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AH『戦闘指揮官』(Squad Leader)シリーズや、MMP/AH『Advanced Squad Leader』(ASL)シリーズや、MMP『Advanced Squad Leader Starter Kit』シリーズや、その他の第二次世界大戦戦術級/作戦級陸戦ゲームをプレイする人は必読の本だ。
積ん読せずにもっと早く読んでいたらと私は悔やんでいる。
第一部 歩兵部隊
第1章 歩兵分隊~小隊
規模:おおむね10名前後だが、日本軍の一部は15名編制だった。ソ連軍の狙撃兵分隊は一部で7名編制だった。全体的に大戦初期の方が人数が多く、段々減って、7~9名程度の小さな分隊も編成されるようになった。理由は、兵員の損耗と動員可能な人口の減少と火器の性能向上だった。規模があまり小さいと損害が出たときの戦力低下割合が減るという欠点がある。
兵器:ボルト・アクション・ライフルが主力だったが、アメリカ軍は、ガーランド・ライフルとも呼ばれるM1自動小銃を装備していた。
機関銃:アメリカ軍はブローニング社のM1918オートマティック・ライフル(BAR)、ソ連ではデグチャレフDPM、イギリスではブレんMk.I、フランスではシャテルロウMle1924軽機関銃、日本では十一年式軽機関銃や九六式軽機関銃、ドイツではMG34およびMG42などが使用された。
短機関銃:アメリカではトンプソンM1928A1(愛称とミーガン)、M1カービンやイギリスではステンMk.Ⅱ、ソ連はPPSh-41、ドイツではMP40、日本では一○○式機関短銃などがあった。ドイツでは世界初の突撃銃StG44が開発された。
分隊の基本戦術:「ファイア・アンド・ムーブメント」すなわち「射撃と移動」だ。アメリカ軍の場合、12名編制の分隊を3つに分けるのが基本だった。第1班が早期発見に努める。第2班が射撃班、第3班が突撃班だ。射撃班は火力で敵を制圧する。制圧とは敵が頭をあげられない状態にすることだ。敵の射撃が途切れた隙を突いて突撃班が前進する。ダッシュの繰り返しで、日本軍は「躍進」と呼んだ。躍進距離は通常30m以下にするよう定められていた。突撃犯の移動が成功したら、次は突撃班の援護射撃によって射撃班が前進する。最終的には突撃を発起して敵を排除する。突撃時には、敵陣から少なくとも50mくらいまで地下付く必要がある。最終的には白兵戦で決着をつける。
歩兵小隊:小隊は3個から4個の歩兵分隊で構成されるのが一般的だった。
歩兵小隊の戦術:分隊と同じく、「ファイア・アンド・ムーブメント」だった。ある分隊が射撃で敵を制圧し別の分隊が前進して射撃に適したポジションを占めると、今度はそのぶん大河射撃して制圧する。
防御戦術:防御の場合、各分隊は通常一直線に配置され、各分隊が相互にカバーできるようにする。機関銃の一部は味方陣地正面の敵を側面から射撃できるような位置に置く。このような機銃を側防機銃と呼ぶ。
【感想】
分隊も小隊も「ファイア・アンド・ムーブメント」が基本であること、予備を置くことが重要なことがよくわかった。ただ、ウォーゲームだと予備を置く意義がないことが多い。
第2章 歩兵中隊/大隊/連隊
歩兵中隊の編制と装備:だいたい120~200名くらいで、各国軍隊の平時の兵営生活の基本単位だ。英語の「カンパニー(Company)」はラテン語の「パンを共にする仲間」が語源で、文字通り「同じ釜のメシを食う」戦友なのだ。小銃小隊3個~4個に、重機関銃や軽迫撃砲などの支援火器をもつ部隊がついている。
各国の重機関銃:アメリカ軍は中機関銃としてブローニングM1919A4「キャリバー30」、重機関銃としてブローニングM2「キャリバー50」、イギリス軍はヴィッカーズMk.Ⅰ、ソ連軍は水冷式のマキシムPM1910やグリューノフSG43だった。日本軍は九二式重機関銃だった。ドイツ軍はMG34やMG42だった。
