Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

【参考書籍】藤井非三四『日本軍とドイツ軍』学研パブリッシング(2014/08/13)


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第二次世界大戦でともに戦った日本軍とドイツ軍について分析した本だ。

 

 

【第一章】「持たざる国」の選択と結末

[内容]
 まずは米英仏ソと日独の国力を比較している。
 また、戦争による損害も比較している。
 
[感想]
 私個人としては、イタリアも加えて比較ほしかった。
 また、p.41に、日独の指導者に共通していたのは地球儀ではなく、メルカトル図法の地図であれこれ考えていたことだ、とあるのだが、これは、興味深い考察だ。
 だから、両国が地球規模の発想を持ちえなかった、というのも面白い。
 メルカトル図法では、方位は正しいが、面積や距離が現実とは異なる。
 一方のアメリカやイギリスは、海洋国家であり、地球規模の発想をしていた。
 日本は、海洋国家なのに、旅順と大連を抑えておけばいいのに、満洲事変を起こし、ソ連と広正面で対峙し、国防力が足りないと慌て始める、というのは、まさにその通りだと思った。
 
 

【第二章】スローガンに終わった総力戦

[内容]
 軍動員率が全人口の10%に達すると、その体制を維持できるのは昔から3年が限界とされてきた。
 日本の場合、太平洋戦争開始時の軍動員率が3%を超え、昭和18年末に4.6%、19年に7.5%に達し、昭和20年には11.47%に達した。
 ドイツ軍の場合、バルバロッサ作戦開始時6%、ブラう作戦発起時に10%を超えた。ノルマンディー上陸作戦の時には14.5%に達した。
 総力戦という掛け声をかけたが、日本もドイツも女性労働力の動員には失敗したり遅かった。
 また、日本の場合、陸軍と海軍で資源の争奪戦を始めてしまった。
 
 一方、対照的なのはアメリカだ。『勝利の計画(Victory Program)』をアルバート・ウェでマイヤー中佐が中心となって策定した。
 太平洋戦争開始前の1941年9月末には草案が提出されたのだ。そして理由は不明だが全文が公開されていない。
 戦後70年経過しても秘密にしておきたい何かがあるのだろうか
 『勝利の計画(Victory Program)』では、まず軍動員率の上限を10%と設定し、1350万人をもって軍を編成する。
 このうち130万人が海軍、1200万人で陸軍地上部隊と航空部隊とする。
 さらに勝利のために、ヨーロッパ戦線に爆撃機6860機、戦闘機1690機を展開させ、太平洋戦線に爆撃機1700機、戦闘機4160機を展開する。
 この機動・展開のために航空基地286か所を設営する。
 これだけの航空機を生産するために自動車産業を航空機産業に転換させる。
 第一線の師団一個あたり日量500トンの常続補給が必要で、その海上輸送に商船隊1200万総トンに加えて新造船1800万総トンが必要と試算された。
 海軍艦艇は143万排水トン建造する。
 
 女性を軍需工場に動員するために、生産現場に職人芸を必要としないようにした。女性の服装をパンツ・スタイルにした。家事負担軽減した。24時間運行の公共交通機関の整備もした。
 統制経済ではなく、独裁体制でもない、アメリカが、自由主義経済、民主主義体制のまま、このような統制経済を実行したのは、驚くばかりだ。
 
 日独とも、資源を求めて戦争を始めたのに、その占領地政策は、行き当たりばったりで、資源をうまく活用できなかった。

[感想]
 『勝利の計画(Victory Program)』のように、トップダウンで考えるのが、まさに戦略だ。
 日本もドイツも「持たざる国」だったからとはいえ、このようにトップダウンで戦略を考え、整合性をもって、兵器の開発や作戦に落とし込み、戦争を遂行することができなかった。
 これが国民性だとは思わないが、改めてアメリカはすごいと思う。
  

 

【第三章】貫徹できなかった戦争目的

[内容]
 もともと、日独ともに連合国を覆滅することはできない。
 アメリカ本土に上陸し占領する力は日独ともになかった。
 イギリスは本土を占領されても植民地に脱出して戦い続けるだろう。
 ソ連や中国も、その広い国土で戦い続けるし、日独ともにソ連や中国全土を占領できる力はなかった。
 
