5月は、やはり、ドイツ軍による西方電撃戦だ。
そうなるとやはりこのゲームになる。
前回は、連合軍が史実以上に守り切ることができるか?
ドイツ軍が史実通りに進撃できるか?
今回はどうなるだろうか?
初期配置
第1ターン(1940/05/10-11)
ドイツ軍全軍が進撃する。
先鋒のドイツ軍歩兵軍団が、あっという間にルクセンブルクを席巻した。それに続き、アルデンヌの森にドイツ軍装甲師団が突き進む。
エバン・エマール要塞(368, 369)、マジノ線(154)にドイツ軍精鋭の降下猟兵部隊が降下した!
エバン・エマール要塞(368)では、ドイツ軍第III降下連隊第1パラシュート大隊が降下に失敗。第III降下連隊第2パラシュート大隊が降下に成功し、要塞を破壊した。
続いて第47降下猟兵連隊が降下し確保した。
エバン・エマール要塞(369)では、第I降下連隊第1パラシュート大隊が降下失敗。第I降下連隊第2大隊が降下に成功し要塞を破壊した。続いて第16降下猟兵連隊が降下し確保した。
154のマジノ線には第II降下連隊第1大隊と第2大隊が降下した。
両大隊とも降下成功し要塞を破壊した。続けて第65降下猟兵連隊が降下し確保した。
ドイツ軍空挺部隊の奇襲は完全に成功した。
この日のために降下猟兵師団を鍛えてきたシュトゥデントの鼻も高い。
392でオランダ第1歩兵軍団がドイツ軍第6装甲師団を撃退したが、自身も兵員補充のために後退した。
ドイツ軍装甲部隊がアルデンヌの森を西に向かって進撃する。
オランダではオランダ歩兵軍団を包囲した。
オランダ軍はパニックだった。オランダ第2歩兵軍団との連絡が途切れたのだ。
ベルギー軍もパニックだった。エバン・エマール要塞を奪われ、ドイツ空軍による補給妨害もあり、3個軍団の補給線が切れてしまった。
その3個軍団の補給線を確保するために前進しつつ、Albert Canal、Dyle川沿いに薄い防衛戦を張る。アルデンヌの森で完全包囲された第1期兵軍団は狼狽して動けない。
イギリス軍とフランス軍はディール計画に従い、Dyle川に向けて前進する。
ベルギー軍第1,第3歩兵軍団がエバン・エマール要塞(368)のドイツ軍第47降下猟兵連隊に反撃する。
ドイツ軍第47降下猟兵連隊は壊滅した。
フランス軍第7,第28歩兵軍団とイギリス軍第51歩兵師団がドイツ軍空挺部隊に破られたマジノ線(154)にこもる第65降下猟兵連隊を攻撃する。
第65降下猟兵連隊も壊滅した。
ドイツ軍0点
連合軍2点
第2ターン(1940/05/12-13)
ドイツ軍はアルデンヌの森の出口まであと32km(2ヘクス)に迫った。
ドイツ軍はベルギー軍4個歩兵軍団と1個騎兵軍団を非補給下にして攻撃する。
Maastricht郊外の367でベルギー軍第3歩兵軍団が降伏した。
Liege(369)郊外の402でベルギー軍第8歩兵軍団が降伏した。
アルデンヌの森の中心374でベルギー軍第1期兵軍団が最後の騎兵突撃も空しく全滅した。
南部では、砲兵旅団の猛砲撃とドイツ軍第8,17,24歩兵軍団の猛攻で、185のマジノ線が破壊された。
北部では394でオランダ第2歩兵軍団が包囲殲滅された。
ドイツ軍第6装甲師団は単独で突き進み、Antwerp(657)を占領した!!
