『独ソ戦』その他の著作で有名な大木毅氏が様々な雑誌や本に寄稿した文章をまとめたものだ。
もくじは以下のとおりだ。
第二章 「独ソ戦」再考
第三章 軍事史研究の現状
第四章 歴史修正主義への反証
第五章 碩学との出会い
あとがき
初出一覧
大木氏は次の三個の理由からロシアがウクライナに侵攻すると予測していた。
株価の動きで戦争が始まるかどうかがわかるというのは驚いた。
ロシア軍が犯した錯誤の例として以下の例を列挙している。
1)第一撃に重点を形成せず多正面の平押しをして、全力を傾注せず戦力の逐次投入をした
2)キーウ北西飛行場への空挺作戦
3)都市攻撃で、装甲車両をいきなり投入したこと(本来なら包囲して連絡線や補給線を断ち弱体化させてから実行するもの)
4)稚拙な諸兵科共同作戦
ロシアがこのような戦いを実施した理由として、「ハンガリー動乱」(1956)や「プラハの春」(1968)と同様に、ウクライナを治安行動で無血占領できると楽観したのではないか、と推測している。
この推測が正しいかどうかは戦争が終わりロシア側から資料が出てこないとわからないだろう。
だが、案外当たっていると思う。
この戦争の将来についても予測している。
プーチンが負けている状態で講和に応じるはずがない。そして、ロシアの戦争目的が政治的・軍事的合理性の追求から逸脱し、ウクライナの「ロシア化」を優先するだろう、と予測する。
国民の支持を失わないようにできるだけ総力戦を避けつつ戦争を継続し、ウクライナからの人的・物的資源の収奪を図るというのだ。
『ウクライナも「負荷試験」を受けることになり、日本を含む自由主義諸国もまたウクライナを支援し続けられるかどうかと言う「負荷試験」に参加しているのだ。』という章末の文が重い。
第二章 「独ソ戦」再考
『ソ連軍は対独戦後半において、戦略目的達成のために、「戦役」(一定の時間的・空間的領域で実施される戦略ないし作戦目的を達成せんとする軍事行動)を相互に連関・協働させる「作戦術」を駆使し、ドイツ軍を圧倒した。』
独ソ戦の戦争目的は、「ソ連を屈服させればイギリスも屈服するだろう」というヒトラーの予測があった。
「しかし、ヒトラーには、より重要な戦争目的があった。人種主義にもとづき、ソ連を征服、同国の諸民族を絶滅、もしくは奴隷化して、ドイツ人を入植させ、巨大な東方植民地帝国を築くこと」だった。そのため、「世界観戦争」であり、「絶滅戦争」となった。
独ソ戦は『「通常戦争」「世界観戦争(絶滅戦争)」「収奪戦争」が重なった複合戦争だった』という。
この章は、大木毅氏の『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』 (岩波新書)の要約になる。
その他、スターリングラードの敗将パウルスがその後どんな人生を送ったかについて解説した部分も面白い。
第三章 軍事史研究の現状
「教訓戦史」という言葉をしばしば目にする。よくわかりにくい言葉だ。
本書のp.110に『「つぎの戦争」に必要とされることを追求するのではなく、自らにできる既定方針を補強する実例を戦史から探し、そこから、おのれの戦略・作戦・戦術を肯定する論理を導くというアプローチ』と説明している。
例えば、第一次世界大戦では準備砲撃に一週間以上もかけて膨大な砲弾を消費した。「そんな物量戦を実行することは日本の国力では不可能であると暗黙裏の一致に達していたのかもしれない。」が、日本陸海軍は自分達に都合のいい「教訓」を抽出した上で、戦争を迎えたのだ。
ノモンハン事件や太平洋戦争の戦記を読むと、ソ連やアメリカの砲撃の物量に驚く記述を目にする。
第一次世界大戦で陸軍が参加した国は、血と肉ではっきりと知った砲弾量だったが、日本は陸戦に参加しなかったので、はっきりとは認識できなかったのだろう。あるいは、日本の国力では不可能という暗黙裏の一致で、議論を止めてしまったのだろう。
