Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

【参考書籍】関口高史『誰が一木支隊を全滅させたのか』光人社NF文庫(2025/02/20)

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 かなり挑戦的なタイトルの本だ。

 青文字で感想を、黒文字で本書の概要をまとめてみた、

 読み始める前の私が持っていた印象は、一木支隊長は、支那事変のきっかけになった盧溝橋事件を起こし、結果的に大東亜戦争の敗戦につながる歴史的な人物で、ガダルカナル島に上陸した米軍に、ただ闇雲に突っ込んでいった愚かな指揮官、というものだった。

 今さら、何を掘り下げる必要があるのだろうか、と思って読み始めた。

 第一章では、一木支隊長の生い立ちからミッドウェー作戦参加までだ。そもそも一木は、「いちき」ではなく、「いっき」と読むそうだ。盧溝橋事件では、「本当に攻撃してよろしいんですね?」と、当時の上司だった牟田口連隊長に確認してからの行動だった。

 ちょっと私の印象が変わってきた。

 

 第二章では、ミッドウェー作戦に参加したが、空母4隻の損失を受けての作戦中止により、ガダルカナル島に派遣するまでの彷徨を記してある。

 1942年(昭和17年)8月7日にアメリカ軍がガダルカナル島に上陸した際、翌8月8日に陸海軍連絡協議会で、陸軍部隊投入の是非が議論された。その中で、ガダルカナルを奪還したいところだが、一木支隊を投入して失敗したときはどうするか、日本軍の船舶及び兵団の損耗を考えると、争奪に力を入れるべきか一歩退いて領有確実な地点の防衛強化に尽くすべきか、と軍事課長西浦進大佐が言ったそうだ。

 そんな冷静な人も日本陸軍にいたのだなぁ~~

 それを服部作戦課長が、先制が大事だ、敵情不明な場合は遅疑逡巡することなく戦力を直ちに投入するのが常套だ、といって押し切ったらしい。

 敵情が不明なら戦力投入ではなく偵察するのが最初だろう。これが戦争のプロの発言だとは思えない。

 

 第三章では一木支隊長が厳しい条件を受容した理由を史料をもとに考察している。悪名高い辻中佐がポートモレスビー攻略を命令偽装して実施させた。

 もちろんこれは大問題だが、日本陸軍は辻中佐の独断を追認し処分を受けることがなかったし作戦が中止されることがなかった。辻中佐の独断を処分していたら、ずいぶんと多くの人命が失われずにすんだだろうに・・・

 8月7日にツラギ、ガダルカナルにアメリカ軍が来襲したとき、日本軍は既に輸送船25隻=1個師団相当、と把握していた!!

 与えられた兵力でいかに効率よく任務を達成するかが参謀の腕、第一線の軍が兵力の増強を要請することは心情としてできない、というのが当時の心情だったようだ。

 とても戦争をするプロとは思えない。勝つためにどれだけの兵力や兵種や資源が必要で、いつそれらをどこに投入するか、を考えるのが参謀だと思う。日本軍は軍事のプロ集団ではなく悪い意味の官僚に陥っていたのだなぁ・・・。

 二見参謀長は、上空からの援護が無い中、一木支隊のような小兵力を派遣しても意味がない。歩兵第三十五旅団と空母二隻でガダルカナル島を奪還するのが適当で、今は海軍設営隊を救出するだけで島を放置してポートモレスビー攻略に集中するのが筋、と言ったそうだ。

 敵一個師団に対して一個旅団で足りるのかは疑問だが、冷静な判断を下す参謀もいたのだなぁ。後に二見参謀長は二個師団と野戦重砲五個連隊と十分な弾薬と航空部隊の協力がなければ闘うべきではない、と主張し、更迭されたそうだが、彼の主張が本来の戦争のプロの主張だと思う。

 一木支隊は「敵情偵察」としてガダルカナル島に上陸することになった。

 だが、その後、上陸第二日目の夜、銃剣突撃をもって一挙に飛行場へ突入する、と作戦の基本方針が決まった。こうして、まともな敵軍情報も地図もなく、ろくな航空支援を受けずに、一個師団が待つガダルカナル島へ一木支隊が上陸することになった。

 

 第四章では、ガダルカナル島上陸後の一木支隊を調査している。1942年8月18日午後9時、一木支隊がガダルカナル島にじょうりくを開始した。敵情がわからないので将校斥候群を送った。ただ闇雲に突っ込んだわけではなかったのだ。対南方戦闘法、つまり密林戦を本格的に日本陸軍が研究し始めたのは、昭和17年に入ってからだった。将校斥候群はまもなく全滅した。アメリカ軍は、日本軍を一人一人とどめを刺して、航空写真や暗号書なども持ち去っていた。アメリカ軍は日本軍から鹵獲した要図に米軍の配備状況が正確に書き込まれていたことに驚いた。これは驚いた。日本軍は敵情を何も知らされずに前進した、と言うが、アメリカ軍は日本軍が正確に知っていた、という。どちらが真実なのだろう?それにしても将校斥候群が全滅した時点で、一旦停止し後続を待つまで情報収集に集中すればよかったのではないだろうか?

 8月19日夕方、一木支隊は行軍即捜索即戦闘を決めた。これ以上損害を出すわけにはいかないしじっくり斥候を出している余裕もないからだ。

 

 第五章は一木支隊の全滅の状況をまとめている。

 

 第六章では、一木支隊全滅の教訓が生かされなかったことについて考察している。飛行場奪回に失敗したのが敵情見誤り、作戦上の失策だと統帥に過誤があったことになり、本格的反攻ではない、と天皇に上奏した杉山参謀総長の顔に泥をぬることになるから責任を一木支隊長のせいにするしかない、となっていった。また、ガダルカナル戦が敗勢濃くなると、長年の陸海軍の対立によりメンツを重んじ弱音を吐くことを抑制し一方が撤退の意思を表明するまで、他方は絶対にその態度を見せまいとする傾向が顕著だった。官僚主義に陥った日本陸海軍がガダルカナル島の犠牲を生んだことがよくわかる。

 終章で、関口高史氏は、日本軍が「任務重視型」軍隊、米軍が対極にあり「情報(環境)重視型」軍隊として、対比している。「任務重視型」軍隊では、「与えられた戦力で与えられた任務をいかに遂行するかを第一に考える」。一木支隊は戦いには負けたが、支隊長の統率は成功した。

 この対比はわかるようでわからないところもある。「与えられた戦力で与えられた任務をいかに遂行するかを第一に考える」。というのはわかるが、米軍だってそこはそうだと思う。ただ米軍は情報を正確に上に上げることをよし、としており、日本軍のように上が喜ぶ情報だけ上げるようなことは、日本軍ほどはしていなかっただろう。また米軍の軍上層部や参謀は、勝つために兵力や補給料がどれだけ必要か考え、それらをどうやってどんなタイミングで投入するかを考える軍隊だった、と言えるだろう。

 

 一木支隊の敗北は教訓を抽出されることなく、単に封印された。

 

 確かにガダルカナル島奪回失敗の責任を、一木支隊長が一身に負わされたのは、本書を読んでよくわかった。この封印を解いて、未来の日本に生かすことが大事なことだ、と思った。

 

 この本のタイトルの質問への回答は、関口高史氏は直接は答えていない。私の答えは、目的と手段をはき違えて官僚主義に陥った当時の陸海軍の将官や参謀が、自分達のメンツのために一木支隊を犠牲にして全滅させた上、責任を押しつけた、と思った。

 未来の日本でこのような組織が現れないことを祈るばかりだ。