ベルギー軍第1,5,7歩兵軍団が465にいるドイツ軍第4歩兵軍団を包囲反撃する。
ドイツ軍第4歩兵軍団はベルギー軍によって壊滅されてしまった。
Antwerp(657)のドイツ軍第6装甲師団の補給線は途切れてしまった。
1個装甲師団だけであまりに突出した進撃をしたからだ。
ドイツ軍14点
連合軍9点
第3ターン(1940/05/14-15)
Antwerp(657)郊外の624でベルギー軍第4歩兵軍団がドイツ軍の包囲にあって降伏した。
ドイツ軍はAntwerp(657)への補給路を盤石のものにした。
432のベルギー軍第1歩兵軍団はドイツ軍第9装甲師団と第16降下猟兵連隊を撃退したが、自身も後退した。
Givet(537)の東32km(2ヘクス)の412で、フランス軍第2、第4機甲騎兵師団、第9機甲歩兵師団が、ドイツ軍第1装甲師団、第7装甲師団、グロスドイッチュランド自動車化歩兵連隊の攻撃により全滅した。
初めてのフランス軍の損害だ。
Sedan(508)の北東32km(2ヘクス)の442で、フランス軍第19歩兵軍団が474に後退した。
南部のマジノ線217では、フランス軍第105歩兵師団が壊滅した。マジノ線は破壊を免れ健在だ。
ドイツ軍24点
連合軍9点
第4ターン(1940/05/16-17)
史実だと、ドイツ軍はアルデンヌの森を突破し平地を進撃した頃だ。
マジノ線217が破壊された。これでマジノ線は3箇所穴が開いた。
Sedan(508)の東443でドイツ軍第2,3,8、10装甲師団とフランス軍第2,3,4機甲師団の第戦車戦が勃発した。
激しい戦いの結果、ドイツ軍第3,10装甲師団が後退した。フランス軍も犠牲が大きく後退した。
Givet(537)東方16km(1ヘクス)の504で、ドイツ軍第1, 7装甲師団が後退した。フランス軍第27歩兵軍団も補充のため、Givet(537)に後退した。
Namur(533)ではイギリス軍第2歩兵軍団がドイツ軍第5装甲師団の突進を撃退した。
Antwerp(657)の西方32km(2ヘクス)の721では、フランス軍第15歩兵軍団がドイツ軍SS LHA自動車化歩兵連隊を壊滅させた。
オランダでは、Breda(556)で、包囲されたオランダ第1歩兵軍団が降伏した。
ドイツ軍第4,6装甲師団がYpres(901)まで突破した。
連合軍はAntwerp(657)を奪還し、ベルギー北部の戦線の穴を塞いだ。これで突出したドイツ軍第4,6装甲師団は補給切れだ。移動力と戦闘力が半減する。
ドイツ軍28点
連合軍10点
第5ターン(1940/05/18-19)
ドイツ軍はなかなか突破口が見つからない。
Sedan(508)東方の476でドイツ軍第2、第8装甲師団が撃退された。フランス軍第12歩兵軍団も後退した。
Sedan(508)北方32km(2ヘクス)の506でフランス軍第1機甲歩兵師団壊滅。
Sedan(508)北方48km(3ヘクス)の505でフランス軍第11歩兵軍団とドイツ軍第10,36歩兵軍団がそれぞれ後退した。
Namur(533)でイギリス軍第2歩兵軍団が苦戦し、とうとう565へ後退した。
ドイツ軍がNamur(533)を占領した。
Dyle川を守っていたベルギー軍第2歩兵軍団が壊滅した。
Antwerp(657)を包囲したドイツ軍3個軍団の攻撃を受け、フランス軍第20歩兵軍団が全滅した。ドイツ軍がAntwerp(657)奪還に成功した。
ドイツ軍はDunkirk(1006)とCalais(1084)を占領した。
連合軍の戦線のあちこちにに綻びが出てきた。
連合軍は、綻びを塞ぎ戦線を維持しようとする。
イギリス軍が中心になってNamur(533)を攻撃する。Namur(533)を守っていたドイツ軍第20,29自動車化歩兵連隊が壊滅した。
連合軍あ一応戦線を維持している。
