Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

【参考書籍】大木毅『「太平洋の巨鷲」山本五十六 用兵思想からみた真価』角川新書(2021/07/10)

 

戦略、作戦、戦術の戦争の三階層から山本五十六を評価しようとする書籍だ。

そうはいっても一般の人も読む新書のため、ほとんどが山本五十六の評伝になっている。

軍縮会議での戦略家としての開眼。当時の新技術である航空機に注目しパイロット養成のために民間との協力態勢作りを著者は評価している。

連合艦隊司令長官となって、戦いたくない米英との戦争を避けられない状況になった時、海軍が長年研究してきた漸減邀撃作戦では勝てないと判断した山本五十六真珠湾奇襲攻撃を考える。反対する軍令部に辞職を伝えて意見を抑えつけて実行した。しかし軍令部と連合艦隊と空母機動部隊幹部の間では作戦目的に対する温度感があり、それが真珠湾奇襲攻撃を不徹底なものとさせた。口数の少ない山本の問題点の一つが部下や関係者を説得しなかったことだ。

講和の最大のチャンスを、山本五十六シンガポールを攻略した時点と考えていた。しかし、当時の日本政府も国民も、緒戦の戦勝に酔い、和平工作をしなかった。

長期戦は不利なので、連続攻勢を加え続け敵の戦意を削ぎ、講和に持ち込むしかない。

しかし、山本は第二段作戦については、総花的な方針を認めてしまった。ミッドウェイ作戦とアリューシャン作戦に兵力を分散し、ミッドウェイ作戦に参加する機動部隊と主力部隊は900kmも離れてお互いに何も協力できない状況だった。

ミッドウェイ海戦後の山本五十六は精細を欠く。ソロモン諸島で消耗戦に巻きこまれ、空母機を陸上基地に移動させて戦う。

ソロモン諸島の消耗戦での海軍航空隊の損害や戦死者数の表やグラフが287ページにある。この時期の航空隊育成者数をこのグラフに重ねて見てみたい。

山本五十六自ら戦艦の時代を終わらせたのに、戦艦を温存する戦い方。そしてブーゲンビル島を視察しようとして待ち伏せに遭い戦死した。

 

山本五十六の統率力、真珠湾攻撃時の作戦面、航空総力戦を予想しての軍戦備、日独伊三国同盟への反対、対米戦争必敗の戦略眼を、著者は評価している。

一方で真珠湾攻撃以外の戦術面・作戦面を、平凡、またはそれ以下と評価している。また、「心を許した少数の者にしか本心を明かさない、おのが方針を説明することなく以心伝心で理解させることを期待する」彼の「無口」については、大きな問題と指摘している。私も全く同意見である。

本書を読んでいると、日本の海軍軍人は、軍人というより、国益よりも省益を重視するお役人だったのだなぁ、と思う。

 

一般の読者も読む新書ゆえ、評伝の部分が多くなり、戦略、作戦、戦術面の分析が少なくなってしまったのが残念だ。

ありとあらゆる資料を読みこみ、山本五十六について評価しているのがわかる。断定的な評価をせず冷静な語り口に終始している。

私個人としては新発見はあまりなかったが、19ページに及ぶ参考文献リストを載せているのは凄いと思う。