Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

【参考文献】大日本帝国の謎検証委員会『最新研究でここまでわかった 太平洋戦争 通説のウソ』彩図社 (2024/08/08)

 

 


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もくじは以下のとおりだ。


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太平洋戦争の通説と真相を、33個とりあげて併記して簡単に説明している。

 

01 日本軍はアメリカ本土を攻撃できなかったというのはウソ

アメリカの被害は日本への空襲と比べると比較にならないくらい少なかったが、日本軍が潜水艦や風船爆弾アメリカ本土を攻撃している。

感想:確かにそうだが、規模が比較にならない。

 

02 太平洋戦争の始まりは真珠湾攻撃だったというのはウソ

真珠湾攻撃に先んじてマレー半島攻撃が実行された。

感想:最近の歴史の教科書にこの記載がある。

 

03 ミッドウェー海戦の敗北がターニングポイントというのはウソ

ミッドウェー海戦直後の日本軍の保有空母は9隻(「翔鶴」「瑞鶴」「隼鷹」「飛鷹」「龍驤」「瑞鳳」「鳳翔」「大鷹」「雲鷹」)、艦載機250機。対する米軍は何とか4隻(エンタープライズ」「ワスプ」「ホーネット」「サラトガ」、艦載機330機。

真のターニングポイントはガダルカナル攻防戦だ。

感想:私個人は前からそう思っていた。

 

04 レイテ沖海戦は栗田ターンがなければ勝てたというのはウソ

米軍が戦艦6、重巡4、軽巡4、駆逐艦27に対して、日本軍は戦艦4、重巡2、軽巡2、駆逐艦8の上、日本軍は疲労困憊していたから、栗田ターンがなくても勝てなかっただろう。

感想:私も前からそう思っていた。ウォーゲームとしてプレイして検証してみたいテーマだ。

 

05 日本軍は兵站を軽視していたというのはウソ

日本軍は陸軍では兵站総監部、海軍では海軍参謀部(後の軍令部)第2部が兵站を担当しており、しっかりとした組織だった。マレー半島攻略作戦では、兵站システムがいかんなく発揮された。

戦況の悪化とともに兵站システムが疲弊していった。

感想:これも私は前からそう思っていた。

 

06 日本軍は情報技術がなかったのいうのはウソ

通信傍受や暗号解読技術については高い能力があったが、情報を活用するための仕組みが国家として整備されることがなかった。

感想:技術はあったが活用する組織や仕組みがなかったというのは本当だろう。米国外務省が使っていたストリップ暗号も解読できていたのは意外だ。

 

07 日本軍はソ連軍に負け続きだったというのはウソ

虎頭要塞とハイラル要塞、北方諸島の戦いでは、けっして負けていなかった。ソ連侵攻による戦死者は日本軍約8万人、ソ連軍は平均5000から6000人。

また日本がソ連参戦の情報を数ヶ月前につかんでいた。

1945年5月24日、スウェーデン大使館の小野寺信(まこと)駐在武官が日本に電報を送っていたのだ。外務省もケーニヒスベルクの日本領事館からソ連が対日攻勢をかける報告書を送っていた。

感想:見出しのタイトルは、少し言い過ぎだろう。確かに一部では奮戦したが、全体として見ると、やはり負け続きと言っていいだろう。

それにしても、ソ連侵攻がわかっていながら、ソ連に連合軍との仲介を頼もうとしていたのは驚きだ。

 

08 日本はアメリカの原爆投下を知らなかったというのはウソ

東機関(TO機関)という諜報組織が、アメリカの原爆開発情報を入手していたという。また陸軍特殊情報部が、B29が使うコールサインにV600番台が追加されたことから何か特別なことが準備されていることに気づいていた。

わかっていたが、陸海軍は何も対策しなかった。その理由はわからない。

感想:国家機密も相手国の努力で何とかわかるものだと思った。原爆投下を未然に防げなかったのは、日本軍の迎撃態勢が整っていなかったから、というのが正しいのではないだろうか

 

09 登場時のゼロ戦は無敵の航空機だったというのはウソ

ゼロ戦はF4Fには苦戦していた。

ゼロ戦は改良する余地の無い「完成された機体」だった。

そのため緒戦と大差ない性能で終戦まで戦わなければならなかった。

感想:『やっぱり勝てない?太平洋戦争』シミュレーションジャーナル (2005/07/10)という本を読んで、零戦とF4Fのキル・レシオを見て驚いた。

【参考書籍】『やっぱり勝てない?太平洋戦争』シミュレーションジャーナル (2005/07/10) - Haruichibanのウォーゲームのおと (hatenablog.com)

 

