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80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

【ムック紹介】『ドイツ陸軍全史』 歴史群像第二次欧州戦史シリーズ20 学習研究社 (2002/06/30)

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もくじはこちら


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ドイツ陸軍の歴史をまとめたムックだ。

 

 

p.7 ドイツ陸軍の兵科と部隊 文/蔵世美仲

一口に陸軍の歩兵師団といっても色々な兵科があるのがわかる。

装甲猟兵が対戦車砲部隊。

徒歩歩兵、自隊の車両で機動する自動車化歩兵、装甲車両で機動し戦闘を行う機械化歩兵に分類される。

猟兵は特別な条件下で歩兵としての任務を遂行する兵科で、山岳猟兵や降下猟兵がある。

装甲師団内の歩兵部隊は狙撃兵(機械化歩兵)と呼ばれる。(ややこしい)

1943年以降歩兵全般が擲弾兵と呼ばれるようになった。

従軍僧たちもいた。

 

p.13 [ドイツ陸軍]部隊と装備 文/田村尚也 イラスト/上田信

ケッチェンという装甲兵員輸送車があったのは知らなかった。

通信機の大きさや重さを見ると、現代のスマホがいかに進歩したかに驚く。

糧食交付所のイラストや野戦炊事車の写真を見ると飯がなければ戦はできぬ、ということを改めて実感する。

 

p.40 18世紀~1918年 君主のための軍隊 文/守屋純

p.49 1918年~1933年 ワイマール共和国と国軍 文/守屋純

p.56 1933~1939年 独裁者と軍部 文/守屋純

学生の頃、歴史を学んでいる時、よく理解できなかったのが「ドイツ(プロイセン)」という記載だった。

この記事を読むと、プロイセンが軍事的に強力で、他の王国はプロイセンに従うか征服されてドイツを統一したということだ。

日本の明治維新に例えると薩摩藩が軍事的に強力で江戸幕府を倒し諸藩を服属させ、薩摩の殿様が天皇になり、「日本(薩摩)」となったようなものだ。

日本の天皇制は男子が天皇家の血統を継いでいないと、天皇にはなれないから、そのようなことは起こり得ない。

しかし、ヨーロッパ史だと異国の王族が王を兼任するなど不思議なことが起こる。まだ王族同士は血縁関係にあるからwからないでもないが、ナポレオンのフランス皇帝戴冠など根拠がよくわからない。

 

第一次世界大戦のドイツ敗戦の経緯も今までよくわからなかったが、この記事を読んで、少しわかった気がする。

水兵の反乱から皇帝の亡命・・・体制が滅ぶときは一瞬なのに驚く。

 

 

p.66 検証1 なぜドイツ軍は常に戦術的優位を保つことができたのか 文/佐藤俊之

p.72 検証2 1000万の軍隊を生み出したドイツの徴兵制 文/佐藤俊之

常に一つ上の部隊を率いる将としての教育・・・これは現代のビジネス界でも「係長なら課長に、課長なら部長になったつもりで、仕事をしろ」とよく言われることだ。

 

徴兵から一人前の軍事組織に鍛え上げる仕組みが簡潔な説明でよくわかる。

 

p.79 ドイツ陸軍歩兵の個人や戦争日 文・イラスト/STEINER

子どもの頃、タミヤの1/35ミリタリー・ミニチュアシリーズをよく作ったが、ドイツ軍兵士が身体につけているものがよくわからなかった。

この記事の写真と解説でようやくわかった。

 

p.95 図解ドイツ陸軍の構造

最高軍事統帥組織 ヒトラーの作戦指導はどのような組織を通じてなされたか 文/蔵世美仲

三重に組み立てられた実戦的な教育・訓練法 文/蔵世美仲

 

当時の日本に対して、ドイツ軍の中央集権的な組織構造がよくわかる。

当時の日本は、権力が誰にも集まっていなくて、アメーバが勝手に触手を広げるように、各組織がそれぞれバラバラに動いていたようなものだ。陸軍は勝手に中国で戦線を広げ、海軍は勝手に太平洋で戦線を広げていた。資源がない日本が選択と集中をせずに戦線を勝手に広げたらそれは勝てないわけだ、とドイツの組織を見て思った。