しかし、南方のマジノ線が3箇所穴が開き、それを守る部隊が少ない。
アルデンヌの森の出口Sedan(508)近郊は激戦が続いている。ドイツ軍装甲師団の勢いをかろうじて封じている。
北方では、Antwerp(657)をドイツ軍が確保したが、それ以上の前進を阻んでいる。
連合軍としてはいい戦いができている。
ドイツ軍53点
連合軍14点
第6ターン(1940/05/20-21)
史実ではこのターンにドイツ軍はDunkirk(1006)周辺に連合軍を包囲した。
南部のマジノ線155でイギリス軍第51歩兵師団が壊滅しマジノ線も破壊された。
初めてのイギリス軍の損害だ。
南部のマジノ線250でフランス軍第1機甲騎兵師団壊滅しマジノ線も破壊された。
これでマジノ線が12ヘクス中5箇所で破られた。
Montmedy(445)でフランス軍第2,3,4機甲師団がドイツ軍第2,3,8,10装甲師団と戦車戦を繰り広げたが、Montmedy(445)を明け渡して後退した。ドイツ軍はMontmedy(445)に入城した。
Sedan(508)の北の507でフランス軍第19歩兵軍団が壊滅した。
Dyle川西岸の530でベルギー軍第5歩兵軍団が壊滅した。ドイツ軍がDyle川を渡河した。
Demer川の戦線594ではベルギー軍第6歩兵軍団が後退した。ドイツ軍も第9,42歩兵軍団が後退した。
Antwerp(657)南方の658でベルギー軍第9歩兵軍団が壊滅した。
ドイツ軍がNamur(533)を再占領した。
南部のマジノ線は突破口ができたが、装甲師団がいないので戦果を拡大できない。
連合軍は戦線を整理する。
破られたマジノ線からMetz(220)に後退する。
Dunkirk(1006)とCalais(1084)のドイツ軍を逆包囲する。
ドイツ軍74点
連合軍14点
第7ターン(1940/05/22-23)
ドイツ軍4個歩兵軍団がMetz(220)を囲んだ。
フランス軍第28歩兵軍団が損害を受け降伏した。
マジノ線282も破壊された。
Montmedy(445)南西32km(2ヘクス)の479でフランス軍第3機甲師団とドイツ軍第2,3,8,10装甲師団の戦車戦で、フランス軍第3機甲師団が全滅した。
Sedan(508)では、イギリス軍第1機甲師団、フランス軍第104歩兵師団が壊滅した。
Givet(537)の北536でイギリス軍第5歩兵師団が壊滅した。
Brussels(627)の北方16km(1ヘクス)の626でフランス軍第13歩兵軍団が壊滅した。
Brussels(627)の北東16km(1ヘクス)の594でベルギー軍第1歩兵軍団が一兵残らず戦い全滅した。
ついにドイツ軍第2,3,8,10装甲師団が突破を果たし、Chalons(644)を攻略した。
連合軍は南部ではVerdun(383)に後退を始めた。中央ではSedan(508)に空いた穴を塞ぎ、506のグロスドイッチュランド自動車化歩兵連隊に反撃する。
同連隊はフランス軍第11,22歩兵軍団の猛攻で壊滅した。
Namur(533)南西16km(1ヘクス)の566で、イギリス軍第1歩兵軍団と第3歩兵軍団が反撃し、ドイツ軍第11、第13、SE自動車化歩兵師団が壊滅した。
Dunkirk(1006)では、イギリス軍第12,46歩兵軍団とフランス軍第15歩兵軍団がドイツ軍第6装甲師団を包囲した。ドイツ軍第6装甲師団はかろうじて虎口を脱した。
ドイツ軍110点
連合軍19点
第8ターン(1940/05/24-25)
マジノ線347ではフランス軍第103歩兵師団とマジノ線が壊滅した。マジノ線は12ヘクス中7ヘクスが破壊された。
Verdun(383)ではフランス軍第2機甲師団の戦車が全て破壊または故障または燃料切れで壊滅した。
