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ソ連赤軍の歴史をまとめたムックの全3巻中の第1巻だ。この巻では、第一次世界大戦から各国の干渉戦争を経て大粛清までをまとめている。
p.7 赤軍前史 ロマノフ・ロシアの戦争史 文/編集部
第一次世界大戦までのロシア・ロマノフ朝時代のロシア軍の戦争を概観している。
北方戦争、ナポレオン戦争、デカブリストの乱、クリミア戦争、日露戦争、そして第一次世界大戦だ。
p.29 【カラー徹底図説】ソヴィエト赤軍興亡史I
p.63 労働者・農民赤軍の誕生 文/藤本和貴夫
p.69 内戦の勃発と干渉戦争 文/藤本和貴夫
p.84 「世界最強の軍隊」赤軍の完成 文/中山隆志
図や写真や解説で、ロシア10月革命から1935年の大機動演習までをわかりやすくまとめている。
日本を始めとした帝国主義諸国による干渉戦争の経緯がわかりやすい。ソ連ができた時、ポーランドが白ロシアやウクライナに侵攻し、ソ連赤軍がそれを押し返したのは知らなかった。大陸国家は、ちょっと油断すると、隣国が攻め込んでくる恐ろしさを改めて感じた。
p.93 【検証】赤軍の「特殊性」を探る
p.94 「社会主義の軍隊」としての赤軍 イデオロギー的忠誠か軍事的効率か!? 文/平井友義
AH『戦闘指揮官』(Squad Leader)シリーズでコミッサールの存在は知っていたが、1940年代は、コミッサールの存在が軍事的に非効率なことがわかり、指揮官の補佐に代わった時期だったことには驚いた。
p.100 赤軍と民族問題 非ロシア人にとって唯一安全だった赤軍の中 文/中山隆志
ソ連が非ロシア人達に過酷だった。独ソ戦では、ドイツ側について、ソ連と戦ってもいいと思うが、ソ連側で戦ったのは、ドイツよりソ連の方がまだましだったからのようだ。大陸に住む諸民族の過酷さは日本人である私の想像の域を超えている。
p.108 ロシア暦とロシア文字 文/編集部
ロシアが1918年1月24日にグレゴリオ暦を採用するまで、ユリウス暦を使っていたのは知らなかった。11月7日に勃発したのに、なぜ「十月革命」なのか、以前から疑問に思っていたが氷塊した。
ロシア文字の大文字、小文字、発音記号とアルファベットに置き換えたときの文字が、一覧化してあるが、なぜこんなにわかりにくくしたのか、不思議だ。
p.110 過剰なほどの攻撃性を帯びた唯物論的ドクトリン 文/葛原和三
日露戦争で、日本軍は射撃戦が得意で白兵戦ではロシア軍の方が優勢だった。その戦訓から明治42年の『歩兵操典』で精神主義、白兵主義を重視したのだそうだ。これは意外だった。
p.111にある『赤軍の戦術教義と軍事技術の発展』というグラフは興味深い。
連続作戦理論=NEP政策、機動戦理論=ソ独軍事技術協力、空挺作戦理論=第一次五カ年計画、縦深作戦理論=第二次五カ年計画が、それぞれリンクしながら発展してきたということだ。
そして縦深作戦理論は、第一段階「突破口の形成」、第二段階「突破口の拡大」、第三段階「追撃及び退路遮断による殲滅」となる。幅10から20km、深さ120から150kmに及ぶ。
理論的特徴としては、①戦力の圧倒的優越、②戦力の全縦深同時発揮するのだ。
①については、『野外教令』では、「攻撃正面1キロに対し火砲30乃至35門以上と最下限をもって規制している。」
クルスク戦では1kmあたり290門、ベルリン攻略時には600門を集中していたそうだ。
日本軍とは桁が違うのに驚くばかりだ。
ドイツの「電撃戦」との相違は、次のとおりだ。
赤軍が「戦争自体を階級闘争の過程と捉え、異なる体制の存在を許容しない。したがって敵の領土・人民を支配し、これを阻害する敵の軍事力は全て「殲滅」することを目標としている。・・・(中略)・・・むしろ敵戦力の要に指向する・・・(中略)・・・F(衝力)=1/2M(質量)xV(速度)の2乗の数式に当てはめると・・・(中略)・・・予めMを最大にすることを重視する。」のだ。
ドイツが「敵の交戦意志を挫折させるような象徴的都市、交通の要衝、戦略資源などを目標とし・・・(中略)・・・敵の最も苦痛とする弱点に指向していく。・・・(中略)・・・F(衝力)=1/2M(質量)xV(速度)の2乗の数式に当てはめると・・・(中略)・・・Vを大きくすることに重点を置く。」のだ。
この比較はとてもわかりやすい。
p.125 カラー徹底図説 図説【1930年代】赤軍の革新的兵器
快速戦車BTシリーズ、水陸両用戦車T-37, T-38、空挺戦車、マスプロ戦車T-26、多砲塔重戦車T-28、T-35、高速戦闘機I-16、高速爆撃機SB-2、戦略爆撃機TB-3などが、イラストや写真でわかりやすく解説している。T-26が11,000輛も生産され、数多くのバリエーションがあったのは驚く。日本軍の95式軽戦車が2,378輌、97式中戦車が2,123輛だから、両方合わせてもT-26の半分にもならない。
この生産力の差には驚くばかりだ。
p.138 時に利用され、時に弾圧された伝説の戦士集団 コサックとは何か 文/酒井裕
コサックは、コサックを話すコサック民族なのかと、私は、勝手に思っていた。だが、この記事を読むとそうだはないらしい。コサックの語意には「放浪者」、「冒険者」、「謀反人」などの意味があるが、「自由な人間」という解釈があるそうだ。
「彼らは、国家の制約を嫌って辺境に移り住んだ、自由を謳歌する人々であったようだ。」
ロシアは、そんなコサックを、辺境地帯の防衛やシベリア開拓の先兵として利用した。
コサックは、騎馬ではなく、河川を利用して、東へと向かったのは、驚きだ。
コサックのイメージは騎馬隊だったが、どうやってあれだけ広大なシベリアを馬で前進したのだろう、とは思ったが、実際には船で大河とその支流を渡っていったのには、驚いた。
p.145 人物群像 ロシア革命戦争にかかわった男たち 文/山崎雅弘
トロツキー、コルチャック、フルンゼ、デニーキン、トハチェフスキー、ウランゲリ、ブリュッヘル、ピウスツキらの写真と生涯を簡単に説明している。
p.158 ロシア軍の行動原理を育んだ精神風土 文/森本良男
安全保障への極度の執着=>「領土信仰」からのあくなき膨張、そしてツァーリ崇拝。
ロシアの国民性について、現代にも通じるものがあると思う。
大津事件で日本人警官に切りつけられて負傷した、当時皇太子だったニコライ2世。
皇后と娘4人に血友病の息子アレクセイに囲まれた写真。
歴代ロマノフ王朝とニコライ2世一家の運命について、概説している。