかった。
信長をどこに移動させるかが大きなカギになる。
信長が生存する可能性は極めて低いゲームだが、なかなか面白いゲームだ。
火災マーカーで出火した火災が延焼するルールや、信長が弓矢を持って戦い、槍を持って戦うシーンを再現するルールがあるともっとドラマチックでいいゲームになったと思う。
もう一度やってみたい。