中隊の戦術:分隊/小隊と同じく、1個小隊程度を予備としての「ファイア・アンド・ムーブメント」だった。
防御時の戦術:各小体の陣地は、他の小隊陣地と相互支援できる(機関銃で十字砲火(クロス・ファイアー)を浴びせる)ように配置し交通壕で連絡が取れるようにしておく。中隊本部はやや後方に置いて大隊本部と連絡を保つ。指揮官は攻防どちらでも予備部隊を保持しておく。
歩兵連隊および歩兵大隊の編制と装備:歩兵大隊はだいたい700~900名だ。p.42からp.43に各国歩兵連隊(イギリス軍の場合歩兵旅団)の編制が図示されていてわかりやすい。
歩兵大隊および歩兵連隊の基本戦術:やはり「射撃と移動(ファイア・アンド・ムーブメント)」だ。支援用の火砲が配備されていることが異なる。攻撃時には大隊は幅500mほど、連隊は幅1kmほどの戦区を担当する。攻撃時に敵部隊の側面があいていたら、一部の部隊を敵の後方に回り込ませる「迂回」をする。敵部隊の退路を遮断して「包囲」するとなおよい。敵の迂回や包囲を防ぐために味方部隊を側面に展開させることを「延翼」という。延翼して隣の味方部隊と手を結び並べられた部隊の連なりを「戦線」と呼ぶ。一度戦線が構築されたら攻撃側は戦線の一部を「突破」するしかない。「迂回」「包囲」「突破」にしても、敵部隊を引きつける攻撃「助攻」と主な攻撃「主攻」がある。敵部隊を引きつけて戦闘に巻きこむことを「拘束」という。p.50、p.51にわかりやすい図がある。
防御の場合、大隊は1~2km、連隊は2~4kmの戦区を担当する。防御には「陣地防御」と「機動防御」がある。また、防御陣地にある程度奥行き「縦深」を持つ。防御陣地のもっとも敵寄りに警戒部隊を配置しその後方に主力部隊を置く。警戒部隊は主力部隊が連隊規模なら1個中隊が目安だ。敵から最も離れた位置に補給部隊や通信部隊などの後方支援部隊、予備部隊を置く。予備部隊の規模は25%から33%程度だ。連隊なら1個大隊程度、大隊なら1個中隊程度だ。
【感想】
中隊も大隊も連隊も「ファイア・アンド・ムーブメント」が基本であることには驚いた。また、予備を置くことが重要なことが、あらためてよくわかった。ただ、ウォーゲームだと、全部隊を一挙に投入した方がよく、予備を置く意義がないことが多い。
第3章 歩兵師団~軍
歩兵師団の規模:国や時期によって、バラツキがあるが、1万数千名から2万数千名だ。歩兵連隊4個か3個で1個師団になる。編制と戦術に密接な関係があった。4単位師団だと、2個連隊を前線に投入し1個連隊を予備にして、1個連隊を迂回させることができた。3単位師団だと2個連隊を前線に配置し、1個連隊を予備にすると他に打つ手がない。国全体で見ると3単位師団は4単位師団より増設が容易で作戦単位を簡単に増やせるため、戦略上の選択肢が逆に増える。3単位師団だと補給にかかる負担が軽いという利点もある。
諸兵種連合部隊である師団:師団の特徴は、諸兵連合部隊「コンバインド・アームズ」である点だ。歩兵師団隷下の砲兵連隊には、歩兵連隊と同じか一つ多い数の砲兵大隊が所属していた。1個大隊は他の大隊より長射程の火砲を装備しており、「全般支援(General Support:GS)」と呼ばれた。他の砲兵大隊は、各歩兵連隊に砲撃支援する「直接支援(Direct Support:DS)」と呼ばれた。
歩兵師団の工兵大隊には歩兵連隊と同数の工兵中隊が所属していた。戦闘任務に従事する工兵を「戦闘工兵」、建設任務に従事する工兵を「建設工兵」と呼ぶ。
その他、偵察部隊や通信部隊や補給部隊や整備部隊や衛生部隊もあった。