 

p.104 歩兵師団の編制 ドイツ歩兵師団はどのような変貌を遂げたか 文/田村尚也

39年型歩兵師団、44年型歩兵師団、国民擲弾兵師団、45年型国民擲弾兵師団の編制の違いを図解しており、とてもわかりやすくて面白かった。

 

①39年型歩兵師団

1個連隊を3個の歩兵大隊で構成し、3個連隊で1個師団を構成する。つまり1個師団は9個歩兵大隊で構成されていた。

こうすると2個連隊を前線に配置し1個連隊を予備にできる。

これが2個連隊で1個師団を構成する場合、1個連隊が前線で1個連隊が予備とするか、2個連隊全て前線に配置するか、の選択肢しかなく、柔軟性に欠ける。

39年型歩兵師団1小銃中隊の火器


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重火器中隊の例


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歩兵砲中隊の例

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自動車化対戦車砲中隊の例


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軽野戦榴弾砲中隊の例


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重野戦榴弾砲中隊


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②44年型歩兵師団

1個連隊を2個の歩兵大隊で構成し、3個連隊で1個師団を構成する。つまり1個師団は6個歩兵大隊で構成されていた。すなわち①に比べて2/3の戦力になってしまった。

偵察大隊が燧石銃兵大隊(フュージリアー大隊)になり、通常の歩兵大隊と変わりばえがなく、自転車化部隊になったのだ。自転車を使ったのはマレー電撃戦の日本軍だけかと思ったらドイツ軍も使っていたのか~。

 

③国民擲弾兵師団

1944年6月末から根こそぎ動員の結果、編成した国民擲弾兵師団は、1個連隊を2個の歩兵大隊で構成し、3個連隊で1個師団、つまり1個師団は6個歩兵大隊で構成していた。その点では、②と同じだが、歩兵大隊の定数が700名から640名に減少している。

MP40などの短機関銃が支給され火力向上になっていたが、師団全体の火力は減少している。

 

④45年型擲弾兵師団

1945年になってからの歩兵師団だ。1個連隊を2個の歩兵大隊で構成し、3個連隊で1個師団を構成する。つまり1個師団は6個歩兵大隊で構成されていたので、②③と同じだが、定数を満たせない師団が増えていた。

 

図中にどんな砲が何門配備されていたかも記載されており、『戦闘指揮官』(Squad Leader)シリーズ、ASL(Advanced Squad Leader)シリーズをプレイするときの参考になる。

 

p.112 図解ドイツ歩兵の戦術 文・イラスト/樋口隆晴

歩兵部隊の攻撃法、直協砲兵の射撃法、重機関銃重機関銃チーム、歩兵用下記の種類と射程、小銃小隊の編制など、イラストと説明が一体になっていてわかりやすい。

『戦闘指揮官』(Squad Leader)シリーズ、ASL(Advanced Squad Leader)シリーズをプレイするときの参考になる。

sIG33 15cm重歩兵砲は4650m(ASLシリーズのヘクス数に換算すると、116ヘクス)、ieiG18 7.5cm軽歩兵砲は3550m(89ヘクス)、G34 8cm迫撃砲は2400m(60ヘクス)、重機関銃は800~1000m(20~25ヘクス)、ieGeW 5cm軽迫撃砲は520m(13ヘクス)、Pak35/36 3.7cm対戦車砲は1000m(25ヘクス)、500m(13ヘクス)で貫徹力36mm、PzB39 7.92mm対戦車銃は2000m(50ヘクス)、300m(8ヘクス)で貫徹力25mmだ。

 

また、歩兵(小銃)小隊は、6名の小隊本部と1個分隊あたり10名の小銃分隊が3個で、分隊内に1名の機関銃手がいる。3名の軽迫撃砲班が5cm軽迫撃砲1門を、7.92mmPzB39対戦車銃1挺を持った3名の対戦車銃班がいた。

『戦闘指揮官』(Squad Leader)シリーズ、ASL(Advanced Squad Leader)シリーズに換算すると、1個小隊が、半個分隊の小隊本部と、3個分隊と3挺のLMGまたはMMGまたはHMG、2個の半個分隊と5cm軽迫撃砲1門と1挺の対戦車銃で構成されているわけだ。

 

