Haruichiban0707のウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開したウォーゲーマーのノート。

エバン・エマール要塞の戦いヒストリカル・ノート

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 エバン・エマール要塞の戦いは、ドイツ軍がフランスに攻め込んだ戦いのごく一部で、空挺部隊の降下によって、簡単に終わった戦い・・・と思っていた。私の好きな『激闘マジノ線』(France 1940)でもあっさり攻略される小さな要塞ヘクスとなっている。Strategy & Tactics誌77号の付録ゲーム『奇襲空挺部隊』(PARATROOP)の『エバン・エマール』(Eben Emael)(以下EEと略す)をプレイしてみたので、少し歴史的背景を調べてみた。

 

 リエージュを南方から攻略しようとする敵に対する要塞線としての構想は19世紀の終わりからあった。第一次世界大戦後、現実味を帯びた。

1929年に承認された。

1931年にアルベール運河の建設開始。

1932年に建設開始。

1935年に要塞完成。

75mm砲16門。60mm対戦車砲12門。120mmカノン砲2門。

写真で見るとエバン・エマール要塞に配備されていた120mm連装砲の丸いデザインは、『宇宙戦艦ヤマト』に登場するヤマト以外の艦が装備している丸くて砲身がない砲塔によく似ている。もしかして松本零士エバン・エマール要塞のデザインをヒントにしたのだろうか。

空からの攻撃は想定してなく、高射砲はなく、対空機関銃はわずか4挺だった。

要塞の主な設備は地下にある。

要塞の兵員定数は約1,200名。500名ずつ2グループの戦闘要員と200名の管理要員だった。多くが砲兵のため歩兵戦闘の訓練を受けていなかった。

 

ドイツ軍は、グライダーにより要塞に着陸し成形炸薬弾を使って要塞を攻略する計画を立てた。落下傘降下だと降下地点が広がってしまうのでグライダーによる着陸とした。エバン・エマール要塞によく似たチェコスロバキアの要塞で訓練をした。

ドイツ軍は目標のトーチカに番号をつけた。EEのマップ上のトーチカにある水色の番号がそれだ。

北東の14番と16番はデコイ(囮)だった。ルール[9.5]はこの史実に基づいたものだろう。

 

ドイツ軍が東から地上を進撃しリエージュマーストリヒトを目指すことを想定して作られた要塞だから、これらがデコイというのは驚きだ。

 

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エバン・エマール要塞の図



1940年5月10日 0430時 グラニート戦闘団を含むコッホ突撃集団の4個戦闘団員389名は、DFS230グライダー42機に乗り、Ju52輸送機に曳航されて離陸した。グラニート戦闘団85名は11機のグライダーに乗ってエバン・エマール要塞攻略を目指す。他の部隊は3個の橋の確保が目的だ。11機中2機の曳航索が途中で切れてしまい、エバン・エマール要塞に向かうのは9機になってしまった。しかもその2機のうち1機が指揮官のヴィツィッヒ中尉が乗っていた。そのため、副隊長のデリカ中尉が指揮することになった。

 攻略目標の20マイル(約32km)手前、高度7000フィート(約2133m)で曳航機からリリースされた。

0520時 9機のDFS230は着陸地点に滑り込んだ。無事着陸できたグラニート戦闘団員は約55名。AbH15ホローチャージ爆弾(成形炸薬弾)や火炎放射器を使って要塞内の構築物を破壊に走る。最初の10分間で、エバン・エマール要塞の多数の砲塔を破壊した。

 #18マーストリヒトⅡ、#12マーストリヒトⅠは完全に破壊された。#26ヴァイスⅠは2回の襲撃で破壊された。#24 120mm連装榴弾砲は、2個分隊が攻撃したが破壊できず、他の部隊が砲塔によじのぼり砲身を打ち壊した。#13中央南トーチカでは、ベルギー軍との戦いになり、火炎放射器を使用し、成形炸薬榴弾を使用した。#19中央北トーチカは破壊された。#16, #14はデコイだった。#23南砲塔では、急降下爆撃隊の爆撃支援を行った。爆弾はこのトーチカを破壊できなかったが、ベルギー軍を撤退させることには役立った。

0830時 ヴィツィッヒ中尉はいったん引き返して別のDFS230に乗り換えエバン・エマール要塞に到着した。

要塞の出入口をグラニット部隊は自らふさいでしまったので、要塞内に侵入することができなくなったが、要塞内の兵士も地上に出られないようになった。

ラニット部隊は、地上軍を待つ。

攻撃計画では、数時間以内に第51工兵大隊が到着することになっていたが、到着したのは翌5月11日午前7時だった。

5月11日 12時30分、ベルギー守備隊は降伏した。グラニット部隊の戦死者は6名、負傷者19名だった。ベルギー軍は戦死60名負傷40名。1000名以上が連行された。

 

 エバン・エマール要塞攻略は1時間から2時間程度で簡単に一方的に終わったのかと思っていたが、実際は1日半も要塞をコントロールし援軍が来るまで持ちこたえていたのだとは知らなかった。ヒストリカル・シナリオに参加する分隊の番号が飛び番になっていたのが、2機のグライダーの曳航索が切れてしまったからだったとは驚いた。

 100名弱で1000名近くの敵と戦いながら味方の援護を待ったのは大変だったと思う。

 爆破は具体的にどこにどう仕掛けてどうやったのか、どのチームがどの砲台を爆破したのか、ベルギー側は人数多いのだから、出口を封鎖されても他の出口から出てなんとか反撃できなかったのか、参加者一人一人の人生はどうなったのかなどなど、気になる点はいろいろある。

 ちょっと調べてみて史実を知っただけで、詳細はまだまだわからないことだらけではあるが、EEへの愛着が湧いてくるものだ。

 

参考文献と参考リンク

『ミリタリー・クラシックス』 vol.10 2005年夏号 イカロス出版

 

ja.wikipedia.org

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placeandsee.com