10 日本海軍の酸素魚雷アメリカを苦しめたというのはウソ

アウトレンジ戦法という酸素魚雷の特性を活かした戦果はほとんどない。

通常の使用法で戦果をあげている。

目標到達前に爆発したり、多少の衝撃でジャイロスコープが故障して魚雷が海面に飛び出したりした。

感想:空母「ワスプ」撃沈で有名だが、それはまぐれ当たりで、他の海戦では惨憺たる結果だ。魚雷戦は敵に向かって突撃して少しでも近距離で雷撃して戦果をあげるものなのだ。

 

11 日本陸軍の三八式小銃は劣悪な銃だったというのはウソ

他国の武器と比較しても決して引けを取ってはいなかった。

感想:これは通説を最初に聞いた時から、私は、「他国の小銃も三八式小銃とさほど変わらないじゃん」と思っていた。

九九式小銃の品質がどんどん悪化していったのは知らなかった。

 

12 九七式中戦車は戦果をあげなかったというのはウソ

BT7やマチルダIやIII号戦車などの同時代の戦車と比較するとけっして性能が低いわけではない。後継戦車開発の遅れで、M4シャーマンと戦わなければならなかったのが九七式中戦車の不幸だった。

感想:零戦もそうだが、太平洋戦争の日本軍兵器については、そう思う

 

13 巨大戦艦を目指して大和は造られたというのはウソ

世界最大の火力と装甲力を備えつつも、艦体はコンパクトになるよう設計された。

感想:見出しを読むと「?」と思うが、真相を読むとその通りだと納得した。

 

14 艦隊決戦が起これば日本は圧勝できたというのはウソ

命中率3倍説には、落とし穴があり、日本海軍の演習は外国より判定が甘かった。海軍上層部はわかっていたため、航空機と潜水艦で漸減作戦を考案したのだ。

感想:命中率3倍はないだろうと思ったが、まさか判定が甘かったとは意外だった。

漸減作戦は、レイテ沖海戦で逆にアメリカに実施されてしまった。

 

15 昭和天皇は軍部の方針に従っていたというのはウソ

天皇は陸海軍から作戦に関する情報を事細かに送られていたし、軍部の方針に口を挟むことも少なくなかった。

感想:軍部の方針に口を挟むことがどこから多くてどこから少ないか、定義できないから、難しい。明治憲法下でも天皇は事実上象徴の立場だったから、やりにくかったと思う。

 

16 昭和天皇マッカーサーの温情で不起訴になったというのはウソ

天皇を処罰した後の統治と存続したままの統治、どちらが困難かを比較して、天皇不起訴を決めた。

感想:国家間の軍事や外交問題は、冷静にどちらが有利か、検討して判断しただろう。温情はないだろう。

 

17 東條英機は独裁者だったというのはウソ

東條英機は非常に実直で「軍隊」や「政府」の秩序に従い続けた国家の忠臣だった。

感想:かつては私も東條英機は独裁者だと思っていた。しかし、何の本だったか忘れたが、メモ魔で首相を拝命した時の登場英機の行動・態度を読んで、考えを改めた。

 

18 山本五十六は稀代の名将だったというのはウソ

山本五十六は優れた軍人ではあったものの、現場指揮官としては問題もあった。

感想:真珠湾奇襲作戦やマレー沖海戦につながる陸攻隊育成は、山本五十六の功だと思う。一方、ミッドウェー海戦時にアリューシャン列島や戦艦と空母に兵力分散したことや、部下を意思統一できなかった点は、山本五十六の限界だったと思う。

 

19 米内光政は戦争回避を目指した穏健派だったというのはウソ

対米戦については米内は穏健派だが、アジア諸国に対してはかなり強硬な姿勢を貫いていた。

感想:日本の対中強硬策=>アメリカの警戒感を強める=>日米対立の引き金を引く、という結果になったのは、皮肉なことだった。

 

20 特攻を考案したのは大西瀧治郎というのはウソ

特攻を最初に実行したのは1944年10月のフィリピンの戦いで、大西瀧治郎というのは事実だ。しかし、1943年8月には軍令部主導で体当たり攻撃を含む特殊戦術が検討され始め、1943年12月に後の回天の開発が命令されており、1944年4月に事実上制式化して1944年7月には開発が始まった。

感想:特攻は誰が始めたか、はっきりしない。日本人の共通認識だったのだろう。

 

21 原爆投下はトルーマンが主導したというのはウソ

ルーズヴェルト大統領逝去後、大統領になったトルーマンは、原爆の開発計画について何も知らされていなかった。軍部は原爆が無差別殺戮兵器であることを説明せず、グローブスが指令書を起草しトルーマンの承認なく、原爆を投下した。

感想:アメリカにも軍部と政治家のゴタゴタがあったのだなぁ、と思った。

 