他の分野でも同様のことが起こっているのではないだろうか
これは肝に銘じておきたい。
p.127に秦郁彦氏の言葉「歴史家の仕事とは、熱なき光を当てることだ」という文章がある。
「熱」とは、ここでは、イデオロギーや思想などを指す。歴史を見るときには、そういう「熱」なく、事実を見て埋もれている史実に光を当てることだ、というのだ。
至極明言だと思う。
以下の本が紹介されている。他にもあるが、印象に残ったのは次の四冊だ。
大井篤『統帥乱れて 北部仏印進駐事件の回想』では、北部仏印進駐事件について詳しく書いてある。平和的な進駐だと思ったが、実際は軍の暴走だったそうだ。
武田龍夫『嵐の中の北欧 抵抗か中立か服従か』は、第二次世界大戦時の北欧四か国の対応をまとめている。デンマークやノルウェーはドイツ軍に占領された。スウェーデンは形の上では中立を守った。フィンランドはソ連と戦争し降伏し、ドイツと共にソ連と戦い、ドイツが敗勢になるとソ連と共にドイツと戦った。
大国に挟まれるこれらの四か国の厳しい歴史が、今後の日本の国家戦略にもきっと役に立つと思う。
野村直邦『潜艦U-511号の運命 秘録・日独伊共同作戦』には、日独伊三国同盟の締結やその後の共同作戦についてまとめている。連合軍ほど共同作戦ができなかった枢軸軍だが、これは興味深い。
加登川幸太郎『増補改訂 帝國陸軍機甲部隊』日本の戦車部隊は戦間期の思想で作られた戦車で後継戦車を量産できず、1945年まで戦い続けた。その開発経緯や戦歴について書かれている。
第四章 歴史修正主義への反証
「歴史修正主義」は、ある思想に基づいて、歴史を修正しようとする人や考え方を指しているようだ。
その例として、デーヴィッド・アーヴィング『狐の足跡』を挙げている。
また、1970年代に著作が有名だったパウル・カレルの正体はナチ時代に外務省報道局長を務め、親衛隊員でもあったパウル・シュミットだったそうだ。
これには驚いた!!
また、『バルジ大作戦』で有名なジョン・トーランドが晩年、真珠湾攻撃に関して陰謀論にはまっていったことも驚いた。
「学問一般において、自らの仮説を立証するためには、それを支持する材料を集めるだけでは充分ではない。仮説に矛盾する、もしくは、それを否定する事実はないか、膨大な史資料をあらためていくという、一種のネガティヴ・チェックが必要なのである。自説に都合の悪い史料や先行研究を無視した主張は、思いつき、思い込みのたぐいでしかない。」
研究をする者は、これらの言葉を、常に心がけるべきだと思う。
戦争目的を定め、そのために戦力化された国家のリソースを配分する「戦略」、戦略の要求に従い、各方面で軍事行動を実施していく「作戦」、作戦実行に際して生起する個々の戦闘に勝つための方策である「戦術」の三つの次元を枠組みとして、批判的に考察することが当たり前になっている。
時系列に沿って事実を並べるような「古い軍事史」は廃れて、上のような「新しい軍事史」が当たり前になっているそうだ。
第五章 碩学との出会い
わが人生最高の十冊に挙がっている本の中に北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』があるのが面白い。
北杜夫のユーモアあふれる文体と大木毅氏の文体が全く異なると思っていたからだ。
「北杜夫の文は、笑いをとろうとしてふざけて書いている文ではない。余計な修飾が削がれており、簡潔でわかりやすい。こういう文を目指しなさい。」と昔、授業で、国語の先生が絶賛していたのを思い出した。
その観点で見ると大木毅氏の文は北杜夫の文に影響を受けていると思う。
目的も時期も異なる雑誌などに掲載された文章を集めたものだが、不思議と統一感のある読みやすい本だ。
表題にある歴史や戦史や現代史に興味ある者は必読だと思う。