連隊戦闘団とカンプグルッペ:諸兵種連合部隊の師団ではあるが、各部隊のスムーズな連携は難しい。たとえば、歩兵部隊が砲兵支援を要請するとしたら、歩兵連隊長=>師団司令部=>師団長=>砲兵連隊長=>砲兵大隊長という形で命令が伝達されるが、これでは時間がかかり、状況の変化が激しい場合に的確な対応がとれない。そこで、歩兵連隊を基幹として工兵中隊や砲兵大隊を組み合わせた諸兵種連合部隊を臨時編成して戦った。アメリカ軍は「RCT(Regimental Combat Team」、イギリス軍は「ブリゲード・グループ(Brigade Group)=旅団群」と呼んだ。日本軍は「支隊」と呼び、ドイツ軍は「カンプグルッペ(Kampfgruppe)=戦闘団」と呼んだ。
歩兵師団の基本戦術:攻撃側は防御側のおよそ2~5倍程度の兵力を集中する。戦区の幅は約2~4kmだった。前線に2個連隊、予備に1個連隊だ。攻撃準備射撃が砲兵部隊によって始まった。第一次世界大戦では数日間の準備射撃が行われたが第二次世界大戦では数時間程度だった。
防御側の戦区は8~10kmだが、戦力が不足していると20kmの場合もある。1個連隊程度は前線から1kmほど後方に予備とする。1個連隊が幅4~5kmほどの戦区を担当し、前後3~4kmほどの縦深陣地を構築する。主人値の前方2~3kmに前哨陣地を置き、警戒部隊(小隊から中隊規模)を展開させ、地雷や対戦車壕や鉄条網などの障害物を配置する。警戒部隊のさらに前方10km程度の地域に大隊規模程度の前置支隊を置く場合もある。敵の砲兵部隊を目標とする対砲兵射撃をする。
対砲兵戦で優位に立った砲兵部隊は、近接戦闘部隊を制圧する。攻撃支援射撃では、射程を徐々に延ばして着弾地域を前方に移動させていく移動弾幕射撃を行うこともある。
師団を支援する軍団、軍直轄部隊:アメリカ、イギリス、ソ連、ドイツでは、師団=>軍団=>軍=>軍集団または方面軍あるいは正面軍を編成した。日本軍には軍団がなく、師団=>軍だった。
どのレベルでも「ファイア・アンド・ムーブメント」が基本だった。
p.73からp.78まで各国師団の編制が図示されていて参考になる。
【感想】
第二次世界大戦では、諸兵種が協調して戦わないといけなかった。諸兵種が連携しやすいようにするために、各国が工夫して部隊を編制していたことがよくわかった。その結果、支隊やカンプグルッペという形の臨時編成部隊が作られたのだ。考え方や組織のありかたについて、よくわかった。
第二部 機甲部隊
第1章 単車~戦車小隊
第二次世界大戦初期のフランス軍戦車は、車長と操縦手の2名だった。戦車間の連絡はハッチから突き出した手旗で行っていた。ドイツ軍は車長、砲手、装填手、操縦手、無線手の5名乗りで、砲塔には車長、砲手、装填手の3名が乗っていた。砲塔内に3名かそれ以下で、車長が指揮に専念できるか否か、戦闘力の大きな差になった。
ソ連も独ソ戦初期には砲塔内2名で無線機無しだった。米英は砲塔内3名だった。日本軍は大戦後期の一式中戦車頃から新砲塔搭載の九七式中戦車も含めて装填手が乗車するようになった。
戦車は行軍中は操縦手はハッチを開けて車体から頭を出して戦車を操縦した。車間距離は、同一小隊間は10~30m、小隊と小隊の間は50~100mだった。最後尾の戦車は的偵察機から轍を発見されないように路面を掃くための木の枝を付けていたこともある。
戦車はデリケートな兵器なので、3~4時間に1回程度小休止が必要だった。ティーガーIでは最初は5km、その後も10~15kmごとに整備休止が必要だった。50kmを超えるような移動の場合、戦車輸送車や鉄道を使うことが望ましかった。重戦車は戦場内の「戦術的な機動力」が低かっただけでなく、戦場に着くまでの「戦略的な機動力」が非情に低かった。
車長は戦闘時もハッチを開けて頭を出し、自分の目で周囲を把握して指示を与えた。操縦手は車長の指示に従って戦車を移動させた。敵戦車に対して自車の車体を斜めに置くことで、上から見たときに被弾経始で装甲が厚くなる。装填手は車長に指示された弾薬を主砲に装填する。
第二次世界大戦中の戦車は砲安定装置(スタビライザー)が付いていないので、停止射撃が基本だ。日本軍では戦車の走行中に目標を補足して停止と同時に発砲、その直後に走行再開する「躍進射」の訓練に力を入れていた。英軍は対戦車戦闘では走行中に射撃を行う行進間射撃が基本だった。