Chalons(644)の東48km(3ヘクス)の546でフランス軍第4機甲師団がドイツ軍第1,第7装甲師団と激しい戦車戦を繰り広げ全滅した。
Sedan(508)西方32km(2ヘクス)の573でフランス軍第1機甲師団、第5機甲騎兵師団が605に後退した。
Demer川流域の596で包囲されたイギリス軍第2歩兵軍団が全滅した。
その近くの595でフランス軍第15,25機甲歩兵師団、第3Lt機甲師団が全滅した。
Brussels(627)でベルギー軍第6歩兵軍団が文字通り全滅した。
ドイツ軍がBrussels(627)を占領した。
Brussels(627)の北西32km(2ヘクス)の691でベルギー軍第7歩兵軍団が包囲され殲滅された。
Antwerp(657)西方32km(2ヘクス)の721でフランス軍第23歩兵軍団が全滅した。
Dunkirk(1006)の南西32kmの1034でイギリス軍第46歩兵軍団がドイツ軍第4,第6装甲師団との戦闘で壊滅した。
ドイツ軍第2,3,8,10装甲師団がパリ郊外16km(1ヘクス)まで突進した。
Dunkirk(1006)で包囲されていたドイツ軍第4,6装甲師団はLille(903)に下がり第9装甲師団と合流した。
イギリス軍はDunkirk(1006)からの撤退に向けて後退を始めた。
フランス軍もGivet(537)以外は後退を開始した。
ドイツ軍161点
連合軍19点
第9ターン(1940/05/26-27)
Paris(1024)でフランス軍第17歩兵軍団が壊滅した。ドイツ軍も一時補充のため後退した。
Ghent(784)南方16kmの785でイギリス軍第3歩兵軍団が後退した。ドイツ軍も補充のため後退した。
Ghent(784)北東32km(2ヘクス)の752でベルギー軍最後の生き残りであるChos Ard騎兵軍団が最期の突撃をした。「国王陛下万歳~~!」と叫びながらの突撃だ。
ドイツ軍は歩兵砲や機関銃で迎え撃ち、全滅させた。
Ghent(784)南西32km(2ヘクス)の844でイギリス空軍基地がドイツ軍第4,6,9装甲師団の猛攻を受け、基地にあった戦闘機や爆撃機もろとも壊滅した。
Dunkirk(1006)ではイギリス軍第12歩兵軍団が全滅した。
Paris(1024,1025,1051)が完全にドイツ軍装甲師団6個が占領した。
その報告を聞いたときヒトラーは狂喜乱舞した。
ドイツ軍180点
連合軍19点
第10ターン(1940/05/28-29)(最終ターン)
いよいよ最終ターンだ。
得点上は、ドイツ軍の勝利が確実だ。あとはどんな状況になるかが問題だ。
517でフランス軍第10歩兵軍団が全滅した。
704でフランス軍第11歩兵軍団が全滅した。
Maubeuge(698)でフランス軍第102歩兵軍団が全滅した。
フランス・ベルギー国境の819では、フランス軍第26歩兵軍団がドイツ軍第14歩兵軍団を撃退し自身も補充のために後退した。
Calais(1084)でイギリス軍第23歩兵師団が全滅した。
イギリス軍第1歩兵軍団と第3歩兵軍団がDunkirk(1006)東方の926, 953から撤退に成功した。
連合軍はParis奪還のために包囲した。
1025でドイツ軍第3装甲師団と第1SS自動車化歩兵師団が壊滅し、連合軍がParisの南東部(1025)を奪還した。
Paris西部(1051)でドイツ軍第2、8装甲師団、第2自動車化歩兵師団が壊滅した。連合軍がParis西部(1051)を奪還した。
Paris北東部(1024)でフランス軍第5機甲騎兵師団が全滅した。
Parisの2/3を失ったとの報告を聞いたヒトラーは激怒した。
ドイツ軍198点+イギリスへの海上撤退12点+ドイツ軍がParis1ヘクス占領したので30点=240点
連合軍39点
ドイツ軍は80点以上かつ連合軍の3倍以上の得点なのでドイツ軍の勝利!!
