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潮書房光人新書の、三野正洋『日本軍兵器の比較研究【新装版】』を読んでみた。
平成13年(2001)6月、光人社から刊行されたものの新装版だ。
もくじ


第1部 海軍の艦艇
序論ー必要なのは広い視野と先見性
日本海軍は、一隻一隻の艦艇の能力を上げることに、労力を使った。
速力を1ノットでも上げようと、一門でも多くの大砲を積もうと、一本でも多く魚雷を積もうとした。
しかし、太平洋戦争を後から振り返ると、「たとえ能力、性能が平凡であっても建造費が安く、手間もかからず、種々の目的に使えるような軍監を生み出すことの方が、はるかに重要だった」と言える。
「兵器の開発のさい必要なのは、広く周辺の世界を見渡す目と、先見性ということになろう。」と三野氏は書いている。
まさにその通りだと思う。
昭和の日本海軍は、将来の日米戦も、日本海海戦と同じような海戦になる、と考えて、漸減邀撃作戦に向けて準備したが、太平洋戦争の様相は全く異なったものになった。
山本五十六など一部の軍人には先見性があったが、ほとんどの海軍軍人は、そうではなかった。
将来どんな戦争になるか、それに向けてどんな軍備を揃えるか、を考える先見性が重要だと、あらためて思う。
戦艦
本書では、口径x砲身長イコール威力数という簡易式で、砲の威力を比較している。
数値化は大事だが、いくらなんでもそれは簡易すぎると思う。
また運動性能を出力排水量比(1tあたりの馬力)で比べているが、運動性能というより加速性能というのが正しいと思う。
航空母艦
正規空母の評価
カタパルト、舷外エレベーター、開放型格納庫から米軍空母の技術が抜きん出ていた、と評価するのは私も同意見だ。
護衛空母の評価
過大な能力を期待せず、数を揃え、低い能力に合った任務(船団護衛、対潜哨戒、上陸支援など)に従事させる、と割切った米軍に軍配が上がる。日本軍は小型空母でも空母戦に投入することを意識して、中途半端な性能になったのが惜しまれる。
巡洋艦
三野氏は排水量100t当たりの乗員数を計算している。高雄級7.4名、A・ヒッパー級11.5名、ニューオルリンズ級8.6名だ。人数が多いと損害を受けたときに対応しやすい。
ダメージ・コントロール専門士官を置いた米軍はその点でも高評価だ。
米英軍は、第二次世界大戦中頃から重巡洋艦という艦種に見切りをつけ、対空任務を重視した軽巡洋艦の大量建造に着手した。
日本海軍にはその発想はなかった。
駆逐艦
「日本海軍の主力駆逐艦はあまりにも魚雷攻撃を重視して設計されたため、戦争の様相が航空戦、潜水艦戦に移ったとき、全く対応できなかった。(中略)設計者、用兵側の先見性のなさによる(中略)兵器を設計するさいにもっとも大切なのは、将来を見通す力であるような気がする。」と三野氏は書いているが、まさにその通りだと私も思う。
潜水艦
日本海軍131隻、米海軍250隻中太平洋に投入されたのが190隻だ。
米軍の戦果は、軍艦10隻、商船/輸送船約1000隻500万トン。損失約60隻
日本軍の戦果は、軍艦3隻、商船/輸送船約50隻30万トン。損失約130隻
日本軍潜水艦の損失数には誤記があると思うが、日本軍の戦果は1/10以下で、損失が米軍の2倍以上であるのは、大きい。
原因としては、日本軍潜水艦の優先攻撃目標が軍艦だったこと、日本軍潜水艦の潜航可能深度が約80mに対して米軍は120~130mまで潜航できたこと、日本軍潜水艦の騒音が大きかったこと、などがある。
魚雷艇
各国が揃えていた魚雷艇に、日本海軍が注目しなかったことは、三野氏も疑問だと書いているが、私もそう思う。
強襲揚陸艦
陸軍が開発した神洲丸は、強襲揚陸艦の元祖であり、これに関しては先進的だと三野氏はべた褒めしている。
主な艦載兵器
主砲、魚雷、対潜兵器、対空兵器を各国が使っていた兵器と比較している。ほとんどすべての分野でアメリカが抜きん出ているが、魚雷本体では日本、魚雷の誘導技術ではドイツ、対潜兵器ではイギリスに軍配を上げている。
第二部 航空兵器
戦闘機・大戦前半
一式戦 隼は、主翼の構造から機銃を装備できなかったため、機首の2挺の機銃で戦うしかなかった。零戦には大戦前半最良の戦闘機だった。陸軍も零戦を採用して揃えるべきだった、というのが三野氏の意見だ。後知恵だがそれが最善策だったと思う。
双発爆撃機
日本軍の爆撃機の爆弾搭載量が少ないのは、要目表を見ると誰でもわかるし、三野氏もそこを批判している。
しかし、これは本当だろうか?
