Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

薩摩軍の九州東岸北上電撃作戦大成功!! WGJP013『最後のサムライ 西南戦争』バトル・レポート(AAR)その7


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ウォーゲーム日本史第13号の付録ゲーム『最後のサムライ 西南戦争』を対人戦プレイをしてみた。

このゲームは西南戦争全体をシミュレートしたゲームだ。

マップは九州全域で、ヘクスではなくポイント・トゥー・ポイントで表している。

1ユニットは旅団から大隊だ。

1ターンは記載がないがおそらく1ヶ月程度と思われる。

 

ゲーム手順は次の通りだ。

1)戦略カード・ドロー・フェイズ

2)行動フェイズ

3)孤立フェイズ

4)勝利決定フェイズ

5)ターン更新フェイズ

 

勝利条件は相手の士気が0になるとサドンデス勝利だ。サドンデス勝利にならなければ第10ターン終了時の士気による。

士気は勝利決定フェイズに保持している重要スペース数の多少による。

 

対人戦を通してわかったことは、薩摩軍は政府軍より重要スペースを1個多く確保してあとは持久戦に入れば政府軍の士気が落ちて勝利することだ。

 

こちらのVASSALモジュールでA氏と対戦した。

◆ウォーゲーム日本史(国際通信社) ─ VASSALモジュール

今回もA氏が薩摩軍で、私が政府軍だ。

 

さてどうなるか?

 

目次

  1. ■初期配置
  2. ■第1ターン(1877/02)
  3. ■第2ターン(1877/03)
  4. ■第3ターン(1877/04)
  5. ■第4ターン(1877/05)
  6. ■勝利条件の確認
  7. ■感想

■初期配置

薩摩軍は4個大隊で熊本を狙う配置だ。

政府軍は枠内が黄色い重要スペースに配置した。

第13連隊は、熊本、第14連隊は久留米ではなく党薩隊の登場を防ぐために佐賀に配置した。

 

■第1ターン(1877/02)

薩摩軍は熊本を占領し、平行して二個大隊で九州東岸を北上する。

政府軍は田原坂を突破し植木まで進出した。

政府軍が占領している重要スペースは6個。

薩摩軍が占領している重要スペースは5個。

6-5=1なので薩摩軍の士気値が1下がり5になった。

 

■第2ターン(1877/03)

薩摩軍は植木を攻略した。

政府軍は南関に第四旅団を送り、薩摩軍の田原坂突破を防ぐ。

薩摩軍の東海岸北上部隊は大分を占領した。

政府軍が占領している重要スペースは5個。

薩摩軍が占領している重要スペースは6個。

6-5=1なので政府軍の士気値が1下がり5になった。

 

■第3ターン(1877/04)

薩摩軍東海岸北上部隊が小倉に強襲上陸した。

政府軍がなんとか小倉を奪還した。

 

政府軍が占領している重要スペースは5個。

薩摩軍が占領している重要スペースは6個。

6-5=1なので政府軍の士気値が1下がり4になった。



■第4ターン(1877/05)

薩摩軍はとうとう小倉を占領した!!

政府軍の私はここで投了した。

 

 

■勝利条件の確認

薩摩軍が小倉を占領し政府軍の連絡線を止めたので薩摩軍の勝利だ!!

 

とこの時は考えて、投了した。

しかし、この後ルールをよく読むと、[10.2]「政府軍は自軍支配下の海岸スペースから別の自軍支配下の海岸スペースまで連絡線をたどることができる。」とある。

そのため本州から博多ー久留米ー南関ー佐賀と連絡線をたどれるのでまだ負けが確定したわけではなかった。

 

■感想

薩摩軍のA氏はスキのない戦い方をした。

 

九州東岸北上部隊と九州西岸北上部隊の2隊に分け、東岸北上部隊が大分を、西岸北上部隊が熊本から久留米を狙ってきた。

政府軍は西岸北上部隊の南関への突破を防いだが、東岸北上部隊の突破を防げなかった。

東岸はスペース数が多いので正直そんなに高速で北上してくるとは予想していなかった。

A氏は東岸北上に集中したのが成功した。

 

このゲームで薩摩軍で勝つのは難しいと思っていたが、今回はA氏の九州東岸北上電撃作戦が大成功した。

完敗だった・・・

 

この後、日本史はどうなっただろうか?

大久保利通は西郷隆盛の意を汲み、征韓論をすぐに実行に移しただろうか?

士族の不満を減らすために秩禄処分で渡す金額を上げただろうか?

政府に入り、士族の待遇が改善されただろうか。

そんなifの世界を考えるのもまた面白い。