戦車部隊の最小単位は小隊で、3~5両だ。戦車小隊の戦いも基本は「ファイア・アンド・ムーブメント」だ。
前進は「交互躍進」と「逐次躍進」がある。「交互躍進」は第1部隊が射撃している間に第2部隊が第1部隊より前進する。「逐次躍進」は第2部隊が第1部隊と同じ線まで前進する。どちらにせよ1回の躍進距離は主砲の有効射程の半分程度にとどめる。
戦車小隊の防御陣地の幅はだいたい200~400mだ。
【感想】
戦車の砲塔内の乗員数の差が戦闘力の差に大きな影響を与えたことがよくわかる。Advanced Squad Leader(ASL)シリーズにもそれが反映している。ASLでSTやRSTは砲塔内2名以下の戦車のようだ。
第2章 戦車中隊~連隊
ドイツ軍は各戦車大隊は4個中隊編制で、第1~第3中隊はⅢ号戦車、第4中隊は「重中隊」としてⅣ号戦車が配備されることになっていた。戦術としてはⅣ号戦車が後方から対戦車砲や対戦車ライフルを持つ歩兵を制圧し、Ⅲ号戦車が前進して敵陣地を突破する、というものだった。
しかしⅢ号戦車やⅣ号線者の配備が間に合わず、Ⅰ号戦車やⅡ号戦車やチェコ製戦車が配備された。その後、Ⅲ号戦車の主砲が大きくなり長砲身化されて対戦車能力が上がってくると、全中隊が区別なく互いに支援し合って躍進するようになった。
p.105には堅陣突破用の特殊な隊形である「パンツァーカイル=戦車の楔」の図がある。
日本軍は連隊の下に中隊が置かれ、おおむね4個中隊編制だった。歩兵直協用の戦車だった。ドイツ軍は歩兵支援には専用の突撃砲をあてる構想だった。
日本軍戦車隊の戦術は、突撃の瞬間に歩兵を超越して歩兵に向けられる敵火力を急襲し、敵の機関銃や敵火点などを制圧する。続いて第二線の戦車隊が第一線の戦車を超越して敵陣地を縦深にわたって攻撃する。
イギリス軍は、機甲師団の下に機甲旅団があり、軽機甲連隊と重機甲連隊があった。第二次世界大戦の早い段階で改編が行われ重軽の区分は消滅した。
改編後の機甲連隊は、連隊本部および本部中隊と戦車3個中隊で編制され巡航戦車を主力としていた。
その他に軍直轄の戦車旅団があり、おもに歩兵師団の支援をしており、歩兵戦車を主力としていた。
巡航戦車は、敵戦線後方への突破や追撃用に開発された戦車で、装甲は薄いが機動力が高かった。
歩兵戦車は、歩兵直協を目的としており、速度は遅いが装甲が厚かった。
しかし、歩兵戦車に搭載された2ポンド砲(口径40mm)は、榴弾の用意がなく、中隊本部にわずかに配備されていた榴弾砲搭載のCS(Close Support)型戦車のみ榴弾が支給されていた。
歩兵大隊1個につき戦車中隊1個、歩兵中隊1個につき戦車小隊1個の割合で歩兵部隊に配属されていた。
歩兵大隊の直前に戦車中隊が横隊をクンで敵陣地に向かって波のように前進する戦術だった。
重装甲に守られた自走機関銃座兼自走対戦車砲といった運用だった。
アメリカ軍の場合、機甲師団の役目はおもに敵戦線の後方に進出して戦果を拡張することと考えられていた。
戦車大隊には、軽戦車大隊と中戦車大隊があった。
軽戦車大隊は、敵陣内の機関銃座の制圧や歩兵の攻撃前進の援護が任務で、中戦車大隊は敵陣地を突破して後方に進出し敵の司令部や砲兵部隊を攻撃するのが任務だった。
敵の戦車部隊が出現したらM10自走砲や牽引式の対戦車砲などを装備する戦車駆逐大隊を呼ぶ、という考えだった。
実戦ではM10は装甲が薄くて攻撃に使えず、M4の75mm砲は対戦車能力が不十分だった。
そこでアメリカ軍は、M4を対戦車能力が高い76mm砲装備と、支援用に105mm砲を装備する2タイプに進化させた。
ソ連軍は、独ソ戦開始時、各戦車連隊は重戦車大隊1個、中戦車大隊2個、軽火炎放射戦車大隊1個の4個大隊を基幹とする編制だった。
独ソ戦で大損害をこうむった後、戦車旅団に、戦車大隊2個、自動車化歩兵大隊1個を基幹にするようになった。
