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本書では、大木毅氏が学者というよりノンフィクションライターの書き方をしている。
アメリカとの戦いを始めたポイント・オヴ・ノーリターン(引き返し不能点)が日独伊三国同盟という人が多い。日独伊三国同盟締結に至るまでの歴史を描いたのが本書だ。
サブタイトルに『「根拠なき確信」と「無責任」の果てに』とあるが、確かにその通りだ。
独裁者が権力を握っていたドイツやイタリアやソ連は、国家の意志決定はその独裁者達だ。
民主主義国のアメリカやイギリスやフランスでも国家の意志決定者は、それぞれの役職者だと明確だ。役職者に情報が集まり、役職者の指示に従い下の人達が動く。
日露戦争までの日本もそうだったと言っていいだろう。
だが、大東亜戦争に入るときの日本は違う。
満洲事変は関東軍の陰謀で始まり、彼らは罰せられなかった。支那事変も何だか曖昧な始まり方で後戻りできなくなった。
日独伊三国同盟も、第二次世界大戦でのドイツ軍が調子がいい時に松岡外相や陸軍中堅将校達に引きずられて締結している。
本書を読んで、日本の意志決定方法、責任の所在の曖昧さ、下克上体質、社会の空気が、最悪の形で現出したのが、日独伊三国同盟であり、米英蘭との開戦だったという思いをまた強くした。
他の国の戦争指導は、独裁国家の独伊ソでも、民主主義国の米英仏でも、国家元首に情報が上がり、国家元首が指導する。その間、将軍と意見の違いがあり衝突することもある。だが、最終的には国家元首が判断を下し、将軍達はそれに従う。将軍が従わない場合、国家元首が将軍を罷免する。
しかし日本の場合、国家元首である天皇は憲法上の主権者ではあるが、実質的には意見を言えない象徴だった。首相は陸相や海相に遠慮しており、陸相や海相は中堅達に遠慮していた。中堅達が上層部と異なる行動をとっても中堅達を罷免できなかった。
だからますます中堅達が下剋上体質になっていき、戦争で禁手の両面作戦をやってしまった。中国との戦争中なのに米英蘭と戦争を開始した。陸軍大国のソ連でさえ、両面作戦を避けるために日ソ中立条約を結んだのにだ。
この頃の日本は、アメーバが仮足を自在に動かすように、中堅達が周囲に勝手に軍を動かしていった。アメーバに意志があるかわからないが、当時の日本には中枢の意志を無視して軍が敵を求めて動いてしまっていたことが、本書を読んでよくわかる。
学術書より読みやすく、論文並みに史資料を調べて書いているので正確な本書はお勧めだ。