Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

シミュレーションゲームマガジン タクテクス TACTICS 第4号(1982/7/1)

 TACTICS 第4号(1982/7/1)を読んでみた。特集は「Warship Wars 2500 3段櫂船(トライリーム)からミサイル巡洋艦まで」。付録ゲームは、第4次中東戦争を扱った『ブノット・ヤコブ橋』

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TACTICS 第4号 表紙

 

 

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TACTICS 第4号 もくじ

 待望の海戦ゲーム特集なので、当時期待が大きかったが、内容見ると、自分が持っていないゲームばかりだったので、残念だったのを覚えている。

 

『戦史とゲームとデザイナー』鈴木銀一郎

 この記事が面白かった。ゲームをデザインしていく過程とそれぞれのステップでの考慮点をとてもよくまとめている。

 企画を決める。エポック社はアンケート用紙をもとにかなり緻密に売れるテーマを選んでいたようだ。

 資料を集める。何を誇張し何を省略するかを決めるために参戦した将兵の手記も読み「雰囲気」をつかむとのこと。

 ゲームシステムを決める。ゲームスケールやユニットの規模やターンの長さなど。ここでも原価やボックスに入るかどうかなど売れるために考える点をあげている。

 戦闘力をどうするか、という点では、零戦とF4Fの攻撃力比で、『Flat Top』のデザイナーがどちらも9にしている点を例に挙げて、デザイナーが「神と同じ作業をする」と指摘している。

 そしてテストプレイを通して、ゲームバランスやプレイアビリティを上げていく。ここで興味深いのは、2,3回プレイした人たちと何十回もプレイした人たちとで、プレイバランスが変る、とのこと。これは興味深い指摘で、鈴木氏も結論を出せずにいる。

 そして最後に「ゲームデザインはもうかるか」ということで、原価計算をしている。

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ゲームデザインのコスト 総額101万5千円

総額101万5千円である。人件費が時給1000円というのは当時のバイトの時給が500円前後だったと記憶しているので、「それに比べればいいバイトだなぁ。テストプレイヤーのバイトしたいなぁ」と当時は思ったっけ。一方で、こどもの小遣い程度では「自作ゲームを作るのは資料代だけでも大変だなぁ。」と思ったものだ。

現代のボードゲームだとどのくらいの費用、作業量で、作っているのだろうか?

 

 『GDW』

 この号では、アバロンヒル、SPIに次ぐ、第三のシミュレーションゲーム・メーカーであるGDW上陸に合わせて、同社製品が多数、紹介されている。SFものでは『トラベラー』(Traveller)シリーズ『インペリウム』(Imperium)シリーズ、第二次世界大戦以後だと、『1940』、『1941』、『1942』などシリーズ120など。後ろに広告があり、SFものが4800円、シリーズ120が2800円。アバロンヒルやSPIに比べて安価になっている。SFものは、映画の美しい映像がないと、感情移入できず、私は手を出さなかった。シリーズ120は、120分でゲーム終了できる手軽さがウリだが、小遣いがラクになるのに、私が手を出さなかったのはなんでだろう?ボックスアートがなんだか好きになれなかったからだろうか?

 

 『内外ゲームガイド 戦車戦 大日本帝国海軍

 ウォーゲームを多数輸入してきたホビージャパン社が満を持してオリジナルゲームを発売した。『戦車戦』と『大日本帝国海軍』(IJN)だ。IJNは、とても楽しみに待っていたのは覚えているが、あまりプレイした記憶がない。

 

 『by the Gamers for the Gamers 私と「ヨーロッパ上空」シリーズ 西邦彦』

 Air Forceシリーズにない機種を自作した、という記事。「なるほどなぁ~。ゲームを一から作るのは100万円もかかるけど、こういったツール類ならすぐ作れるなぁ」と思って、自作したのを覚えている。

 Air Forceシリーズは、機種カードが重要でユニットは他ので代替できるので、私もいくつか機種カードを作ってみた。当時はパソコンもプリンターもワープロもなかったので、手書きとコピーだったが。

 小遣いはたいてやっと買えたシミュレーションゲームを自分なりにカスタマイズすることで愛着が湧き、楽しむことができたのも、当時のシミュレーション・ボード・ゲームの楽しみだった。

 連絡先として住所と電話番号も書いてあるのが、個人情報保護の考えがまるでなかった80年代だ。この西さんはTACTICS第5号では『サブマリン』で使うツールも自作している。今はどうしているのだろうか?