Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

「ウォーゲームで歴史に思いを馳せる」の記事を読んでて思ったこと

DSSSM(松浦豊)さんの下記リンク先の記事を読んだ。

dsssm.blog.fc2.com

満洲事変を起こした石原莞爾を、もし本当に「日本国民が賞賛したことが原因で、陸軍が石原莞爾などを処分できなかった」のだとすると、なぜ日本国民が満洲事変を賞賛したのか、検討しないといけないと思う。

その一つの答えが当時の当たり前だった白人による黒人やアジア人に対する差別に対する戦いだったからではないだろうか。第一次世界大戦後、人種差別撤廃案は、否決され、アメリカでは白人以外の移民が排斥される法律が成立した。有色人種が差別されるのは当たり前であり、当時の日本人の心の中に溜まっていったと思う。

mk2kpfb.livedoor.blog

また、満洲は、「中国東北部」ではなかった。漢民族が中国と「化外の地」の境界線と認識していた万里の長城の外だった。そして、辛亥革命で清が倒れ、満洲族の統治が行き届かなくなった満洲は、馬賊が跋扈する無主の地になっていた。そこを関東軍満洲事変を起こし一挙に満州国を建国したのだから国民が賞賛したのだろう。そして、「タテマエ」かもしれないが、日本人・漢人朝鮮人満洲人・蒙古人による五族協和と王道楽土を標榜したのだ。一方、アメリカは、白人以外の移民を制限した法律を成立させていて、国内では、白人以外をはっきりと差別していたのだ。

 

そんなことを考えると、日本国民が満州事変を賞賛したことや、国力が圧倒的に違う米英に戦争したのも、しょうがなかったのかなぁ、と思ったりする。後世の我々が当時の状況をよく理解せずに「けしからん」と判断するのではなく、当時の状況をよく知り、当時の状況の中で生きていたらどう考え、行動するのか、考えることが歴史を学ぶことだと思う。