飛行機の馬力は、エンジンによって決まってしまう。
機体や搭乗員の重量も決まっている。
航続距離は搭載燃料の重量で決まる。
爆撃機の運用では、爆弾搭載量を増やす時には、燃料を減らして航続距離を減らすことをしていたのではないだろうか?
つまり、要目表の航続距離と爆弾搭載量は、反比例の関係にあって、どちらかを増やせばどちらかを減らさざるを得なかったのではないか、というのが私の疑問だ。
日本軍が太平洋戦争緒戦に台湾からフィリピンを爆撃したり、ラバウルの一式陸攻がガダルカナルを空襲した時のような、航続距離が要求される戦いでは、連合軍の双発爆撃機も同じ程度しか爆弾を搭載できなかったのではないか。
これは私の想像なのだが、これを証明する資料、あるいは反証する資料を見てみたい。
艦上攻撃機
兵器としては、九七艦攻や天山の性能は米、英の同級機を凌駕していた。
米軍のレーダーの存在が日本軍艦攻の性能を封じ込めた。
英軍のソードフィッシュについては、旧式だったが、「使い方によっては十分に役立つ証明」だと三野氏は評価している。
単発爆撃機
三野氏は、「キ51(三菱九九式襲撃機のこと)にはどういうわけか”襲撃機”というあまり聞き慣れない呼称を与えている。」と書いて、急降下爆撃機の項ではなく、単発爆撃機の項に入れて、似たような機種を三種類も作った日本陸軍を批判している。
九九式襲撃機は急降下爆撃できたので、急降下爆撃機の項に入れて、九九式艦上爆撃機やJu87スツーカなどと比較するべきだ。
偵察機
一〇〇式司令部偵察機や彩雲など日本の偵察機に対して三野氏の評価は高い。
だが、ミッドウェー海戦やトラック島空襲やニューギニアの第四航空群壊滅を防げなかったのはなぜだろう?
日本軍偵察部隊の不振の原因に疑問を呈している。「優秀な武器を持っていたとしても、それを効率良く使いこなさなくては勝利は得られない」という三野氏の言葉はまさにその通りだと思う。
飛行艇
日本軍の九七式飛行艇や二式飛行艇は優秀だったが、180機や170機しか製造されなかった。平凡な性能でもカタリナ飛行艇は2400機も作られた。
数の差によって、「わずかな性能の優位など全く関係なくなってしまう」のはその通りだ。
水上機
「大きなフロートが必要であるから、最終的に水上機は陸上機を性能的に上まわることはできない」存在だ。
だが、日本海軍は多数の水上機を揃えていた。潜水艦に水上機を搭載させたし、世界で唯一、水上戦闘機を運用した。
「日本海軍は優秀な水上機を多数揃えていたため、かえってこの機種に深入りしていったのである。」と三野氏は分析する。海軍が官僚化し、官僚は前例を踏襲するのが習いだから、継続していったのではないか、と私は考えるが、どうだろうか。
第三部 陸上戦闘兵器
三野氏は、日中戦争によって「新しい兵器の開発、あらゆる意味での陸軍の近代化はほとんど忘れられてしまった。」と陸軍の兵器開発に対して厳しく批判している。
加農砲、野砲、榴弾砲
日本軍砲兵が持つ火砲については、「ノモンハン事件のさい、日本陸軍は史上最大の砲兵の集中配備を行ったが、このときでも投入された重砲(口径10センチ以上)の数はわずか82門にすぎなかった。」
