Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

【参考文献】『丸メカニック No.37 三式戦飛燕&五式戦』(潮書房)(1982/11)を読んでみた

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表紙

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プラモデルを昔作っていた時に買っていた雑誌を、再読してみた。

当時は、図面や、色以外ほとんど見ていなかったが、年とっていろいろな経験をしてから読むとまた違った感じがする。

開発者の手記がやはり面白い。

 

 

表紙 p.6 イラスト=鴨下示佳

 斜め上から見た三式戦飛燕1型丙を分解し透視した精密なイラストだ。

 

p.3 髙荷義之コックピット・シリーズ 三式戦闘機"飛燕"&五式戦闘機

 髙荷義之氏によるカラーコックピットイラストだ。詳細に描かれていてワクワクする。

 

p.6 飛燕/五式戦闘機の塗装とマーキング イラスト&解説 野原茂

 野原茂氏がイラストと解説する飛燕と五式戦闘機の塗装とマーキングだ。色が美しいし、マーキングがカッコいい。

 

p.12 軽戦と呼ばれなくてもよい、自分の理想とする戦闘機を作ろう

 昭和15年2月、陸軍は川崎航空機に対して、キ-60(重戦)、キ-61(軽戦)の施策を支持した。当時の川崎航空機試作部長だった土井武夫技師は、「軽戦と呼ばれなくてもよい、自分の理想とする戦闘機を作ろう」と考えて、キ-60(後の三式戦闘機飛燕)を設計した。

 p.14からp.41まで、機体-主翼・尾翼・胴体-、フライトコントロール、降着装置、射撃兵装、動力装備について、図や写真で解説している。

 飛燕や五式戦は、八九式7.7mm固定機関銃、一式12.7mm固定機関砲(ホ-103)、ホ-5 20mm固定機関砲、ホ-105 30mm固定機関砲、マウザー(モーゼル)MG151 20mm固定機関砲の5種類を装備した。マウザー砲は、800門弾薬40万発が輸入され、400機に装備された。

p.42 飛燕2型/五式戦(キ-61-Ⅱ/キ-100) 作図・鈴木幸雄

 飛燕の六面図と五式戦の側面図と上面図が1/50で描かれている。細い胴体に太い空冷星形エンジンのハ-112-Ⅱをどう搭載したかが、とてもわかりやすい。エンジンの後ろでぎゅっと絞っているのだ。雷電がエンジンの後ろで紡錘形に太くなっているのと対照的だ。


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p.50 三式戦/五式戦の設計と開発 土井武夫

 三式戦闘機飛燕と五式戦闘機を設計した土井武夫氏の貴重な文だ。

 数式を用いて説明が技術者らしい。戦闘機の空力的効率は、機体のそう問うていこう面積CD・S/η(イータ)で計算できるそうだ。CDは、水平最大速度における機体の抵抗係数。Sは主翼面積。η(イータ)は、プロペラの推進効率だ。

 ちなみに、川崎の試作戦闘機のこの値は、次のようになる。

試作機名(年) CD・S/η(イータ)(平方m)

KDA-Ⅲ(昭和3)

1.5

九二戦(昭和7~8)

2.2

キ-5(昭和9)

0.83

九五戦(昭和10)

1.0

キ-28(昭和11)

0.56

キ-10(第3案)(昭和12)

0.86

キ-60(昭和16)

0.53

キ-61(昭和17)

0.46

キ-64(昭和18)

0.58

五式戦(昭和20)

0.61

参考:P-51D

0.42

 土井武夫氏は昭和14年当時35歳と脂がのっていた。川崎航空では、①プロジェクト班、②空力及び主翼、尾翼班、③胴体班、④降着装置及び油圧装置班、⑤エンジン装備班、⑥操縦装置班、⑦燃料、滑油及び冷却装置班、⑧武装及び電装班の8班に分け、土井武夫氏は設計主務者として全プロジェクトを見たそうだ。そのため7年間で同時に三機種の設計試作をこなせたのだ。

 ドイツのDB601エンジン肝になるのが燃料噴射ポンプで、第二次世界大戦開戦のため、土井武夫氏が苦労して持ち帰った話が印象的だ。

 後の九七式戦闘機になったキ-27と競争試作だったキ-28は、旋回半径ではキ-27に負けるが、速度では優っているので、旋回時間はキ-28が優れていたかもしれない。日本陸軍が高速一撃離脱の近代戦法を知っていたら面白い結果になっただろう。

 CD・S/η(イータ)がわかると、最大速度が計算できるようで、土井武夫氏は、後の三式戦闘機になるキ-61では、要求性能を達成することに自信を持っていたようだ。速度においてMe109Eをキ-60が30km/hも優っていたのは予想外だったようだ。

 液冷エンジンは冷却装置の重量がかさむ。その配置方式が液冷エンジン装備機の設計の肝になる。土井武夫氏はいくつか数式をあげて、解説している。三式戦闘機の冷却装置が効率的だったことがよくわかる。また、P-51Dについても解説しているが、非常に三式戦闘機に似ている。ただ、空気取り入れ口の設計は、P-51Dが進んでいて、土井武夫氏は、さすがにアメリカの方が進んでいると感心している。

 キ-61の主翼構造は極めて強固で、設計荷重倍数n=12としていたが、n=15まで負荷を増しても破壊に至らなかったそうだ。そのため、三式戦が1型改で3450kg、2型改で3800kg、五式戦闘機で3500kgと総重量が増大したが主翼をそのまま使えたのだ。

 戦闘機は、高度による位置エネルギーを急降下で速度のエネルギーに転換するが、その点、零戦の急降下速度が670km/h(360kt)に制限されていた。飛燕は速度計の最大指度が700km/hだったため、そこでとまってしまったことが多々あったそうだ。

 

p.60 忘れ得ぬ愛機三式戦「飛燕」 小山進

 飛燕のパイロットだった小山進氏の手記だ。ニューギニアまでの空輸や戦闘の話やマウザー20mm砲の話が面白い。エンジンの不調には泣かされたようだが、空中戦での飛燕は実に頼もしい戦闘機だったようだ。

 

p.64 名機五式戦の空戦秘録 檜与平

 元飛行第111戦隊のパイロットだった檜与平氏の手記だ。檜与平氏はP-51との戦いで、右膝から10cm下で切断した。しかし義足を装着してからもパイロットとして活躍し、五式戦を駆って戦った。

p.68 おとぼけ飛行隊 わちさんぺい

 ハ-40液冷エンジンを『ホーケー』(包茎)発動機と教えられた、という話が嘘か誠か知らないが、笑ってしまった。また飛燕も五式戦も5000mまで約6分を要したそうだ。一気に上昇するのではなく、しばらく水平飛行をしながらアップアップと上っていったそうだ。これを金魚式と呼んだそうだ。

 

p.70 空冷エンジンVS液冷エンジン 林貞助

 液冷エンジンは、抵抗面積が空冷エンジンより平均20%小さくできる。一方、重量は、液冷エンジンは20~25%大きくなる。そのため、水平速度はほぼ同じ、上昇速度と上昇限度は空冷機が液冷機に優る。

 被弾に対しては空冷機が優り、燃費は液冷機が優る。

 私は、液冷エンジンが何でも空冷エンジンに優るが、技術力のない日本は空冷エンジンにせざるを得なかった、と思っていたが、本当は、甲乙つけがたかったようだ。

 

p.74 各型変遷・塗装 マーキング・戦歴 秋本実

 飛燕から五式戦までの各型変遷や塗装やマーキングや戦歴を簡潔にまとめている。