22 満洲事変で日本は国際社会から孤立したというのはウソ

アメリカは満洲事変を非難したが、イギリスなどの列強は黙認する構えだった。

国際連盟脱退後も国際協力はしていたし観光客も増えていた。

感想:私は、日英同盟破棄、国際連盟脱退、支那事変後の対応、日独伊三国同盟締結、南部仏印進駐が日本が太平洋戦争前に行った失策だと思う。

非難されてもシレッとして国際連盟に残って既成事実を積み上げていけば良かったと思う。満洲は、万里の長城の外にある、漢民族の中国本土ではない化外の地なのだから。キューバやロシアや北朝鮮やイランを見ていると、日本の国際連盟脱退がいかに愚策だったかよくわかる。

 

23 大使館員の怠慢で宣戦布告は遅れたというのはウソ

外務省からの電報に誤字脱字が多く、陸軍の圧力もあり送ったのが遅かったのが原因。

感想:これはそうだと思う。

 

24 軍事態勢樹立のために大政翼賛会ができたというのはウソ

背景には軍部の暴走を抑止する狙いがあった。

感想:これは意外だった。

 

25 特高は左派勢力の取り締まり機関だったというのはウソ

特高は左派勢力の取り締まりだけでなく、極右団体も取り締まり対象だった。例えば1933年7月に起きた神兵隊事件だ。極右団体取り締まりは手心が加わっていた。

感想:これも知らなかった。意外だった。

 

26 国民はアメリカとの戦力差を知らなかったというのはウソ

国民に危機意識を持たせるために、アメリカ軍の戦力をあえて国民に伝えていた。

感想:アメリカの戦力は大きい=>しかし数字に表れない精神力は日本の方が上=>だから勝てる、という論理だったのだろう。実際、寡兵が大兵に勝っている例は戦史にあるからなぁ~

 

27 国民は戦争中に娯楽のない生活を送っていたというのはウソ

戦勝祈願で旅行に行ったり、映画や大相撲は大人気だった。

感想:亡父の話しでも映画は人気だったと聞いている。

 

28 太平洋戦争は8月15日に終わったというのはウソ

連合国と日本の間で降伏調印式が実施されたのが9月2日なので、この日を終戦としている国が多い。

感想:満洲樺太北方領土の戦いがあったこと、国際法上も、これは終戦の日を9月2日にすべきだと思う。一方で、明治憲法下の日本ではやはり天皇が主権者なので、玉音放送=主権者天皇の意思だから、8月15日が終戦記念日でもいいと思う。ただ、9月2日まで戦いが続いたことはしっかりと教育すべきだと思う。

 

29 ドイツは日本の戦争を支援したというのはウソ

支那事変時、ドイツは中国を支援していた。タングステンなどの稀少資源が目的だった。日独伊三国同盟締結後、しばらくしてようやく軍事顧問団を引き揚げた。

感想:何で読んだか忘れたが、その時にこれを知って驚いた。

 

30 ハルノートが日本に対米戦を決断させたというのはウソ

南部仏印進駐は1941年6月

1941年7月、対日資産凍結

1941年8月、石油全面禁輸

1941年9月6日、帝国国策遂行要領が御前会議で採択される

そして、ハルノートは1941年11月26日、日本に突きつけられた。

石油全面禁輸で日本は開戦を決意したのであって、ハルノートの影響は小さい。

感想:時系列で見るとその通りだ。だが、ハルノートの内容によっては逆転したかもしれないのは確かだ。ハルノートで日本側に譲歩し、時間がズルズルと経っていくのが日本にとっては最悪だったかもしれない。

 

31 文化財保護の観点から京都は空襲を受けなかったというのはウソ

京都市内への大規模な空襲はなかったが、舞鶴などは空襲を受けている。京都は原爆投下候補地に選ばれていたので大規模な空襲が制限されていた。また京都に原爆を落とした時、戦後日本がアメリカを憎悪しソ連につくことも予想される。

感想:文化財保護のような感傷的な理由で空襲先を決めることはないだろう。その通りだと思う。

 

32 アメリカ軍は一致団結して日本軍を攻略したというのはウソ

マッカーサーニミッツの不仲のように、アメリカ軍も陸海軍に対立があった。

感想:子どもの頃は、知らなかったが、大人になって、戦記物を読むと、こういう人間関係がよくわかってきた。組織内に対立があっても、日米でその対応が異なる。日本は対立を内包したままズルズル進む。そして下が上に従わない。上は下の人事権を持っていない。

アメリカは上の方に問題が上がっていき、上が判断し、下はその指示に従う。従わなければ閑職に追いやられたりクビになる。

そこに日米の違いを感じる。

 

33 アメリカの一番の勝因は圧倒的な物量だったというのはウソ

アメリカの勝因の一つに、物量もあるが、技術成長力の差や情報力、人命尊重による損害軽減なども絡み合っていた。

感想:見出しが強烈だが、「ウソ」は言い過ぎだろう。物量が40%、技術成長力の差が30%・・・のように数字で表せないと、こういうことは評価できない。数字では表せないことではあるが・・・。

 

太平洋戦争について、簡単に通説と真相(これも現在の通説にすぎないが)を、並べていてわかりやすい。

手元に持っていて損はない本だ。