連合軍39点+相対戦力の差26=65点 65x3=195
連合軍195点<ドイツ軍240点なので、ハンディキャップの勝利条件でも、ドイツ軍の勝利だ。
オプションルールの勝利条件でもドイツ軍は100点以上を獲得し連合軍の4倍以上の得点なので、ドイツ軍の圧倒的大勝利だ。
連合軍の損害
フランス軍の損害は次の通りだ。( )内が残存兵力だ。
4-6機甲師団が3個中1個(2個)、3-4機甲師団は4個中3個(1個)。
2-6機甲歩兵師団が7個中4個(3個)
1-6機甲騎兵師団が5個中5個全滅。
6-6歩兵軍団が20個中10個(10個)
2-2歩兵師団が4個中4個全滅
(空軍1個)
イギリス軍の損害は次の通りだ。
6-8歩兵軍団が1個中1個全滅、2-8歩兵師団が1個中1個全滅、1-8歩兵師団が4個中4個全滅、
空軍1個中1個全滅
(8-8歩兵軍団1個、4-8歩兵軍団1個がイギリス本土へ撤退)
ベルギー軍は、4-6歩兵軍団9個中9個全滅、2-7騎兵軍団2個中2個全滅。
オランダ軍は4-6歩兵軍団2個中2個全滅。
ドイツ軍の損害
7-8装甲師団1個中1個全滅
4-8装甲師団5個中2個(3個)
3-8自動車化歩兵師団2個中1個全滅(1個)
2-8自動車化歩兵師団4個中4個全滅
1-8自動車化歩兵旅団4個中4個全滅
7-6歩兵軍団32個中1個(31個)
1-4降下猟兵連隊3個中2個(1個)
(6-8装甲師団1個、5-8装甲師団1個、10(2)砲兵2個、空軍8個)
感想
途中までは連合軍はうまく守っていたが、ドイツ軍は第7ターンからようやく電撃戦らしく突破して戦えるようになった。
しかし、連合軍の防衛線を突破し、包囲して補給切れになり、戦力が弱ったところで殲滅する本来の電撃戦は実現できなかった。
焦りからParisやDunkirk(1006)に装甲師団単独で突出し、虎の子の装甲師団10個のうち3個を失う大損害を出してしまった。
今回、史実以上に早くParisを占領したので、ドイツ軍は史実を超えたと言っていいだろう。史実ではほとんど突破しなかったマジノ線も半分以上突破したのでこの点でも史実以上と言っていいだろう。
連合軍はドイツ軍装甲師団3個を壊滅させたので、こちらも史実を超えたと言っていいだろう。ドイツ軍をアルデンヌの森に長期間封じ込めたので、その点でも史実を超えたと言っていいだろう。Parisは占領されたが、次のターンには全ヘクスを奪還できる可能性が高い。そうなるとあのロンメル将軍率いる第7機甲師団も含めて合計6個装甲師団を壊滅させることになり、ドイツ軍自慢の電撃戦に支障を来すことになる。
そういう意味では、両軍とも史実超えを果たしたと言っていいと思う。
今回、ドイツ軍装甲師団の突進力があまりなかった。むしろマジノ線の方が確実に突破できた。ホビージャパンが本ゲームにつけた邦題が『激闘マジノ線』だが、今回はまさに『激闘マジノ線』だった。
ちなみにホビージャパンのルールブック上のタイトルは『激闘マジノ戦』出、カタログ上は『激闘マジノ線』だ。
もっとも、アバロンヒルだって、ボックスの上部やルールブックは『The Game of France,1940』で、ボックスの背の部分やデザイナーズノートは『France 1940』だから、商標登録がどうなっていたかわからないが、大らかな時代だったと思う。
アルデンヌの森からの突破ではなくマジノ線をこじ開けて、南方からParisを目指す作戦も成立するかもしれない。
このゲームはシミュレーションとしては面白いが、ゲームとして、連合軍が勝利得点で勝利を得ることはできるだろうか?
得点を得るには攻撃しないといけないが戦力が小さい連合軍が攻撃を仕掛けても逆襲され陣形が乱れ戦線が崩壊するのがオチだ。
都市の占領やドイツ軍装甲師団の除去の得点を高めるなど、勝利条件を変更しないと連合軍は勝てないと思う。
私個人は、ゲームの勝敗よりも当時の雰囲気を追体験したいので、このままでいいと思う。
西方電撃戦を扱ったゲームでは、まさに古典ゲームだが、James Dunnigan氏デザインのゲームだけあって面白い。
このゲームは連合軍の戦闘序列が11種類、ドイツ軍は6種類ある。
その組み合わせで11x6=66通りのシナリオを楽しめるゲームだ。
他の戦闘序列もプレイしてみたい。