織田信長、徳川家康、武田勝頼は、史実ではどう兵を動かし、どんなカードを切ったのか、国際通信社のウォー・ゲーム日本史第7号『長篠・設楽原合戦』のルールとマップ上でなるべく再現してみた。
初期配置
史実ならこの時点で徳川家康は黄金原に着陣してないから既に史実通りには再現できない。(笑)
第1ターン
カード01「早駆け」で2グループ移動して長篠城を包囲した。
山県、信廉、原、穴山、望月のグループと、馬場、内藤、土屋、河窪、信豊のグループに分けて移動。
連合軍は織田軍5部隊茶臼山に集結。5部隊ずつなので30部隊集結するためには5,6ターンかかる。
第2ターン
織田軍集結継続。長篠城では戦闘中。
第3ターン
史実だと織田信長が岐阜出陣だが、ゲームでは、織田軍さらに集結継続。
第4ターン
織田軍集結継続。20部隊まで来た。
第5ターン
史実だとこの頃、織田信長も徳川家康も岡崎で会議中。ここでカード001「家康の恫喝」カード。織田軍25部隊集結し、10部隊が前進。
第6ターン
カード021「鳥居強右衛門の叫び」を連合軍が出して長篠城の士気が1上がると、移動が間に合わないので、武田軍がカード021「鳥居強右衛門磔」を出して長篠城の士気1下がる。
織田軍はようやく全軍集結完了。
史実だと信長、家康、岡崎発、牛久保着陣。
第7ターン
カード006「連合軍3グループ移動」
徳川軍2グループ、織田軍1グループ移動。
酒井と平岩は鳶ヶ巣山に行けるように、豊川北岸に残す。史実だと酒井と金近が鳶ヶ巣山に向かったが、このゲームでは、織田、徳川は同一グループにできないので徳川軍だけで鳶ヶ巣山に向かう。
武田軍は別グループだと移動大変なので包囲を解いて長篠城に集結する。
史実だと信長、野田着陣。
第8ターン
武田軍は長篠城に5部隊集結。
カード012「連合軍3グループ移動」
織田軍2グループと酒井隊の3グループ移動。
史実だと信長、家康、茶臼山着陣。
第9ターン
武田軍はカード026「早駆け」で2グループ移動。
カード025で織田軍2グループ移動
史実では武田軍は軍議し、この後、移動したが、ゲームだと間に合わない。
織田軍全軍集結。
史実だとこの頃から馬防柵工事しているはずだが、ゲームでは、馬防柵カード出すと動けない。
第10ターン
カード023「雨」
史実では長篠の戦い前夜に雨が降ったので、ここで「雨」カードをひいたものとする。
武田軍はカード016「勇猛、武田勢」で2部隊移動し集結。
織田軍はカード020「馬防柵」で3エリアに馬防柵構築。ルールでは、馬防柵カード出した後、馬防柵がその後のターンも有効なのか記載がないが、ここでは勝手に馬防柵は残るものとします。
第11ターン
カード014「大攻勢」で武田軍全軍突撃
連合軍は、カード027「鉄砲の威力」を使いたいがそうすると鳶ヶ巣山攻撃できないのでここは鳶ヶ巣山隊移動。
武田軍の突撃は小河川越えなので-1。
さらに馬防柵があるので-1。
もしそうなったら武田軍はかなり不利になる。
織田全軍集結には5ターンから6ターンかかり、その間他の活動ができないし、長篠城が落城する可能性が高い。
ヒストリカル・シミュレーション・ウォー・ゲームは、歴史を必ずしも再現するものではないので、史実通りにいかないからといって、ゲームの価値が下がるものではない。
このゲームは、確かにヒストリカルな動きを再現はできない。
しかし、長篠・設楽原合戦の雰囲気を伝えていて、面白いことは確かだ。