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第一章 日本海軍艦上攻撃機
艦上攻撃機の歴史
p.13に、1910年代に魚雷を搭載し艦船攻撃する飛行機、いわば雷撃機というアイデアが誕生し、1915年8月12日、イギリス海軍がトルコの補給船に実施したのが世界初の空中発射魚雷だそうだ。ショート社184型と呼ばれる、複葉複座双フロート水上機だった。投下した魚雷は重量385kgのホワイトヘッド式24inだ。
航空母艦の誕生とともに、艦上戦闘機、艦上雷撃機が開発された。
日本も大正10年(1921年)2月、艦上戦闘機、艦上偵察機、艦上雷撃機の開発を開始し、10月には、一〇式艦上戦闘機、一〇式艦上偵察機が制式化された。艦上雷撃機は一○式艦上雷撃機として採用されたが、わずか20機程度で生産打ち切りとなった。
次の一三式艦上攻撃機から、「攻撃機」という名称が使われるようになった。
次は八九式艦上攻撃機だったが評価が低く、204機で生産が打ち切られた。
七試艦上攻撃機は、三菱、中島とも不採用となり、航空廠と愛知時計電機が、九二式艦上攻撃機を開発した。
九試艦上攻撃機の競争試作の指示が、三菱、中島、航空廠に出され、九四式水上偵察機を踏襲した航空廠機が九六式艦上攻撃機として採用された。
その後、九七式艦上攻撃機、天山、流星(艦攻・艦爆統合)と続いてゆく。
私がよくわかっていなかったのが、海軍における攻撃機と爆撃機の定義だったが、こうして見ると、雷撃機としてスタートし、雷撃と水平爆撃ができる艦上機=艦上攻撃機と理解した。
p.92からは、九七式艦上攻撃機、天山、流星それぞれの、機体構造、主翼構造、動力装置、降着装置、無線機装備、兵装を、写真や図表を交えて、わかりやすく解説している。
雷撃照準の仕方については、コラムがp.49に書いてある。だが、p.119に「雷撃照準は、操縦室内正面計器板上方に設置された、照準器を使って行うことになっていたが、目標が大きいので、太平洋戦争の実践では、ほとんどの場合、操縦員の目測によって投下したらしい。」とある。私の予想どおりだ!
第二章 日本海軍艦上爆撃機
p.207からは艦上爆撃機だ。
艦上爆撃機とは艦上急降下爆撃機ということだ。九七式艦上攻撃機や天山は水平爆撃をやるのになんで爆撃機でないかというと、海軍では、攻撃機=雷撃と水平爆撃ができる機体、爆撃機=急降下爆撃ができる機体、ということだ。
六試特・爆、七試特・爆は失敗した。
八試特・爆は、ドイツのHe66のエンジンを換装し主翼を一部改修して、九四式艦上爆撃機となった。
その後、九六式艦上爆撃機、九九式艦上爆撃機、彗星と続いた。
p.231には日本海軍の急降下爆撃要領がコラムとして載っている。
私が買った文庫の帯には「海上航空基地の破壊力検証」とあるが、そういう内容ではない。
ライバルのアメリカ軍艦上攻撃機や艦上爆撃機と機体構造や設計思想の違いなどを、比較検証していたらもっと面白いと思った。
日本海軍の艦攻と艦爆について、機体構造や性能や戦歴や設計運用時の苦悩をまとめた本で、『丸メカニック』や『世界の傑作機』にも同様の内容が書かれている。
写真や図表が豊富で面白い。
手に取りやすい文庫を、手元に一冊持っているとありがたい本だ。