戦車大隊は、第1中隊がKV戦車、第2中隊がT-34戦車、第3中隊がT-26軽戦車だった。
これは戦術的な要求に基づいたものではなく、手元の兵力で可能な編制を導入したものだった。
その後、T-34戦車で統一されるようになった。重戦車は歩兵支援に使われるようになった。
ソ連はタンク・デサント(戦車跨乗)があった。
第一梯隊は、歩兵を乗せず敵の対戦車砲や機関銃を制圧し、第二梯隊に歩兵を乗せて突入路を切り開き、敵陣地に突撃して敵陣地との間合いを詰め、歩兵が降りて敵歩兵を攻撃する。
ソ連軍には兵員輸送用のハーフトラックのような車両が少なかったため、タンク・デサントで代用したのだ。
【感想】
第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期、戦車の使い方については、歩兵直協が当たり前で対戦車戦は、対戦車砲や対戦車銃で十分という考えだったようだ。日本だけでなくアメリカも含めてどの国も対戦車能力をあまり重視していなかったことに驚く。
歩兵直協用のイギリス歩兵戦車に榴弾が支給されなかったことは、ロンメルも不思議がっていたが、私も疑問でならない。
敵歩兵は歩兵戦車の機関銃と歩兵自身が対処し、対戦車砲の砲撃は重装甲で跳ね返せばいい、歩兵の敵は戦車だから歩兵戦車には対戦車能力があればいい、だから徹甲弾だけでいいだろう、と当時のイギリス軍は、いう発想だったのだろう。
だが、これは少し極端な思想だったようで、イギリス軍は血で贖うことになった。
同じく戦車を歩兵直協に使った日本軍では、短砲身だが威力の高い榴弾砲を搭載していたのだから、この点については、イギリスより日本の方が上だった、と言えるだろう。
ソ連軍のタンク・デサントは、カッコいいからそうしていたわけではなく、車両が少なかったからだったとは思わなかった。
第3章 機甲師団
戦車部隊と歩兵部隊が協同して戦うのが戦車戦術の基本中の基本だ。機甲師団は戦車、歩兵、砲兵、工兵といった様々な兵種の部隊で構成される「諸兵種連合部隊」だ。ここで問題になるのが速度だ。グデーリアン以前は、歩兵の速度に戦車が合わせてきた。グデーリアン以後は、戦車の速度にその他の兵種が合わせるようにした。ここが大きな違いだ。そのために歩兵や工兵は半装軌式車両に乗り、砲兵は自走砲や車両による牽引をした。とはいってもドイツ軍は、不完全だった。その点で第二次世界大戦中に理想型に達したのはアメリカ軍だけだった。
アメリカ軍のコンバットコマンドはA,B,Rの3個あったが、Rは予備の意味だ。
イギリス軍は機甲旅団に支援された歩兵旅団による平押しという基本戦術だった。
【感想】
私は、機甲師団といえば、戦車や自動車化歩兵で構成された単純な部隊だと思っていたが、そうではなくて諸兵種連合部隊だと知り、非常に驚いた。機甲師団の編制について、各国が各時期にそれぞれの戦術思想に基づいて編制していることがよくわかった。
第三部 砲兵部隊
第二次世界大戦時の砲には、迫撃砲または臼砲、榴弾砲、加農砲があった。
各師団に連隊規模の師団砲兵部隊が1個所属していた。任務としては敵の砲兵部隊と撃ち合う全般支援(General Support:GS)大隊と、各歩兵連隊に対する砲撃支援を行う直接支援(Direct Support:DS)大隊の2種があった。各砲兵大隊には4~6門の火砲を装備する砲兵中隊が3個所属していた。
DS大隊には、ドイツ軍やアメリカ軍が105mm榴弾砲、イギリス軍が25ポンド砲(口径88mm)、ソ連軍は76.2mm野砲、日本軍では口径75mmの野砲または山砲を装備していた。
GS大隊には、ドイツ軍やアメリカ軍が155mm榴弾砲、ソ連軍では152mmないし122mm榴弾砲、日本軍では口径105mmの榴弾砲または山砲が配備されていた。
ドイツ軍や日本軍は最後まで馬匹牽引ないし駄載だった。
