Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

【ムック紹介】『Uボート戦全史』 歴史群像第二次欧州戦史シリーズ23 学習研究社 (2004/09/15)

Amazonへのリンク


f:id:Haruichiban0707:20250620220238j:image


f:id:Haruichiban0707:20250620220247j:image

 

 

 

 写真やイラストやCGやわかりやすい解説記事で、Uボートの戦いがよくわかるお勧めのムックだ。

 ウォーゲームのデザインをしたり、ウォーゲーマーでもある方々が書(描)いているので、豊富な戦況図や写真やイラストや戦闘序列などが、ウォーゲームの参考になる。

 

p.13 灰色狼の残影 現存Uボート徹底紹介 斎木伸生、角田昌夫

 現存するUボートの写真と解説だ。VIIC型は、ドイツ・ラボエで地上展示しているので艦底も見える。XXI型はドイツ・ブレーマーハーフェンに展示してある。日本でいう甲標的や回天に相当するような小型潜水艇も残っている。Uボート基地だったフランス・ロリアン・ブンカーも残っている。

 

p.29 なぜUボートだったのか 文/田村尚也

 ドイツは、地政学でいうところのランドパワーだ。イギリスはシーパワーだ。ランドパワーは土地に依存するが、シーパワーは海上貿易を中心とした商業活動で利益を上げるので土地に執着しない。シーパワーの海軍力は、制海権の確保と商船護衛が重要になる。ランドパワーの海軍力は海上交通路が存在しないので、自国の沿岸警備と敵対する海洋国家の制海権確保の妨害、通商破壊戦をするための海軍力となる。

 第一次世界大戦まではドイツはイギリスに負けない海軍力を作ろうとしたが、第二次世界大戦ではそんな大海軍を作る時間がなく、不十分な戦力しかないUボートでの通商破壊戦しかできなかった。ランドパワーの海軍としてはまっとうな戦いだったといえる。

 

p.37 Uボート作戦史 文/佐藤俊之

 Uボート艦隊の誕生から敗北までを写真と文でわかりやすく解説している。

 第二次世界大戦勃発時、デーニッツは、イギリス屈服のために必要なUボート数を300隻と算出していた。作戦中のものが100隻、整備中のものが100隻、作戦海域へ移動中のものが100隻だ。実態は、わずか56隻だった。このうち大西洋に出撃可能な艦はわずか22隻だった。デーニッツはイギリスを屈服させるには月平均70万トンの輸送船を沈めることが必要と算出していた。

 1939年9月から1940年春までの半年で、Uボートは80万トンの戦果を上げた。

 1940年6月から42年はUボートの黄金期だった。1942年6月と11月には70万トンを超える戦果を上げた。しかしアメリカの参戦で70万トンでは足りなくなることは必至だ。

 1942年から43年にかけて、連合軍は護衛空母を船団護衛につけたり、暗号解読の精度と速度を上げて、Uボート狩りを進めていく。1943年には攻守が完全に逆転した。

 敗勢が濃くなったドイツは、XXI型を建造し対抗しようとしたが、XXI型は機械トラブルがあり実戦に参加せずに終わった。

 

p.68 [資料]Uボートの戦果/建造・損失数グラフ 解説/白石光

感想:Uボートの戦果や建造数や損失数がわかりやすいこのグラフはとてもいい。

 

p.77 Uボート型識別徹底 文/廣田厚司

 II型=>IIB(小型沿岸ボート「丸木舟」)

 VIIB(最多建造数を誇る通商破壊戦の主役となった攻撃型航洋艦)

 IX型(航洋型潜水艦)

 X型(機雷敷設用潜水艦)

 XIV型(補給戦用Uボート「乳牛」(Milchkuh=ミルヒ・クー))

 XXI型(最新鋭航洋型エレクトロ・ボート)

 XXIII型(沿岸型エレクトロ・ボート)

 

 模型の写真を使って、読みやすくて、わかりやすい文章で、解説している。

 

p.117 Uボートの味方、そして敵 文/白石光

 仮装巡洋艦やSボート(高速魚雷艇)やFw200コンドルなどのUボートの味方を写真付き解説でわかりやすい。

 ロッキードPV1ベンチュラ、コンソリデーテッドPBYカタリナなどの航空機、爆雷や機雷、護衛艦、スクィッドやマウストラップ、ヘッジホッグなどの対潜兵器などを写真付きで解説している。

p.130 Uボート&潜水艦映画ベストセレクション 文/白石光

 ①『U・ボード(Das Boot)』(1981)(西ドイツ)

  もともとはテレビ特別ドラマだったのが評判が良くて劇場用映画になった。

  Uボートでの緊迫感が伝わってくる名作映画だった。

 ②『U47出撃せよ(U47-Kapitanleutnant Prien)』(1958)(西ドイツ)

 ③『鮫と小魚(Haie und Kleine Fische)』(1957)(西ドイツ)

 ④『眼下の敵(The Enemy Below)』(1957)(アメリカ)

 ⑤『U571』(2000)(アメリカ)

 白石光氏のお薦めは①=>③=>②=>④=>⑤だそうだ。

 

p.133【イラスト図説】Uボートの作戦~出撃から攻撃、狼群戦術まで~ イラスト・文・構成/樋口隆晴 

 出撃、哨戒・接敵、攻撃、狼群戦術をイラストと写真と図と文で解説していてわかりやすい。

 

p.141 [完全図解]Uボートのメカニズム 文・監修/大塚好古

 船体構造、潜航・浮上の仕組み、機関、センサー、兵装を図と写真と文でわかりやすく解説している。

 

p.157 Uボート部隊の真の敗因 文/佐藤俊之

 ドイツ軍はUボートを1020隻就役させて、715隻失った。p.159のグラフによると、観戦240隻、航空機による攻撃で303隻に上る。観戦と航空機の共同攻撃が12隻だ。地上での損失305隻も多い。

 連合軍が船団護衛の方法を演習とオペレーションズ・リサーチによって研究史、その技術が現場の航空機や駆逐艦に浸透した。連合軍の技術開発の速さと、作戦に投入される戦力の質量両面での充実にあり、膨大なマンパワーであった。

 

p.162 「Bディーンスト」VS.「ブレッチェリー・パーク」 文/廣田厚司

 連合軍とドイツ軍の情報機関の死闘を解説している。

 

p.166 Uボート乗組員よもやま話 文/白石光

 出撃と帰還時に最初の頃は女性が見送ったり出迎えていた。

 真水と皮膚病感染に苦しむUボート乗組員。

 糧食の悩みも具体的だ。

 

p.168 日独を結んだ「深海の連絡便」 文/白石光

 日独間で潜水艦によって往来した。日本からドイツへは5隻が送り込まれたが、往復に完全に成功したのはわずか1隻だった。シンガポールまで帰ってきたのは2隻で、そこから日本本土に向かう途中で沈められた。

 イタリアから日本へは7隻の潜水艦が準備されたが、5隻のうち3隻が日本の勢力圏に到達し360トンの軍需物資を日本に引き渡した。2隻は沈められ、2隻はイタリア降伏のによりドイツ軍に接収された。

 ドイツからIXC型のU511(呂五〇〇)とIXC型のU1224(呂五〇一)が日本に供与された。

 

p.170 幻の「V2発射Uボート」計画 文/廣田厚司

 現代の弾道ミサイル搭載潜水艦の元になるようなアイデアを既にドイツは試作しようとしていたが実験までには至らなかった。