コマンドマガジン第133号の山内克介氏の『知られざる戦場:メッツ1944』に基づいてマップ上で史実を再現してみたい。
第1ターン(1944/11/8)
ヘクス1528を第26歩兵師団が、ヘクス1426を第35歩兵師団が攻撃し、前進した。
ヘクス1627に後退したドイツ軍は第4ターン(1944/11/11)までここを持ちこたえた。
第2ターン(1944/11/9)
アメリカ軍第4機甲師団がヘクス1924のロダルブまで進撃したが、ドイツ軍第11装甲師団の反撃に合い第6ターン(1944/11/13)には後退した。
第80歩兵師団はヘクス1325から渡河した。
第3ターン(1944/11/10)にはヘクス1322 1323 1423のデルメ丘陵を落とし、第7ターン(1944/11/14)までにニド・フランセ川を越えモランジュ(ヘクス2027)側面に達した。
第6機甲師団はファルクモン(ヘクス1819)を目指し、第6ターン(1944/11/13)にはヘクス1521でニド・フランセ川を渡河した。
しかし、ドイツ軍第21装甲師団と第36VG師団に阻まれた。
第20軍団第95歩兵師団がヘクス1010 1011を第8ターン(1944/11/15)までに占領した。
主攻の第90歩兵師団はヘクス1307から攻撃した。
ヘクス1209のケーニヒスマッヒャーを第5ターン(1944/11/12)までに占領した。
アメリカ軍最精鋭の第5歩兵師団はヘクス1022から渡河した。
アメリカ軍第83歩兵師団は常時非補給としているルール11.62をいつも忘れていたことに今気づいた。
第10機甲師団は第11ターン(1944/11/19)にボンマレー(ヘクス1216)で第5歩兵師団と出会い、メッツを包囲した。
また一部がヘクス1612のブゾンビルに到達したが、目前で橋を爆破された。
ただ、このゲームのルールだと同一師団効果を使えなくなるこのようなユニットの使い方はあまりしないだろう。
メッツ攻略部隊の第95歩兵師団は第7ターン(1944/11/14)からヘクス0816ジャンヌ・ダルク堡塁の攻撃を開始した。
第8ターン(1944/11/15)には第5,90歩兵師団もメッツ攻略に参加した。
SS38装甲擲弾兵連隊は800人まで激減し、守将のキッテルに無断で総統命令で退却した。
第14ターン(1944/11/21)にキッテルは第95歩兵師団の捕虜となり、第15ターン(1944/11/22)にメッツ市占領が宣言された。
実際にはヴェルダン堡塁(0818)が第19ターン(1944/11/26)、ドリアン堡塁(0817)が1944/12/8、ジャンヌ・ダルク堡塁が1944/12/13まで抵抗した。
第8ターン(1944/11/15)ヘクス2022モランジュからドイツ軍が撤退した。
第13ターン(1944/11/20)までドイツ軍第36VGがファルクモン(ヘクス1819)を守り抜いた。対岸にあるヘクス1619の高地に撤退するまで戦ったのだ。
デューズ(ヘクス2125)も第13ターン(1944/11/20)に、撤退するまで守り抜いた。
この街の南にあるエタン・ド・ランドル湖はアメリカ軍にダムを決壊され3倍に広がっていたらしい。
第14ターン(1944/11/21)にヘクス2827ザールボウグを、ゲームには登場しない戦線の、アメリカ軍第15軍団に占領された。
第16ターン(1944/11/23)には、第4機甲師団はヘクス2623でザール運河を渡河し、ヘクス2725でザール川を渡った。ゲームに登場しない第15軍団第44歩兵師団と手を繋いだ。
バルジの戦いのために温存されていたドイツ軍装甲教導師団が、ザール・ウニオン(ヘクス2822)、ザールボウグ(ヘクス2826)への反撃に投入された。
第25装甲擲弾兵師団も投入されたが、アメリカ軍第4機甲師団、第26歩兵師団の反撃により、第20ターン(1944/11/27)にはザール・ウニオン(ヘクス2822)まで後退した。
その日、装甲教導師団はバルジの戦いのために取り上げられた。ゲームではそれは再現されていない。
ザール・ウニオンは第22ターン(1944/11/29)から攻撃し、第24ターン(1944/12/1)にアメリカ軍が占領した。
第6機甲師団と第35歩兵師団は第16ターン(1944/11/23)、ヘクス2118(ヘリマー)、第20ターン(1944/11/27)、ヘクス2418(マルバッハ)まで到達したが、攻勢限界点に達した。
第80歩兵師団も、第21ターン(1944/11/28)にヘクス2317(ST.アボルド)に達するのが精一杯だった。
第20ターン(1944/11/27)、第10機甲師団はオルショルツ陣地線のヘクス1406,1507に食い込んだ。
ヘクス2213ザールルイスはゲーム終了後の1944/12/3に奇襲占領されるまで持ちこたえた。
なるべく史実通りにマップ上で再現しようとしたが、なかなか難しい。
そもそもユニットごとにいつどこにいたか記述していないし、特に負けた側は記録している余裕がなかっただろう。
戦況図で雰囲気をつかむくらいしかできないのだ。歴史はわからないことだらけだ、ということを改めて、理解できた。
それでも今回のヒストリカル・ノートは、このゲームのマップとターンに基づいており、今まで読んだヒストリカル・ノートでは一番わかりやすく有益だ。
あらためてマップ上にユニット並べて史実がどうだったか調べてみたくなる。