Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

『歴史群像』No.178(ワン・パブリッシング)(2023/04)を読んでみた(その1)


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この号は読み応えがあった。

 

もくじはこちら


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P2 未公開写真発見!開戦間もない柱島泊地と就役直後の戦艦『大和』

ページを開いていきなり驚いた。

当時の最重要軍事機密であろう聯合艦隊の集結地である柱島の写真だ。

各艦の様子はシルエットがわかる程度だがこれは貴重な写真だ。

 

p.10 最強の城を考える 西股総生

どの格闘技が最強か、とか、どの戦闘機が最強か、どの戦艦が最強か、どの戦車が最強か、などランキングものはみんな大好きだが、これは城版の最強ランキングだ。

いろいろな基準で選んでいるが、この手のランキングは一つのエンターテインメントとして楽しむものだ。

 

p.33 海上護衛戦 長南政義

大東亜戦争の日本軍の敗北の原因はアメリカ軍潜水艦による通商破壊戦であることは間違いない。大井篤氏の『海上護衛戦』の影響による通説では、日本軍は海上護衛戦を兵力を「ほったらかし」にしたからといわれるがそれは正しいか?を論証している。

 

日本海軍は海上護衛戦が必要になることはわかっていたが戦間期の予算不足と艦隊決戦を第一義とする考え方により、整備が進まなかった。

 

長南氏は、日本の海上護衛戦の敗因を次の4点にまとめている。

1 平時の準備不足 予算不足はあったが人事の改善、教育訓練の拡充、研究実施などの対策はとれたはずだ。

2 将来戦の予測・洞察の失敗 レーダーやソナーなど潜水艦戦対策が後手に回った。

3 戦争指導・作戦指導の拙劣さ 戦域をソロモン諸島ニューギニアまで広げなければ輸送船不足に陥らなかった。

4 戦争中に状況の本質や戦訓を読み誤った。

 

特に1はその通りだと思う。

日本海軍は海上護衛戦については、予算がないので思考停止してしまっていた。本来なら、相手が潜水艦による通商破壊戦を仕掛けてきたら我が方はどうするか、を検討・研究しておくべきだ。

 

p.66 戦間期ヨーロッパ海軍 巡洋艦建造狂騒時代 宮永忠将

戦間期の英仏伊を中心とした巡洋艦建造競争をまとめた記事だ。日本海軍も条約型巡洋艦の建造にいろいろ苦労したが、各国も同様に苦労していたことがよくわかる。

 

p.82 近代兵器製造史の断面 日本兵器に部品互換性はあったか? 工業生産品精度についての一考察 古峰文三

よく日本兵器は互換性がなく隣の人と部品の交換ができなかったと言われてきたが、それが誤りであることを論証している。

互換性については日本も認識しており努力もしていたが、完全に手仕事を排除までは至ってなかった。ただそれはアメリカ以外の各国も同様だった。

その時代に当然だったことは紙に残さないので伝わらないものだ。ましてや互換性のような地味なものはそうだ。そうして間違った常識が歴史として定着していく。この記事を読んでそう思った。

 

p.101 日本を追い詰めたアメリカ海軍潜水艦の戦い 神野秀雄

アメリカの潜水艦博物館として保存されているバラオ級潜水艦『ボウフィン』の写真とアメリカ海軍潜水艦に関する記事だ。

グラフA アメリカ軍による兵器別・日本商船および海軍艦艇撃沈数、グラフB 連合国軍による日本商船撃沈総トン数の推移(月別)はデータとして保管しておきたい。

『ボウフィン』の昼夜の比較写真があるが、夜間の潜水艦がいかに見つけにくいかよくわかる。

『ボウフィン』は訪れたことがあるが大男揃いのアメリカ人があの狭い艦内で戦っていたとは敵ながら大変だったろう、と思った。