Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

【参考記事】樋口晴彦『幻の「蝦夷共和国」』 ワン・パブリッシング『歴史群像』No.183(2024/02)


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■幻の「蝦夷共和国」 樋口晴彦

榎本武揚という人物は不思議と興味がひかれる。

 

私の榎本武揚に関する知識は次の通りだった。おそらく一般の人も同じようなものだろう。

戊辰戦争を旧幕府側で戦う。江戸城無血開城が成立すると勝海舟の制止を振り切り旧幕府軍艦隊を率いて蝦夷地へ向かい、「蝦夷共和国」として独立し、一部の国から承認された。当時の列強と交渉するだけの知識と交渉力がある人物だった。

だが、頼みの「開陽」を失い、函館の戦いで負けて、腹を切らずに降伏する。降伏後、その才能を惜しんだ政府側が彼を雇い入れ、大臣を歴任した。

 

この記事中で、榎本の脱走が「旧幕歩兵の再就職運動の側面を有していた」のは驚いた。榎本にとっては「徳川家の存続」が最優先で、その次が「旧幕臣の救済」であり、新政府軍との対決が最優先ではなかったのだ。蝦夷地に向かったのは「旧幕臣の救済」のために蝦夷地開拓をするためだった。

これは榎本武揚に対するイメージが変わった。

 

蝦夷共和国」が「諸外国の承認を得た」と言うのは、「”反乱軍”を「交戦団体」と承認するものである。交戦団体の承認をした外国は、既存の政府と”反乱軍”の双方から中立国としての権利を保障される一方で、双方に対して中立の義務を負うことになる。」とのことだ。ちなみに注では「列藩同盟は交戦団体と認められていた。」とあるので、「蝦夷共和国」だけが「交戦団体」として認められていたわけではなかったのだ。

つまり、国家としての承認を得たわけではなかったのだ。

なんだかガッカリした。

 

「開陽」の沈没は有名だが、他にも「美賀保」「咸臨」「長崎」「神速」「千代田形」を失っている。それにしてもこんなに事故が頻発していたのは驚いた。

 

蝦夷共和国」では、総裁選挙が行われ榎本武揚が選ばれたと思っていたが、住民が選挙に参加したのではなく、脱走軍の士官以上の者だけによる選挙だったのだ。

榎本武揚は、選挙を実施し選ばれたのだから開明的だとばかり思っていたが、どうやらそうではなかったのでガッカリした。

 

榎本武揚蝦夷地七重村の300万坪を99年間、プロイセンのガルトネル兄弟に貸す契約を締結していた。これは植民地化につながる危険な契約だった。

榎本武揚なら、この契約の意味を知っていたはずなのだが、「蝦夷共和国」の財政が苦しいためこんな契約をしたのだ。蝦夷地の和人人口は約5万人(うち函館は約2万人)だというから、新政府軍と戦うだけの軍事力を国家として維持できなかったのは自明だ。

 

この記事を書いた樋口晴彦博士は、「『開陽』が健在であれば、新政府の反攻は遅延せざるを得ず、その間に函館政権は財政破綻していたであろう。その場合、資金提供と引き換えにプロイセン租借地を提供するというとんでもない事態が発生していたかもしれない。(中略)函館政権が短命に終わったのは、日本にとって誠に幸運だったと言えよう。」と結んでいる。

 

私の中の榎本武揚に対するイメージは、この記事のタイトル通り、「幻」のように変わってしまった。

この記事はとてもわかりやすくまとめている。幕末史に興味のある方はぜひ読んでみてほしい。

 

 

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