砲兵部隊の行軍速度は、日本軍の場合、昼間行軍で自動車牽引で最大20km/h、馬匹牽引なら急行でも10km/hだった。灯火管制による微灯火の夜間行軍で自動車牽引で6km/h、馬匹牽引なら8km/hが標準だった。
行軍中の隊列の長さは、ソ連軍の場合、野砲大隊で1100m、砲兵連隊で3800mだった。
陣地占領に必要な時間はアメリカ軍の場合、105mm榴弾砲装備中隊で7~20分、大隊で40分~1時間ほどだった。155mm榴弾砲装備中隊では10~30分、大隊だと1時間~1時間30分かかった。夜間は倍だった。
観測所の開設や距離や方位角、高低角より射撃諸元を計算するのに、日本軍の砲兵連隊の場合、約11時間、大体の場合、約10時間必要だった。
屋根型鉄条網の完全破壊には、射距離5000mで7.5cmクラスの榴弾砲なら400発程度、15cmクラスの榴弾砲なら200発程度必要だった。
暴露状態の人員撃滅に要する砲弾数は、1ヘクタール(100m四方)あたり、7.5cmクラスで100~150発、15cmクラスなら40~60発、制圧するためには、7.5cmクラスで毎分15~16発、15cmクラスなら毎分5~6発の射撃を約3分間持続する必要があった。
交通遮断のためには、7.5cmクラスで1時間に約200発、10cmクラスでその8割程度の弾着が必要だった。
【感想】
具体的な数字が載っていて、イメージが湧きやすかった。砲兵の移動速度が予想以上に遅いこと、隊列が長くなることがよくわかった。逆に陣地占領に要する時間が意外に短いことに驚いた。諸元表を作るのに要する時間も私の予想より意外に短いと思った。また敵を撃滅したり制圧するために必要な砲弾数は、予想以上に多く必要だと思った。
この数字をもとにして、戦記を読み返してみたい。
第四部 実戦編
兵術用語には深い意味があり戦術上の原理原則がある。
時代や国によって用語が変化したり廃語になっていたりすることもあるが、きちんとした用語を理解しておくべきだ。例外はいくらでも存在することも忘れてはならない。
第1章 攻撃
戦闘を行う選択権は基本的に防御側にある。
防御側は有利な地形を選び、攻撃側を待ち受ける。見晴らしのいい丘や進撃路の両側を山が挟む隘路(あいろ)(ボトルネック)などだ。このような地形を「緊要地形」(Key Terrain)という。機甲部隊が戦力を発揮しにくい山地や荒地、深い森や河川を利用して防御陣地を築くことが多かった。それに加えて対戦車地雷や対戦車壕などの人工的な障害物を加えて、敵の接近経路を限定したり、攻撃方向を誘導したり、攻撃そのものを妨害する。
攻撃側は防御側が準備している地域のはるか後方に回り込むような機動を目指す。これが「迂回」だ。「包囲」は「迂回」と似ているが、防御側を包み込むような機動を目指す。「迂回」は攻撃側の選択した場所が戦場になるが、「包囲」は防御側が選択した場所が戦場になる。
遭遇戦では両軍がお互いに戦場を決めないまま戦闘が始まる。通常、部隊の移動時には主力部隊の前方に掩護部隊(Covering Force 略してCF)を置くので、CF同士で戦いが始まるのが普通だ。
攻撃側は迂回ができないときには「包囲」を狙う。「包囲」とは防御側の主力部隊を正面に釘付けにしながら主力部隊で防御部隊の側面や背後から攻撃し、退路を遮断して撃滅することだ。
防御側は側背に回り込まれないように自軍の翼側の部隊を横方向に展開させる「延翼」運動を行う。可能ならば逆包囲をかける。
突破とは、攻撃部隊が防御部隊の戦線ないし防御陣地を突き抜けることをいう。狭い正面に戦力を集めてキリで孔を穿つように集中的に攻撃を行う。
正面攻撃は敵の正面に幅広く攻撃をかけて持続的に圧力をかける。
側面攻撃や背面攻撃は防御側の側面や背面から攻撃を仕掛けることだ。
浸透(滲透)は小規模な部隊に分散して、防御側の陣地のすき間から後方に沁み出すように前進していく機動のことだ。第一次世界大戦でドイツ軍が初めて浸透戦術を組織的に使い、第二次世界大戦では日本軍が南方のジャングルで使った。
第2章 防御