「火砲の性能、能力からいっても大幅に劣っていた。」「優れた火砲とは(中略)現実には製造に要する費用、広い意味での耐久性、とリア束の容易さといったものの方が重要」で「戦場に到着してから、初弾発砲までの時間の短縮なども戦闘の勝敗にそのまま影響する」「大口径砲のサスペンション、車輪の構造を見れば一目瞭然であり、全般的に(日本軍の火砲は)一時代前の大砲と呼ぶしかない」と三野氏は書いている。
アメリカ軍の優秀なM2 105mm榴弾砲が九六式15センチ加農砲や九六式15センチ榴弾砲と同じ年に制式化されている事実に驚く。「国力の差以上に日本陸軍上層部の日頃の勉強、研究の不足、頑迷な死相、異常なまでの保守性にあったと推測される。」と三野氏は批判する。
当時の日本や中国や東南アジアの貧弱な道路網や橋梁を考えると、そこまで日本陸軍を批判できないのではないだろうか
大隊砲、歩兵砲、山砲
「この種の火砲を大量にそろえたのが日本陸軍の特徴であった。」と三野氏が書くが、砲兵が持っていた火砲が少なかったから、これらの砲に頼らざるを得なかったのだろう。
パンツァーファウストやバズーカみたいな歩兵携行型対戦車兵器を開発しようとしなかった代わりに、携行爆薬、棒付地雷、収束手榴弾による体当たり攻撃せざるを得なかったのは、悲劇だったといえよう。
そして、三野氏は7ページにわたって、日本陸軍批判をする。
(1)軍内部の地位(ポスト)の削減への恐れ
機械化することによって予算削減のため人数削減になることへの恐れ
(2)機械化への反対
(3)計画性、研究の不足
兵器を一つのシステムとして研究していなかった弊害
(4)創意工夫、改良を嫌う姿勢
戦車の装甲が薄ければ土嚢やキャタピラを置くなどの工夫を他国はしているが日本軍はしていない。対戦車砲が威力不足なら野砲や高射砲を使うなどの工夫を他国はしているが日本軍はしていない。
これらの体質は現代日本の官公庁の役人に残っていないか、と三野氏は言う。
本書で一番言いたかったのはこれではないだろうか
第四部 戦闘車両
中戦車
「日本陸軍は、中戦車(主力戦車)を開発するに当たってもっぱら歩兵直協を重視してきた。」「そのため対戦車戦闘能力が絶対的に不足し、ノモンハン事件、太平洋戦争において苦杯をなめさせられることになってしまった。」「結局のところ問われるのは九七、一式中戦車の脆弱性ではなく、陸軍の機甲専門家の研究心不足ではあるまいか。」と痛烈な批判を三野氏が突きつける。
その他の軍用車両
旧陸軍が装輪式装甲車に興味を示さなかった理由が不明だ、と三野氏は書いている。
これは当時の日本の道路事情によるのではないか、と私は推測する。
感想
要目表をあげ、ほぼ同じ目的で開発された他国の兵器と比較して、コメントしている本で、写真も豊富で、とても読みやすい。
要目表の数値やその兵器の設計思想に、もっと踏み込んでコメントしていたら、もっと興味深い本になったと思う。
太平洋戦争の日本軍兵器開発者達、要求を出した軍人達の多くは、次の戦争の形がどうなるか想像する力が不足し、日露戦争と同様の兵器体系で太平洋戦争に突入し、戦争期間中に対応しきれずに、敗戦を迎えてしまった、と私は思う。
その点で三野氏の批判に、大筋で私も同意する。
第二次世界大戦の兵器比較、各国の兵器に対する考え方についての比較を、簡潔にわかりやすくまとめていて、手元に置いて損はない本だ。
それにしても320ページの文庫本が1,080円とは、高くなったものだ。
