日本史もののシミュレーション・ゲームは昔エポック社の『関ヶ原』をずいぶんプレイしていた。それ以外は全くやっていなかったが、今回、季刊ウォーゲーム日本史第7号『長篠・設楽原合戦』(国際通信社)を入手した。
ルール・ブックはわずか4ページ。ユニットは徳川軍9個、織田軍30個、武田軍15個。カードが30枚。地図はヘクスではなく28個のエリアに分かれている。これが流行りのエリア・インパルス・システムでありカード・ドリブン方式というのだろうか?
手順は以下のとおり。
1)カード補充フェイズ
2)武田軍カードプレイフェイズ
以下の中からいずれか一つを実行
(1)武田軍1グループ移動
(2)捨て札の自軍イベント実行
(3)パス
3)連合軍カードプレイフェイズ
以下の中からいずれか一つを実行
(1)徳川軍ユニット1グループ移動
(2)増援プールからランダムに織田軍5個を茶臼山エリアに配置
(3)捨て札の自軍イベント実行
(4)パス
4)戦闘フェイズ
5)判定フェイズ
いきなり驚いたのが、移動方法。囲碁・将棋・チェスは1度に1駒しか動かせないが、ボード・ウォー・ゲームでは1度に好きな数だけユニットを動かせるのがほとんどだ。それが「1グループ移動」である。「このゲームは将棋かよ!」と思ってしまった。
史実では、酒井忠次が、迂回して鳶ヶ巣山を攻撃したが、迂回するのに何ターンかかるのだろうか?
もう一点驚いたのが、ターン・レコード・トラックがないことだ。「今がいつでいったいいつ終わるのだろう?」と思った。カードの山から順番にカードをとっていき、そのカードがなくなるとゲーム終了である。最初に3枚ずつ持っているので、カードの山には24枚。1枚は長篠城の士気。1枚は雨カードですぐ出してそれとは別にまた1枚とるので、残り22枚。つまり11ターンということだ。
ゲーム・スケールは記載がないが、マップは、おおよそ東西5km x 南北3kmの範囲のようだ。多少デフォルメしてある。1ユニットは約1000人のようだ。1ターンがどのくらいの時間なのかはよくわからない。
戦闘結果表はなく、サイコロを振って、ユニット上の戦闘力以下の目を出すと、相手に損害を与える。アバロン・ヒルの『太平洋の覇者』(Victory In The Pacific)や『英独大西洋の戦い』(War At Sea)の戦闘システムのようなものだ。損害は武田軍はステップロスで裏返す=>除去。織田・徳川連合軍は即除去される。
勝利条件は、長篠城を陥落させるか、織田信長、徳川家康、武田勝頼の首をとるとサドンデス勝利。サドンデス勝利でなければ、長篠城を包囲・落城させるか、ユニット除去の数によって勝者が決まる。
鉄砲隊の威力は、戦闘フェイズに反映されており、まずは鉄砲隊の攻撃を解決し、その後、騎馬隊/足軽隊の戦闘解決となる。鉄砲隊の攻撃で損害を受けると、次の騎馬隊/足軽隊の戦闘の時に戦力が減少している。
カードによって、移動できるグループ数が増えたり、馬防柵効果で武田軍の戦闘力が減ったり、大将の出陣で戦闘力が増えたりする。
この戦いは、昔は織田軍が鉄砲3000挺で三段撃ちした、と言われていたが、最近の研究では三段撃ちは否定されている。3000挺というのも多過ぎてせいぜい1000挺と言われている。このゲームは鉄砲1000挺としているが、バリアントユニットとして鉄砲3000挺の場合のユニットも用意されている。
また、この戦いでは、数が少ない武田勝頼が、馬防柵で守る織田・徳川連合軍になぜ突撃したのかが、いろいろな説が出ている。長篠城を落とせないなら織田・徳川連合軍と野戦などせず引き揚げればよかったのだ。裏切り者の長篠城城主奥平貞昌以下500名が立て籠もる長篠城を、1万5000名で囲んで落城させることができず、後詰めの織田・徳川連合軍が来たので撤収したら、武田勝頼の面目丸つぶれで、奥平貞昌以外にも裏切り者が多数出る可能性は、大いにある。しかし、1万5000名対3万8000名である。約2.5倍の敵に正面から突撃するのはどうだろうか?鳶ヶ巣山が落ちたので背後の逃げ道がなくなった、というのはわかるが、だからといって織田・徳川連合軍主力に正面から戦いを挑むのはどうだろうか?
このゲームをプレイしたら、その謎に迫り、解明できるのではないだろうか。
1時間以内に終わるゲームらしいのでちょっとした空き時間に気軽に楽しめそうだ。