「防御」とは敵の攻撃を破砕する行動のことだ。敵の攻撃を破砕しない単なる時間稼ぎは「遅滞」と呼ばれる。
防御側が戦場を選ぶ際、攻撃側が火力や機動力を発揮するのに不利で、防御側が火力や機動力を発揮するのに有利な地形を考える。攻撃側が攻撃せざるを得ない地形を選ぶ必要がある。相互に支援し合えるように部隊を配置する。地雷原や鉄条網などの障害と連携して配置売る。後方に機動力の高い予備部隊を確保する。
攻撃側が防御側の意表を突く時間、方向、方法で攻撃をかけることを「奇襲」という。
防御側は、早期に攻撃側の企図を見破って、戦力を的確に集中する。
陣地による火力を主体として防御を行う「陣地防御」と機動打撃を主体として防御を行う「機動防御」がある。西部戦線では、ドイツ軍が機動防御をしようとしても、連合軍が制空権を圧倒的に支配していたので、うまくいかなかった。東部戦線ではドイツ軍が制空権を持っていたので機動防御のチャンスがあった。
陣地防御では、3つの地域に分けて防御する。すなわち警戒部隊等を展開させて警戒を行う「前方地域」(前地)、主力部隊を配置して敵の攻撃を破砕する「主戦闘地域」(主陣地)、予備部隊や後方支援部隊等を配置する「後方地域」だ。
前方地域は状況に応じて掩護部隊、警戒部隊、全般前哨、戦闘前哨を配置する。
掩護部隊は主陣地から離れて主力部隊とは独立的に行動し、積極的に主力部隊の行動を援護する部隊だ。偵察警戒部隊は、敵部隊を警戒して接近を警報すること、敵部隊との接触を維持し敵情を解明すること、敵部隊による主陣地の偵察を阻止することが任務で、戦闘力よりも機動力や偵察能力に重点が置かれた。
全般前哨(General Outpost : GOP)の任務は敵部隊の接近を警報すること、敵部隊による主陣地の偵察阻止、遅滞などだ。
主戦闘地域の直前に、戦闘前哨(Combat Outpost : COP)を置く。敵の攻撃の警告、敵の観測射撃や直接照準射撃からの主陣地の援護が任務だ。
主戦闘地域には、地形を利用して相互に連携して支援できるように並列または重畳して配置する。
後方地域には、予備部隊、予備陣地、砲兵部隊、各種の後方支援部隊などを配置する。
戦闘時の防御側の火力運用は、遠距離から射撃を開始して早期に敵部隊を漸減するか、近距離から不意急襲的に集中射撃を行い一挙に撃破するか、の2通りの考え方がある。
「逆襲」には守備部隊単独で行う「局地逆襲」と予備部隊も投入する「主逆襲」がある。
攻撃の足がかりになる地点を「支撑点(しとうてん)」と呼ぶ。機動打撃を行う部隊は「警戒部隊」「守備部隊」「機動打撃部隊」の3つに分けられる。
第3章 追撃や離脱、遅滞行動など
攻撃目標を奪取した後は、「戦果拡張」に入る。防御側が後退を始めたら攻撃側は捕捉撃滅を目指して「追撃」する。単に敵対の後を追いかけるのは「追尾」だ。
後退行動には、交戦中の敵部隊との接触を断って行動の自由を獲得する「離脱」と、離脱完了した部隊がさらに敵から遠ざかる「離隔」の2段階がある。
退路の側面に陣取って退路への敵部隊の圧迫を排除するなどして離脱を援護するのが収容部隊の役目だ。
一般に防御部隊の損害が大きくなるのは、完全包囲された場合を除くと、後退時に壊乱状態に陥った時だ。
「遅滞」とは攻撃の粉砕を目的としない単なる時間稼ぎを指す。
【感想】
図や解説がとてもわかりやすい。Squad Leaderシリーズ、Advanced Squad Leaderシリーズ(ASL)やAdvanced Squad Leader Starter Kit(ASLSK)シリーズや、作戦級陸戦ゲームをプレイする際、とても参考になる。
第二次世界大戦当時のAFVや砲兵器などの開発思想が当時の戦術思想に基づいていたことがよくわかる。現代の視点で見ると、「?」となる兵器の要目も、こういう戦術思想から、そういう設計になったのだ、と納得できる。
もっとよく読んで陸戦ウォーゲームのプレイに活かしていきたい。

