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季刊となり、判型も変わって再出発した『タクテクス』誌の第5号だ。
特集は『日米海戦1941』
翻訳ルールはVG『キャリアー』(Carrier)(中)
付録ゲームは伏見素行氏デザインの『ソロモン空母戦』と瀬戸利春氏の連載記事『作戦級ゲーム入門』に付いてきた『カーン攻防戦』だ。
しかし月刊の時は中とじだったのでホチキスを開いてページを分離できたが、季刊は平とじなのでページを分離できない。コピーするときにすき間ができて光が入ってうまくコピーできないのが残念だ。もう1冊買ってページをばらしてください、ということか?
p.4 太平洋戦争三態 瀬戸利春
HJ『太平洋艦隊』(Pacific Fleet)、SPI/HJ『太平洋戦争』(War In The Pacific)、VG『Pacific War』の3ゲームを比較している記事だ。
サイズ、地形、マップ、ユニット、補給、ターン構成、潜水艦、戦略爆撃、戦略情報、その他の観点でまとめていてとてもわかりやすい。
p. 13 太平洋の旭日 VG"パシフィック・ウォー"リプレイ 瀬戸利春
そして、VG『Pacific War』のリプレイだが、記録を残しながらとはいえ、1941年12月だけで6時間!!その他のターン(現実の1ヶ月に相当)で2時間!!
ビッグ・ゲームだ!!リプレイ記事を読むとルールはどれも納得いくものばかりだ。そのため、なるようにしかならないようだ。
一度やってみたい・・・が手を出すと火傷しそう・・・
p.22 正しい太平洋戦争 SPI/HJ "太平洋戦争"ルール明確化・訂正 戸島毅
SPI/HJ『太平洋戦争』(War In The Pacific)のルール明確化と正誤表になる。
ビッグ・ゲームだけにかなりの分量があると思うが、細かく確認していて当時のスタッフの方々の苦労を感じる。
p.26 第2次世界大戦 SPI/HJ "第2次欧州大戦"と"太平洋戦争"の連結(ムーヴズ45~47より) トーマス・B・ストートン/(翻案)和久尊
この2つのゲームを連結したらまさに第二次世界大戦が再現できる!!
しかしどれだけのスペースが必要になるのだろう?
でも、マップとユニットを広げたところを一度見てみたい。
p.40 ミャンマーの竪琴 HJ”日本の進撃”インパール・シナリオ 瀬戸利春
インパール作戦の実態がどうだったのか、本当に無謀な作戦だったのか、いつかは試してみたい。
p.46 大日本帝国の興亡の興亡 翔企画"大日本帝国の興亡"製作記 高梨俊一
翔企画のSSシリーズで『大日本帝国の興亡』を制作中なのだそうだ。この記事を読むと早く出ないかワクワクする。実際に出たのだろうか?Webで調べてもBoardgame geekで調べても見つからない。日の目を見なかったとしたら残念だ。
p.70 ザ・ビッグ野球 和久尊
『熱闘12球団ペナントレース』は知っていたが、同じホビージャパンが『ザ・ビッグ野球』を出していたとは知らなかった。熱心なファンが毎年カードを更新しているようだ。
p.84 ハリコフ大戦車戦 小泉久生
p.85 WW2 小泉久生
翔企画のSSシリーズからはこの2作が紹介されている。『ハリコフ大戦車戦』は山﨑雅弘氏、『WW2』は中黒靖氏がデザインしている。機会があったらプレイしてみたい。
p.94 第二次欧州大戦概説史 戸島毅
ドイツ軍のフランス侵攻により、ベルギーが降伏し、ダンケルクから英軍が撤退し、フランスが降伏した。降伏後、フランス海軍をドイツ軍に渡さないためにイギリス軍が昨日の見方を攻撃する。このあたりの各国の思惑が錯綜する点は国際政治の難しさだと思う。
p.100 新書英雄伝 「オリュンポスの落日」ーアエミリウス・パウルス伝ー 有坂純
前号がジャンヌ・ダルクだったが、今回は古代に戻った。アエミリウス・パウルスという人は知らない人だったが、知らない人の人生を知るのは面白い。
p.110 ゲーム千一夜 和久尊
今回は趣向を変えて「番外編 スポーツシミュレーションをやろう!」だ。HJ『熱闘12球団ペナントレース』からHJ『ザ・ビッグ野球』への変換方法が面白い。
p.114 作戦級ゲーム入門 瀬戸利春
今回は『カーン攻防戦』というミニゲームのルールとマップがついている。ユニットは次号のようだ。
p.156 山猫兵器館 第5回 97式中戦車 絵と文:鋼鉄山猫
今回は日本軍が先の戦争で主力戦車として使った97式中戦車をとりあげている。
「97式中戦車は兵器としては失格です。」と言い切っている。
私は1936年(昭和11年)に設計開始した戦車としては問題ないと思う。
ドイツ軍がIII号戦車やIV号戦車の設計仕様書を提示したのは1935年。フランス戦の時のドイツ軍主力戦車チェコ製38(t)戦車は1934年末に設計開始している。
イギリス軍のマチルダII歩兵戦車は、1936年9月に仕様要求が出されている。
ドイツ軍による「電撃戦」前の戦車についてのアイデアはどこも同じようなものだった。
ソ連軍のT-34は1937年に設計を開始し1939年のノモンハン事件などの戦訓を採り入れ1940年1月に試作車が誕生した。
アメリカ軍のM3やM4は1940年設計開始だ。
97式中戦車が相手にしたこれらの戦車は97式中戦車の次の世代に当たるのだ。
日本軍戦車の問題は「電撃戦」以後の戦車の開発競争についていけず、97式中戦車で1945年まで戦い続けなければいけなかったことだ。それは97式中戦車の罪ではない。当時の日本の戦車用エンジン開発力、装甲生産力、戦車や砲の大量生産能力がなかったことだと思う。