Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

コマンドマガジン第46号『バルジの戦い』史実研究

コマンドマガジン第46号『バルジの戦い』のマップやユニットでバルジの戦いの史実の再現をしてみる。

最初にお断りしておくが、厳密に再現することは不可能なのでなんとなく雰囲気をくみ取っていただきたい。なぜ厳密に再現できないか、というと、どのゲームでもそうだが、ユニットで表現される師団は点ではなく、本来は広がりを持っている。ゲーム上でユニットが壊滅して除去されても、本当はその師団の何割かが戦死や負傷し逃亡し、組織的に戦えなくなった状態を表している。

また、ターンについても、時刻という点を表すのではなく、このゲームの場合は2日間=48時間という長い時間を表している。そのため、このターン(時刻)にこのヘクスにこの部隊がいた、とはいえないからである。さらに戦場で厳密な記録を残すことは不可能だ。特に負けた方は記録を残している暇と労力をかけている余裕はなかったのだ。そのため史実研究とはいっても大雑把なことしか言えないのだ。

 

さて、そもそものドイツ軍の作戦目標は、アントワープまでの突破である。このゲームだとアントワープは載っていないので、地図北端のリエージュや北西端のナミュールからの突破がもともとの作戦計画だった。

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ドイツ軍の作戦計画

 

第3ターン(1944年12月19日-20日)頃の戦況が下図である。

アメリカ軍がサン・ヴィット(図の黄緑の防衛線)とバストーニュ(図の青い防衛線)で激しく抵抗しており、ドイツ軍は予定通り進撃できていない。また、このゲームでは燃料集積所がマップ上にあり、ドイツ軍プレイヤーは、その奪取を一つの目標にできるが、史実では、ドイツ軍は燃料集積所の存在に気づいていなかった。

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第3ターン(1944年12月19日から20日)頃の戦況

 

第5ターン(1944年12月23日から24日)の戦況が下図である。

サン・ヴィットは陥落し、そこを守っていた米軍は後退した。

バストーニュ(青い楕円)では、アメリカ第101空挺師団が頑強に抵抗し、ドイツ軍はバストーニュを包囲し、アントワープ目指して進撃した。しかし、ドイツ第2装甲師団は、マルシェやディナン手前で止められてしまった。

第4ターン(1944年12月21日から22日)に相当する12月22日、ドイツ軍の軍使がバストーニュのマッコーリフのところに」降伏勧告に行ったが、マッコーリフは"Nuts(ふざけるな)"の一言を返した。

アメリカ軍はバストーニュを救出するために、パットン第3軍の第4機甲師団が南方からバストーニュに向けて進撃した。第6ターン(1944年12月25日から26日)、第4機甲師団がドイツ軍の包囲を崩すことに成功した。だが、バストーニュをめぐる戦いはその後も激しく続いた。

連合軍は、本ゲーム終了後の第7ターン(1944年12月27日から28日)に全線戦で攻勢に転じた。しかしドイツ軍の抵抗は激しく、ドイツ軍の攻撃発起点まで連合軍が押し返したのは、結局、1945年2月7日だった。

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第5ターン(1944年12月23日から24日頃の戦況

この戦いの結果、米・英連合軍の進撃を約3ヶ月遅らせたが、ヒトラーの最後の賭けは失敗に終わった。そして貴重な戦力をすり減らした。この後、東部戦線でも西部戦線でも、十分な防戦ができなくなった。