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p.119 ドイツ陸軍全史

p.120 「戦争の本質」を追究し続けたドイツ兵学の系譜 文/片岡徹也

フリードリッヒ大王『軍事的遺言』、ロイド『七年戦争史』、ビューロー『新戦争体系精髄』、ベレンホルスト『兵術考究録』、ジョミニ『兵術要論』、クラウゼヴィッツ戦争論』ヴィリゼン『大戦争の理論』、モルトケ、シュリーフェン、ルーデンドルフ『陣地線における攻撃と続くドイツ兵学について概説していてわかりやすい。

p.128 ドイツ参謀本部 その効用と限界 文/片岡徹也

ドイツ参謀本部は有名な組織だが、2回も負けている。

負けているのになぜ有名なのか?

考えてみれば不思議だ。

この記事では、全てを純軍事的観点でのみ分析し計画を立てており、経済や大衆への宣伝や士気高揚について検討していないことが問題だったとしている。

なるほどなぁ~と思った。

大東亜戦争の日本陸海軍も同様な点があったから納得だ。

 

p.134 ドイツ陸軍は戦後、各国の軍隊に何を遺したか 文/佐藤俊之

突撃銃、汎用機関銃、歩兵用対戦車兵器、装甲兵員輸送車、通信設備、軍装(迷彩服やハーネス)、砂漠の機甲戦闘、電撃戦などがドイツ軍が戦後、各国に遺したものだという。

日本陸軍は何を遺せただろうか・・・?

 

p.140 歴史を駆け抜けたドイツ傭兵部隊 文/菊池良生

傭兵という存在もヨーロッパ史にはよく出てくるが、日本史にはあまり出てこないので、よくわからない存在だ。

日本の鎌倉時代末期から南北朝時代に登場する悪党に近いのかもしれないがよくわからない。

 

この記事では傭兵は紀元前十数世紀頃から登場していた。中世ヨーロッパでは国王が傭兵隊長に募兵特許状を交付し傭兵隊長が兵を集める。そこには契約はあっても主従関係はない。兵隊は農村や都市の食い詰め連中で自分達を自由戦士だと思っていた。

三十年戦争がきっかけで常備軍的傭兵制度に変わっていき、フリードリッヒ大王の頃、国家が自前で将校を育成できるようになり、兵は傭兵や外国籍でも構わない状況になる。

アメリカ独立戦争アメリカ軍を鍛え上げたのはプロイセン出身のシュトイベンで、それがヨーロッパに逆輸入され国民軍になる。

 

傭兵の歴史を概説していて面白い記事だった。

 

p.145 ドイツ陸軍指揮官列伝 文/伊達博昭

フリッチュ、ブラウヒッチュ、ハルダー、ヨードル、カイテルブロンベルクらの略歴が紹介されている。

 

p.157 ドイツ陸軍を支えたその他の組織 文・写真解説/白石光

空軍地上部隊、海軍歩兵師団、トート機関、国民突撃隊の紹介だ。

 

空軍地上部隊や海軍歩兵師団は、いろいろなウォーゲームにユニットとして登場する。

 

 

空軍地上部隊の例

HJ/SPI『シシリー上陸作戦』(Sicily)のヘルマンゲーリング師団
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海軍歩兵師団の例

HJ『マーケットガーデン作戦』
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トート機関というのは知らなかったが、大規模な構築を請け負った部隊だったそうだ。

大西洋の壁やジークフリート線などを構築した部隊なのだろう。

 

国民突撃隊の例

HJ/SPI『オペレーション・グレネード』(Operation Grenade)


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1945年7月25日、16歳から60歳までが動員されて国民突撃隊が編制されるようになった。

そのプロパガンダ写真に50歳代と思われる男性とあどけない10歳代の少年が並んでいる姿が写っている。

当時の日本軍は竹槍や粗末な特攻兵器だったから、それに比べればまだマシかもしれないが、悲壮感が漂う。

この時代に今の私の年齢でこの写真を見たら、「俺もまた戦争に行かないといけないのか。武器はここに写っている武器か・・・。ああ、わがドイツももうおしまいだなぁ」と思ってしまっただろう。

この頃、この国でこの年齢層だったら、招集されて連合軍に立ち向かわなければいけなかったと思うと、今の時代の日本に生まれてよかったと思う。