Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

【ムック紹介】『武装SS全史II(膨張・壊滅編(1942~45)』 歴史群像第二次欧州戦史シリーズ18 学習研究社 (2002/01/01)

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武装SSの歴史をまとめたムックの全2巻中の第2巻だ。この巻では、1942年から1945年までをまとめている。

 

p.31 DOCUMENT

1. 1942年:「青」作戦と外国人兵士の活躍 文/佐藤俊之

2. 1943年:SS装甲軍団とSS義勇兵師団の誕生 文/佐藤俊之

3. 1944年:規模の拡大と任務の多様化 文/佐藤俊之

4. 1945年:最後の反撃と終焉 文/佐藤俊之

 

武装SSが表舞台に登場し、戦況の悪化と共に数が増え、主導権を握ったときには終焉を迎える歴史がわかりやすく解説されている。

p.59の戦況図の見出しが「ラインの護り」作戦とするべきところが「ラインの譲り」作戦となっている。単なる誤字だと思うが、もし意識的な誤字なら、風刺と皮肉がこもっていて面白い。

 

p.74 【検証2】武装SSとは何か?ーその性格規定を巡ってー 文/芝健介

武装SSがわかりにくいのはその短い歴史の中で性格が大きく何度も変化したからだ。

SSそのものが最初はヒトラーの私設警護隊。

ナチズムを実現するためにユダヤ人などを摘発し収容所に送り込んだり、その収容所の管理を担当する。

さらにヒトラーが自由に使える自分専用の部隊になり、国防軍を信用しないヒトラーによって増員されて装備が拡充され、最終的には国防軍第4の軍隊のような位置づけになった。

戦争を継続しており人数が不足していたので、ナチズムとは矛盾するが、占領地のイスラム教徒らも包含する不可思議な組織になった。

 

p.79 武装SSと迷彩装備~その多角的研究~ 文/樋口隆晴 イラスト/上田信 写真CG処理/渡部篤 文・イラスト/STEINER

武装SSが迷彩服の先駆者だったとは私は知らなかったので驚いた。

 

 

p.66 【検証1】なぜ大量の外国人義勇兵武装SSに入隊したのか 文/山下英一郎

p.95 [武装SS]隊員出身地マップ1940 文・監修/山下英一郎

武装SSはナチ党が理想とするアーリア人国家建設のための組織なのでドイツ人ばかりと思っていたが、意外にも国際色豊かなのに驚いた。

 

 

p.100 [武装SS]兵力拡大の軌跡1940-1944 文・監修/山下英一郎

戦争前半をテーマにしたウォーゲームに武装SSが登場せず、あるいは登場しても数が少なく、戦争後半になって、武装SSが多数登場するのは、戦争前半は精鋭ゆえに温存されており、後半になって余裕がなくなって登場していたからだと思っていた。

 

だが、本書を読んで、また、このグラフ見て、そうではないことがよくわかった。

 

1940/05/01 124,199人

1941/06/30 160,405人

1942/12/31 246,708人

1943/12/31 501,049人

1944/06/30 594,441人

 

p.101 徹底比較 武装SS師団vs国防軍師団 文・監修/田村尚也

SSエリート師団と国防軍師団、SSの第二線級師団と国防軍歩兵師団を比較しており、わかりやすい。

 

p.134 「ホロコースト」に携わった3人のSS隊員 文/守屋純

アドルフ・アイヒマンルドルフ・ヘス(副総統のルドルフ・ヘスとはドイツ語スペルや発音は別)、ヨーゼフ・メンゲレをとりあげている。上から言われた指示通りに業務を実施する真面目な官僚がいたからこそ「ホロコースト」が国家レベルで実行されたから恐ろしいことだ。

 

p.148 武装SSと戦争犯罪 文/守屋純

p.156 ナチス犯罪追及の現在 文/佐藤健

重いテーマだが、二度とホロコーストを起こさないためにも重要なことだ。