Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

【ムック紹介】『ドイツ海軍全史』 歴史群像第二次欧州戦史シリーズ25 学習研究社 (2006/10/25)


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写真やイラストやCGやわかりやすい解説記事で、ドイツ海軍の歴史がよくわかるお勧めのムックだ。

 

p.59 ドイツ海軍全史

カイザーの海軍 文/瀬戸利春

両大戦間期のドイツ軍 文/田村尚也

両大戦間期のドイツ海軍最大の敵 フランス海軍の悲劇 文/田村尚也

ヒトラーの海軍 文/瀬戸利春

戦後のドイツ海軍 文/野木恵一

 

地味で目立たないしウォーゲームのテーマになることがないが、機雷を巡る戦いが盛んだったようだ。機雷によって行動が制限されたりしたようだ。

ウォーゲームでももっと機雷をルールに入れてみたら・・・・入れるのは難しそうだなぁ。

 

第二次世界大戦のドイツ海軍といえば通商破壊戦だが、小艦艇による戦いも激しかったのだと知った。

また、東プロイセンからの避難民と兵員輸送で、ソ連軍が迫る中1945年1月から5月8日までになんと合計211万人を運んだ、というのに驚いた。

 

ちなみに、輸送距離が違うから単純に比較はできないが、日本の復員が、1945年(昭和20年)10月から1947年(昭和22年)夏までの約2年で約600万人だそうだ。

 

また、戦後のドイツ海軍残存部隊の一部は数十万個以上の機雷処理のために、約440隻1万6000人が英海軍の指揮下で1945年7月から1951年まで任務についていたそうだ。

 

 

p.94 人物群像 ドイツ海軍提督列伝 文/白石光

エーリッヒ・レーダー、テオドール・クランケ、エーリッヒ・バイ、カール・デーニッツ、ギュンター・リュッチェンス、オットー・チリアックス、ラインハルト・シェーア、アルフレート・フォン・ティルピッツらの顔写真と略歴がの解説だ。

 

p.131 ドイツ海軍の組織と将兵 文/大塚好古

p.132 組織と指揮系統

p.135 将兵の教育と配置

ドイツ海軍兵学校の試験には、「電極を掴んで流れる電流に耐える試験」があったそうで、驚いた。

 

p.147 ドイツ海軍 水上艦艇のメカニズム 文・監修/大塚好古

驚いたのはドイツ海軍軍艦のエンジンは「主要国中最低レベルだった」ということだ。そのため故障が多かったということだ。

ドイツの技術は高いものと思っていたので驚いた。

 

水中聴音機はさすがの高性能で、プリンツ・オイゲンの場合、20ノットで航行していても、27km先の潜水艦の探知に成功し、接近する魚雷を2000mで発見できたそうだ。

AH『サブマリン』(Sumarine)の上級ゲームでは、速力3(18ノット)以上だとソナーで探知できないので、この例は残念ながら再現できない。

そのため水中探信儀の装備が遅れたそうだ。12ノットで航行しながら潜水艦を2000mで探知可能で日本海軍も三式探信儀として採用したそうだ。

 

 

p.164 「Z」計画実現の可能性 文/田村尚也

もしヒトラーの約束通りに戦争が1939年9月に第二次世界大戦が始まらなかったら、「H」級戦艦6隻、「P」級装甲艦12隻を整備する「Z」計画が完成したかどうかをシミュレーションしている記事だ。

田村氏が書いているように、私もこれは無理だったろうと思う。

 

p.168 ドイツの海城航空兵力 文/白石光

艦艇の艦載機も含めて翼あるものは全て空軍所管だったとは驚いた。

通商破壊戦に従事中の水上艦から偵察用に水上機を発進させようとすると、空軍の許可が必要だったのだろうか?ま、そこは現場でうまくやっていたのだろうと思うが・・・。

 

p.172 ドイツ海軍の中の「二つの軍」 文/白石光

艦種別に性格が異なるのはどの国の海軍でもあるが、ドイツ海軍の場合、水上艦乗りと潜水艦乗りで「こっちの海軍」と「あっちの海軍」と呼ぶような相克があったようだ。その上、ナチ党が政権を握る前の世代とその後の世代の相克もあったようだ。

p.172にナチ式の敬礼をするヒトラーに対して、海軍の伝統的な敬礼をして迎える「アドミラル・シェーア」の写真が印象に残る。