 そうなると、日独ともに消耗戦略による持久戦争しか選べない。
 日独ともに、大勝利の後「さて、どうするか?」となってしまった。

[感想]
 確かにそうだと思う。ドイツはフランスを占領した時、イギリスと講和しようとしたが、拒絶され、「さて、どうなるか?」となった。
 日本は南京を占領しても中国が講和に応じない姿勢を示した時、自ら「蒋介石を対手にせず」と言ってしまい、「さて、どうなるか?」となった。
 太平洋戦争で大東亜共栄圏を占領して「さて、どうなるか?」となった。

[内容]
 イギリスは第一次世界大戦の教訓から、イギリス船籍の船には情勢が切迫すると海軍省から密封命令を受け取って出港していた。
 戦争になると開封され、そこに記されている海域、港湾に向かい、船団を組んで護衛を受けられる仕組みだった。


[感想]
 これは驚いた。日本が本格的に第一次世界大戦に参戦しなかったツケがこういうところにあったと思う。
 
[内容]
 日独ともに敵の弱点に向けるべきなのに、そのような作戦、戦闘を指導していなかった。
 日本は連合軍の輸送船に攻撃を集中しなかった。中国で装備の鹵獲や破壊に重点を向けていればよかった。
 ドイツは、1943年春からは、ソ連軍の人的戦力の枯渇という弱点を衝き、出血を強要すればよかった。
 
 そして連合軍が無条件降伏を要求したことで、日独ともに戦争継続が目的と化してしまった。
 


【第四章】自ら招いた多正面作戦


[内容]
 ドイツは、フランスの孤立化を図り、ロシアとオーストリアとの連携を図り、イギリスを刺激しないようにしないと、二正面作戦を強いられる。
 ビスマルクはこの方針を徹底したが、第一次世界大戦では失敗した。
 
 日本は、本来なら多少面作戦を招かないですむのに、陸軍は大陸、海軍は太平洋を見据えており、自ら二正面作戦の落とし穴にはまってしまった。
 二大大陸国のソ連と中国、二大海洋国のアメリカとイギリスを想定敵国としたのは、「これはもう自暴自棄の八つ当たり的な国家戦略」だ。
 そして、日独ともに戦争解決のための戦争にはまっていった。
 
[感想]
 これも納得の内容だ。
 特に日本の場合、「自暴自棄の八つ当たり的な国家戦略」としかいえない。

 

【第五章】勝利がもたらした誤算と堕落


[内容]
 日中戦争では、日本軍歩兵大隊二個(800人)が中国軍一個師(8000人)に相当する、と認識されていた。
 それは精神力ではなく、火力の違いだったのに、日本軍はその認識がなかった。
 ソ連の弱点は、多民族国家であることで、民族闘争に火をつければ、ソ連が瓦解した可能性があったが、民族蔑視からその弱点を衝かなかった。
 
 日独に共通していたのは、これから攻め込む所の、正確な地図の準備が不足し、兵要地誌を学んでいなかった。
 
 構成する連隊数を減らして師団を水増ししたり、部隊長が不足してきたので、教育機関を短縮して増員したりしたのは、日独共通する。

 

【第六章】思考回路を支配した固定観念


[内容]
 「前地」を求める強迫観念とは、トラック諸島を守るには、ラバウルが必要で、ラバウルを守るには、ガダルカナルが必要・・・というように、戦線を前に前に進めることだ。
 これではどこまで進めばいいのかわからなくなり、兵力がどんどん薄くなっていく。
 軍の教育機関では、教官に問題を出されたとき、攻撃する、と答えると合格し、防御するとか撤退する、と答えると落第する傾向にある。
 
 第一次世界大戦を体験しなかった日本軍は大量消費の戦争形態をそれほど深刻には考えていなかった。
 砲兵火力の面で制圧する、という発想は貧しい日本では育たないだろう。
 
 ドイツはクルスクの時、1km当たり50門を集中したが、ソ連は1km当たり93門、1944年には1kmあたり250門が基準だった。
 
 また第二次世界大戦では、鉄道による輸送と輓馬輸送が主力だった。
 ドイツも日本も最後までその考えから脱却できなかった。
 アメリカの大量のトラックのおかげで、ソ連は鉄道に頼らない作戦を立てることができた。
 西部戦線でも米英は、鉄道に頼らない作戦を立てることができた。

