Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

「シミュレーションゲームと歴史」 雑感

 昔の『タクテクス』誌の読者コーナーで、「シミュレーションゲームと歴史」の議論が活発だった。(※)

 

 それは、「戦争をゲームにして楽しんでいる後ろめたさを、隠そうとしているにすぎない。」と断じる人達に対して反論したいからだろう。『タクテクス』誌第41号の松本直樹氏の投稿中に登場する歴史研究者の一人が代表例だが、当時はまだ戦争経験者が多く生き残っていたし、親世代も戦争には行かないまでも、空襲や疎開を経験している世代だったから、そういう意見は多かった。
 そういう意見に対して、「シミュレーションゲームをプレイすることは、歴史研究に役立つ。」と反論したい人達がいたのだ。
 今、改めてこの議論を読んでみると、きっと今の私の子ども世代くらいの年齢だろうが、皆さんの文章力に驚くばかりだ。
 
 今の私の視点で、シミュレーションゲームと歴史について、私見を書いておく。
 
 シミュレーションゲームをプレイする目的は何だろうか?いろいろな目的で楽しむ人がいると思うが、概ね次のようなものだろう。
 1)歴史の再現
 2)歴史の追体験
 3)歴史的事実の再発見
 4)歴史的選択肢(What if ?)の確認
 5)ゲーム上の勝利
 
一つ一つ見ていく。

 1)歴史の再現
 シミュレーションゲームで歴史を再現できるか?答えは「無理」だ。
 なぜなら歴史のほとんどは不完全な形でしか残っていないからだ。特に戦いの歴史は。
 シミュレーションゲームの趣味を再開させてから、盤上で戦況図を再現してみようとしたことがある。すると、いつどこにどの部隊がいたかわかれば、どのターンにどのヘクスにどのユニットを置けばいいかわかるはずだ。しかし、戦いが始まる前の戦闘序列はわかっても、各ターンごとにどの部隊がどこにいたかは、戦況図を見ても、戦記を読んでも、細かいところまでは記述がなくわからないので、並べようがないのだ。将棋の棋譜のように一手ごとに局面を再現できず、せいぜい、あるターンにこのユニットがこの辺にいたかもしれない、程度しかわからないのだ。
 命のやりとりをしているときに、後の歴史家のために厳密な位置情報や部隊の情報を残すことなど不可能なのだし、ましてや負けた側は記録を残すよりも命からがら脱出するのが精一杯だろう。
 
 2)歴史の追体験
 シミュレーションゲームをプレイすることでタイムスリップして歴史を追体験するのが目的の人もいるだろう。答は、雰囲気は体験できるかも知れないが、完全な追体験は「無理」だ。
 後世の私達は、歴史を知っているからだ。ミッドウェー海戦のゲームをプレイする私達は、米軍戦闘序列に空母が3隻いることを知っているが、ミッドウェー海戦参加時の日本軍将兵は、「敵空母は来ない」と思っていたのだから、スタート地点で既に、彼らの体験とは異なっている。
 また、シミュレーションゲームでは、気温や湿度は再現できないから、ガダルカナル島で戦った将兵がいかに暑さや病気や虫や飢えに悩まされたか、スターリングラードで戦った人達がどのくらいの寒さに震えていたかは、冷暖房の効いた部屋でお腹いっぱい食べたり飲んだりしながらプレイしている以上、絶対に追体験不可能だ。
 この目的のために、論文や小説を読んだり、映画を見ることもできる。VRの世界に没入することもできる。それぞれ一長一短があるが、五感全部を使って完璧に追体験できる技術は現在の所ない。ごく一部でも歴史的な体験を共有することはできることは確かだが、戦記や小説や映画と大差ないと思う。かつての「シミュレーションゲームと歴史」の議論は、歴史論文>戦記や小説>シミュレーションゲームではない、と主張しようと試みていたのだと思う。
 
 3)歴史的事実の再発見
 部分的には可能だが、完全には不可能だ。
 ゲームデザイナーが歴史の中から取捨選択してゲームデザインしている。そのため、デザイナーが取り上げた歴史的事実に限り、プレイヤーは再発見できるだろうが、デザイナーが捨てた歴史的事実をプレイヤーが発見することは不可能だ。デザイナーすら意図していなかったことを発見することはあるかもしれないが、それはごく稀だろう。
 
 4)歴史的選択肢(What if ?)の確認
 これも部分的には可能だが、完全には無理だ。
 ゲームデザイナーが歴史の中から取捨選択してゲームデザインしているからだ。また、プレイヤーは歴史的事実をお互いに知っているからだ。
 しかし、この部分に関しては、論文のような他の方法よりも、シミュレーションゲームに、ある前提を置いてではあるが可能性がある。しかし、この部分に関しては、ボードゲームではなくソフトウェアやAIを利用することでより緻密に発展してきている。
 
 5)ゲーム上の勝利
 そのゲームに設定された勝利条件を全うし、対戦相手に勝利することを目的にプレイする人は多いと思う。あるいは、担当した軍について、史実以上の勝利を目指すことで、過去の歴史的人物に対する勝利を目指すのもあるだろう。
 勝利だけを目的にして、ルール違反をするのはもってのほかだと思うが、ゲームである以上、勝利を目指すのは当然だろう。
 

 歴史研究の方法としては、現地調査や一次史料を調査したり、聞き取り調査をしたり、論文を読んだり書いたりするなどの方法がある。歴史に触れるための方法としては、博物館に行ったり、戦記を読んだり、映画を見たりする方法もある。どの方法にも、それぞれ一長一短があり、限界があり、完璧なものはない。


 あまり固いことは考えず、シミュレーションゲームも歴史に触れる手段の一つだと思って、当時の人達が何を考え、迷い、決断したか、の一端を共有すればいいのではいいと思う。

 

(※)

『タクテクス』35号で山崎雅弘氏のお便り

36号での時田進氏の論 

38号の松本直極氏(38号では「直極」表記だが、他の号では「直樹」表記)による時田氏への反論

40号で山村右近氏による松本氏への反論

41号で山崎雅弘氏の書物も写真も絵画もゲームと変わらない、という意見に対して、本号では戸島毅氏が反論