Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

【参考文献】『クルスク機甲戦』 歴史群像第二次欧州戦史シリーズ7 学習研究社 (1998/12/01)


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クリミア戦線からスターリングラードの戦い、そしてクルスク機甲戦までをまとめたムックだ。

 

p.7 激闘・クリミア戦線 古瀬三春・伊藤裕之

クリミア半島が結構山がちな地形だったことが写真やCGでよくわかる。日露戦争の旅順要塞攻略戦とは規模が違う戦いだったことがよくわかる。ドイツ軍は火砲1300門!!。80cm列車砲グスタフまで投入しての攻略戦だった。

 

p.23 徹底図説 スターリングラード攻防戦

ボードウォーゲームの上から見た地図だけではわからない街の状況が写真で感じることができる。1942年11月19日のソ連軍の反撃ウラヌス作戦では兵員100万、戦車900両、火砲13500門、航空機1100機が参加。そして11月22日には枢軸軍33万人が包囲された。

独ソ戦の規模の大きさには今さらながら驚く。

 

p.32 スターリングラード決戦への道 文/守屋純

p.40 スターリングラード攻防戦 文/土門周平

1942年夏期のドイツ軍の攻撃である青作戦から、1943年2月のスターリングラードでの降伏までの経緯を写真や戦況図を交えて解説している。

青作戦でドン湾曲部を進撃するドイツ軍戦車部隊とトラック部隊の列。

雪の中、スターリングラードへ空輸するJu52輸送機とリアカー

ドイツ軍降伏後のソ連軍兵士達の安堵した笑顔

これらの写真が印象的だ。

 

スターリングラード攻防戦ソ連軍被害(1942.11.19-43.2.2)の円グラフがあるが、総兵力1,143,500人で、負傷者330,900人、戦死者行方不明者154,900人!!

包囲された枢軸軍兵士は330,000人。捕虜は91,000人。生きてドイツの地を踏めたのはたったの5,000人・・・

シベリア抑留も悲劇だが、ソ連に捕らえられた枢軸軍兵士も恐ろしい悲劇だ。

ソ連(ロシア)に降伏する、ということはこういうことだ。

 

p.48 独ソそれぞれのクルスクへの道 文/守屋純

p.52 クルスク会戦「先手必勝」のドイツ 文/土門周平

p.58 戦車1,500両が激突 クルスク会戦 文/土門周平

クルスク突出部を攻撃しようとするドイツ軍の作戦はツィタデル作戦だ。

当初は1943年5月に南北からクルスク突出部を攻撃するはずだったが、新型戦車を投入するために待機し、結局、1943年7月4日に攻撃開始した。この間にソ連軍は防備を固めてしまった。

ドイツ軍 兵員90万人 火砲1万門 戦車・自走砲2,700両

ソ連軍 兵員133万人 火砲2万門 戦車・自走砲3,600両 航空機3,130機

 

それにしても凄い規模だ。

 

ソ連軍が防備を固める前に、ドイツ軍が攻撃していたらどうなったか?

ドイツ軍がツィタデレ作戦を行う代わりにリガ〜オデッサ線まで後退していたらどうなったか?

ウォーゲーマーなら誰もが検証してみたいテーマだろう。

BANZAIマガジン第16号の『ラスト・スタンド:マンシュタイン』は、ドイツ軍がツィタデレ作戦を行う代わりにリガ〜オデッサ線まで後退していたらどうなったか?をテーマにしたゲームだ。

 

bonsai-games.net

 

ドイツ軍の得意な電撃戦は、戦車と急降下爆撃機で、敵の弱い所に穴を開け、後方に回り込む作戦のはずだ。それがこの時は防備をしっかり固めた正面からなぜ攻撃したのだろう?

兵力が少ないのは事実だ。

しかし、防備を固めた敵に正面から攻撃するのはわからない。

やはり、枢軸中小国がドイツ支持から離れることが恐かったからだろうか。

それにしてもこの攻撃はあまりにも稚拙だと思う。

 

p.112 「後の先」と「先の先」 文/鷹光隆 CG/伊藤大地

マンシュタインの「後の先」作戦とツィタデル作戦の構想について、CG交えて分かりやすい解説だ。こうしてみるとツィタデル作戦は無理筋だなぁ・・・

 

p.116 用意周到を極めた3段階大反攻作戦 文/古瀬三春 CG/伊藤大地

一方、ソ連側の①ドイツ軍の攻勢段階→②ソ連軍の反撃開始段階→③ソ連軍の全面攻勢段階と3段階の大反攻作戦を立てていた。

そしてドイツ軍はこれに見事にはまってしまった。

マンシュタインの「後の先」作戦だったらどうなっただろうか?

ウォーゲームで検証してみたい。

 

p.122 【徹底図説】東部戦線 大砲撃戦 文・イラスト/須田幸治

観測射撃のやり方がよくわかる説明とイラストだ。

 

p.126 ドイツ軍方兵隊の実情

1942年頃のドイツ軍方兵隊の実情をまとめている。

軽砲兵連隊は4個大隊で構成され、10.5cmFe18軽榴弾砲36門(第1から第3大隊)、15cmFe15重榴弾砲12門(第4大隊)だ。

1個大隊は3個中隊と通信小隊で構成される。

1個中隊には、将校4名、下士官30名、兵137名、馬153頭 火砲として10.5cmFe154門、馬車16両だった。

 

馬153頭、馬車16両に驚いた。

第二次世界大戦ではまだまだ馬が重要だったのだなぁ。

 

p.134 鋼鉄の「猛獣」最強戦車の条件 文/野木恵一

戦車ファンなら搭載火砲、装甲、足回り、エンジンなどで、比較して決めると思う。

この記事でも、攻撃力、機動力、稼働性、生産性、防御力の5つの項目でT-34ティーゲルを比較してレーダーチャートにしている。

T-34は攻撃力4、防御力4、機動力5、生産性5、稼働性4の合計22点

ティーゲルは攻撃力5、防御力5、機動力2、生産性2、稼働性2の合計16点

 

兵器というハードウェアは、数値で表しやすい要目や数量だけで評価されることが多い。

しかし、歴史の中で評価するには、それを支える数値に表しにくい生産性や稼働性などの支援体制や登場した時期も含めて評価するか、それは別と分けて評価するべきか結論が出ない。

 

p.142 マンシュタインジューコフ 独ソ二人の名将 文/川上しげる

p.150 連合国巨頭会談 最高指導者の人間像 文/谷光太郎

マンシュタインジューコフルーズヴェルトチャーチルスターリン。それぞれの人間像が興味深い。戦争も人間が行うものだから、当時、彼らが何を考え何を選択したのか、興味深い。

ルーズヴェルトがもっとチャーチルの言うことを理解し、スターリンと距離をとっていたら、その後の冷戦構造はどうなっていただろうか?

 

p.157 ダム・バスターズの半世紀 第617飛行隊出撃 文/宮本勲

ルール地方のダムを破壊し、水力発電を不可能にさせ、工場生産力を落とし、洪水を起こす作戦に投入された第617飛行隊。破壊されたダムの航空写真が生々しい。