Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

シミュレーションゲームマガジン タクテクス TACTICS 第2号(1982/3/1)

タクテクス』(TACTICS)第2号については、以前、こちらに記事を書いた。

 

haruichiban0707.hatenablog.com

今回、こちらの記事を読んでみて、もう一度読みたくなって再読してみた。

f:id:Haruichiban0707:20210907224008j:plain

TACTICS 第2号 表紙

もくじはこちら。

 

 

f:id:Haruichiban0707:20210907224031j:plain

TACTICS 第2号 もくじ

p.5 史実概説・「砂と鉄と星」

北アフリカの戦いは1940年9月のイタリア軍の攻勢から1943年5月12日のドイツアフリカ軍団降伏までを指すが、ここでは、1942年夏までの史実をわかりやすく解説している。

 

1940年9月にグラツィアーニ将軍指揮の20万人のイタリア軍がカイロ目がけて侵攻したが、オコナー中将指揮下の英西方砂漠軍3万5千に阻まれ、わずか4ヶ月で壊滅した。

英軍はトブルクを始めキレナイカ一帯を占領した。

1941年2月12日、ロンメルが到着した。

1941年3月30日、ロンメルはエル・アゲイラから攻撃を開始した。ドイツ軍の攻勢は早くても5月以降と判断し、ギリシアに派兵し兵力が減っていた英軍は、撤退した。

英軍の反撃は1941年5月15日に開始されたブレヴェティ作戦だった。ハルファヤ峠を奪取しトブルクを救援しようというものだった。5月27日ドイツアフリカ軍団主力によって英軍はハルファヤ峠から追い払われた。

ウェーベル将軍は1941年6月15日バトルアクス作戦を開始したが、ハルファヤ峠を突破できなかった。

ウェーベル将軍はインドに転出し後任にオーキンレック大将が着任した。彼は10万の兵力と700両の戦車を指揮していた。対するロンメルには12万の兵力と400両の戦車があった。

1941年11月18日、オーキンレックがクルセイダー作戦を発動した。

11月23日、枢軸軍は英軍の背後に回った。悲観したカニンガムは降伏をオーキンレックに上申し解任された。

12月5日、ハルファヤ峠とサルームの救出を試みて失敗した枢軸軍はガザラに向けて後退し、トブルク救出に成功しクルセイダー作戦は英軍の勝利に終わった。

 

1942年1月21日、ロンメルが反攻に転じた。

1月29日、ベンガジが枢軸軍の手に帰した。

5月26日、ロンメルによるトブルク攻撃、いわゆるガザラ・ボックスの戦いが始まった。

6月20日、トブルクを枢軸軍が急襲し、2日後、枢軸軍がトブルクを占領した。

7月1日、枢軸軍がエル・アラメインに到達した。オーキンレックは自ら陣頭に立ち防衛戦に臨んだ。

8月5日、チャーチルがカイロを訪問し、第8軍司令官の後任にゴット中将を任命した。彼は8月7日に搭乗機が撃墜され戦死した。8月8日、オーキンレックが更迭され、アレキサンダー大将が就任し、第8軍司令官にはバーナード=ロウ=モントゴメリーが着任した。

 

p.8 ドイツアフリカ軍団の攻防<AH>ドイツアフリカ軍団作戦分析 ジェネラル誌12巻5号、15巻5号、16巻2号、17巻3号より抄訳(大河浩司/訳・編)

AH『ドイツアフリカ軍団』(Afrika Korps)の作戦についてまとめたものだ。

<感想>「標準的防御」「パレベダ=ギャンビット」「ハズレット戦略」「D.A.K.戦略」などの名前がついた作戦について、将棋の定跡研究のように、細かく研究していて、面白い。実際に盤上にユニットを並べて研究してみたい。

 

p.17 バトル・レポート砂漠の狐 レポーター上野時夫

エポック社砂漠の狐』のリプレイ/バトルレポート(AAR)記事だ。

2戦について詳細にまとめている。

 

p.24 砂漠の戦術 魚田一成

AH『トブルク戦車戦』(TOBRUK)をもとに北アフリカの戦いにおける戦術分析した記事だ。

イギリス軍は諸兵連合できずに各個撃破された。対するドイツ軍は対戦車砲部隊と戦車部隊が連携しながら前進しイギリス軍を撃破した。

また、イギリス軍戦車は種類が多く、装甲の厚さも機動力も主砲の口径も異なっていた。そのため、機動時には足の遅い戦車がドイツ軍に集中攻撃されて、数の有利性を失った。

<感想>この記事の例はわかりやすい例だった。

 

歩兵は防御において特に活躍した。イギリス軍のボックス陣地が有効だった。イギリス連邦軍、オーストラリア、ニュージーランド軍歩兵による銃剣突撃はドイツ軍にとって脅威のひとつだった。

<感想>第二次世界大戦時の銃剣突撃は日本軍の専売特許化と思っていたが、英連邦軍による銃剣突撃もドイツ軍を苦しめていたのかぁ・・・

諸兵連合戦術についてもう少し詳細に書いてほしかったのと、ウォーゲームのユニットやマップを使ってもう少し解説してほしかった。

 

p.38 シェルブール攻防戦

付録ゲームだ。マップやユニットをコピーして自作した。

ウォーゲームを再開してから自作して何度かプレイしてみた。(下記リンク先参照)

haruichiban0707.hatenablog.com

 

p.52 大陸軍、その光と影 その1、ナポレオン以前 森谷利雄

ナポレオン戦争史についての連載だが、第1回はナポレオン以前についてまとめている。

確かにそれがわからなければナポレオンの革命的な意味がわからない。

 

ナポレオン登場以前の18世紀の軍隊の特徴は、傭兵と補給と遅い行軍速度だった。

分進合撃など夢のまた夢だった。フリードリッヒ大王が編み出した斜交陣形はナポレオン出現以前の模範的戦闘隊形だった。また、彼は三列横隊による戦術を採用した。

しかしこの隊形は、射撃を行い移動してはまた射撃し機を見て突撃するといった軽快な機動は困難だった。

<感想>第二回の連載が楽しみだ。

 

p.55 海軍大戦略!?「太平洋の覇者」「英独大西洋の戦い」連結ゲーム「海洋の覇者」ゲーム連結ルール

AH『太平洋の覇者』(Victory in the Pacific)とAH『英独大西洋の戦い』(War at Sea)連結ゲーム・ルールだ。

<感想>マップやユニットを自作して何度もプレイしたので懐かしい。またプレイしてみたい。

 

p.74 ミッドウェイの研究と発展 島道途・山村清隆/訳

AH『ミッドウェイ』(Midway)の研究記事と発展ルールだ。

<感想>このゲームも好きなゲームだった。この記事を読んでウォーゲームの改造やルール改造について学ぶことができて、コツをつかめた。

 

広告

アバロンヒルゲームは、『タクテクスII』(TACTICS II)が3,600円。『戦闘指揮官』(Squad Leader)が6,800円。『史上最大の作戦』(The Longest Day)が23,000円だが、ほとんどが5,800円だ。

SPIは『第二次欧州大戦』(War in Europe)が18,000円。『モスクワ侵攻作戦』(Operation Typhoon)や『ドイツ南方軍集団』(Army Group South)が10,000円。『アルデンヌの戦い』(Battles for the Ardennes)が9,500円。『スエズを渡れ』(Across Suez)が2,800円。『レニングラード攻防戦』(Leningrad)が4,600円。SPIは価格のバリエーションが多かったことにあらためて気づいた。

エポック社バンダイ社は広告を出していないようだ。