Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

【書籍紹介】神立尚紀(こうだち・なおき)『カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父』小学館(2023/07/05)


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著者の略歴を見ると『「フライデー」専属カメラマンを務め』とあり、本の内容について少し不安に思ったが、内容の濃い、とてもすばらしいノンフィクションだった。

 

大阪の大屋隆司の家で飼っていて、父がかわいがっていた犬が公園でつながれたままになっている、と言う近所の人の連絡から始まる。

 

沖縄に向かったはずの父は南紀白浜で保護された。

そして本当の名前が大田正一で、家族に話していた年齢より10歳年上の1922年生まれだった。

しかも本当の出身地は山口県で結婚し子どももいたのだった。

 

大田正一は、太平洋戦争中、人間爆弾桜花を発案した人だった。

そこから、大田正一の人生を探ってゆく。

 

陸攻隊の電信員、輸送機の機長をしていた。トラック島の大損害を見て、桜花を発案し、桜花は○中に大田の大を書いて呼ばれるようになる。

 

桜花の設計は戦後新幹線の設計をした三木忠直だ。

 

こうして完成した桜花だが、一式陸攻もろとも撃墜されるケースが多く、損害の割に戦果は少ない。

 

1945年8月15日を迎え、18日に、大田は零式練習戦闘機で東に向かい行方不明になり「戦死」した。

 

だが、彼は別な名前で生き延び、様々な仕事をしながら生活していた。

大屋隆司の母、義子と事実婚したが無戸籍ゆえに健康保険や年金がなかった。

 

家庭ではいい父親だったようだ。

自身が老い、死が近いことを知り、自身が作った桜花で死んだ沢山の若者と同じ沖縄で死のうとするが観光客だらけであきらめ、和歌山に向かい、保護されたのだ。

 

なぜ彼が無戸籍のまま生活していたのか、名乗りでなかったのかは、わからない。音楽評論家・湯川れい子の兄も一旦「行方不明」になり殉職し何かの任務についたらしいが任務が解除されたそうだ。

特攻を組織化し出撃を命じた多くの軍上層部の人が困るから、全ての責任を押しつけられた、と考える人もいる。

桜花を作り多くの人を死なせたから許せない、という人もいる。

 

「大田正一の息子であることを重荷と考えなくていいよ。」と言った元桜花搭乗員の植木忠治さんが大屋隆司に言った言葉が、この上なく優しく重い。

 

普通の家族でも、実は親のことを多くは知らないものだ。ましてや特攻に関わった人だと語りたがらないだろう。

 

大田正一が南紀白浜で死のうとした前日、高野山で宮島基行と話したのも何かの縁だろう。宮島は聞き上手だったのだろう。戦記や兵器に詳しく、桜花のことも大田正一が戦後すぐ「死んだ」ことも知っていたから、大田は自分が本人であることを話したのだ。

 

大田正一の息子、大屋隆司と妻美千代も事実婚だった。美千代は年齢を4歳偽っていた。

 

親子二代で事実婚だったのも何かの縁だろうか。

 

大田正一の最初の家族はどうなったのかきになる。そっとしておいてほしいのかもしれない。

 

戦争という時代に翻弄された一人の男とその家族の物語を、冷製に丹念に真摯に一冊の本にまとめている。

 

とてもいいノンフィクション作品だ。

 

★★★★★