 

なお、p.215 表24 各国師団の砲兵の装備砲数の違いに驚いた。

p.215 表24 各国師団の砲兵

  日本 ドイツ ソ連 アメリカ
野砲中隊 6個 1個 9個  
榴弾砲中隊 3個 11個 4個 12個
中隊装備数 4門 4門 6門 4門
装備火砲 75mm野砲24門 105mm榴弾砲36門 76mm野砲54門 105mm榴弾砲36門
  105mm榴弾砲12門 150mm榴弾砲8門 122mm榴弾砲24門 155mm榴弾砲12門
    105mmカノン砲4門    
歩兵連隊 70mm歩兵砲6門 75mm歩兵砲6門 75mm榴弾砲18門 105mm榴弾砲6門
  75mm山砲4門 150mm重歩兵砲2門    

 

 同じくp.215 表25に沖縄戦における日米の砲兵火力の表があるが、単純に合計して144門対634門だ。口径が近いものを並べてみたが、日本軍の口径が小さいのが単純によくわかる。

 これだけ差があると、1門あたりの性能が仮によくても、単純に数だけで圧倒されるだろう。

 

日本第32軍 米第10軍
75mm山砲中隊x12個=26門  
75mm野砲中隊x7個=26門  
105mm榴弾砲中隊x4個=16門 105mm榴弾砲大隊x21個=252門
150mm榴弾砲中隊x12個=48門 155mm榴弾砲大隊x16個=192門
120mm加農砲中隊x1個=2門  
150mm加農砲中隊x4個=8門 155mmカノン砲大隊x6個=48門
320mm臼砲中隊x3個=12門 203mm榴弾砲大隊x2個=16門
  105mm自走砲大隊x3個=54門
  105mm歩兵砲中隊x12個=72門
海軍砲台=6門  
144門 634門


 
[感想]
 これも納得の内容だ。
 特に日本軍は第一次世界大戦の経験がなかったことが致命的だったといえる。
 貧しい日本に第一次世界大戦のような消耗戦はできない、と思考停止に陥っていたといってもいいだろう。
 それならなおさら、どこまで戦い、どこで外交に切り替えるか、真剣に研究するべきだった、と思う。

 

 

【第七章】不徹底だった装備体系という考え方

 

[内容]
 兵器を考える時、ウェポン・システム全体で、考えるべきだ。
 フェルディナンド重駆逐戦車は、機甲戦で使えなかった。機甲戦で必要な装備体系を考えて、戦車を設計するべきだった。
 独ソ戦を始めたドイツだが、ソ連の国土での冬季装備を持たずに戦争を始めた。
 その点では、日本軍はまだましだった。
 満洲やシベリアでの戦争を想定し、戦車は空冷ディーゼルエンジンにし、広漠地での戦闘向けに九二式機関銃や九九式小銃を装備した。
 だが、南方向けの装備体系は考えていなかった。
 また、陸海軍で兵器システムを共通化しようという発想は、日本軍は持たなかった。
 
[感想]
 日本軍が三八式小銃と九九式小銃の二本立てで戦争を戦ったのは愚策だった、とよく言われるが、広漠地での戦闘を想定しており、それなりの合理的理由があったのは知らなかった。
 陸海軍で機関銃や薬きょうを共通化しなかった日本軍の装備体系に対する考え方は、戦争を本気で戦う考えではなかった、と思う。
 


【第八章】国家を映す鏡としての軍人たち


[内容]
 日独ともに、出身地や出身兵科などによる軋轢があった。
 ドイツは第一次世界大戦の従軍関係者が多かったが、日本軍では、シベリア出兵従軍経験者はいても、第一次世界大戦従軍者はほとんどいなかった。
 従軍経験者は、よく言えば慎重、悪く言えば臆病になる。

 
[感想]
 軍隊に出身地や兵科による軋轢があるのはどこの軍隊でもそうだろう。
 それをどう統御していくかが問題だ。
 日本軍がどんどん戦域を広げたのは、実戦経験者が少なかったことも一因かもしれない。