表紙の『「太平洋の壁」打ち砕いた』は『「大西洋の壁」打ち砕いた』の誤記ですね
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シシリー島上陸作戦からノルマンディー上陸作戦をまとめたムックだ。
上陸作戦に対する防御法、上陸作戦を実施する上陸舟艇や人口港マルベリーなどが、写真、CG、イラストや解説でわかりやすく説明されている。
p.40 ノルマンディー前史 欧州大陸反攻への道 文/守屋純
イギリスは第一次世界大戦の塹壕戦のイメージが強烈なため、フランス上陸に消極的で、北アフリカ・地中海方面からの反攻を希望し、アメリカは北フランスへの進攻作戦を構想していた。米・英も一枚岩ではなかった当時の複雑な状況がよくわかる。
p.48 米陸海軍将校の階級呼称 文/谷光太郎
Captainが陸軍では大尉を、海軍では大佐を意味する。また、Lieutenantも、陸軍では中尉(First Lieutenant)や少尉(Second Lieutenant)、海軍では大尉を意味するそうだ。そういえばそうだなぁ、とあらためて驚いた。
また、米陸軍元帥をGeneral of the Armyと呼び、英軍のようにField Marshalと呼ばない理由が面白い。当時米陸軍には元帥がいなかったが、英陸軍と合わせるために元帥が必要となり、当時の米陸軍参謀総長がジョージ・マーシャルで、彼が最初の元帥になった。英陸軍に合わせたら、マーシャル Field of Marshalとなって、可笑しいことになるので、General of the Armyとなったそうだ。
p.50 総司令官の決心「賽は投げられた」 文/土門周平
ノルマンディー上陸作戦の総司令官がアイゼンハワーに決まるまでの経緯、6月5日から6月6日に変更した経緯を解説している。延期を決定した時のアイゼンハワーはシビれただろうなぁ。
p.58 ノルマンディー海岸 DデーHアワー 文/土門周平
p.66 ドイツ機の姿なきノルマンディー上空 文/服部省吾
p.76 連合軍の東方進撃 パリ解放への道 文/土門周平
ノルマンディー上陸作戦時の地上戦と航空戦について、戦況図や写真を使い、概説している。また、ノルマンディー以後の西部戦線について、コブラ作戦やファレーズ包囲戦の戦況図とともに概説している。
元航空自衛隊戦闘爆撃機パイロットの服部省吾氏による記事だ。戦闘機同士の空中戦に話が行きがちだが、この記事を読むと戦闘爆撃機の世界の怖さがよくわかる。戦闘爆撃機パイロットには、闘志と技量に加えて「運」が重要だ。対空火器が命中するかどうかは、まさに「運」だからだ。
p.82 昭和18年秋 戦略方針変更のとき 文/亀井宏
昭和17年10月28日に大東亜省が発足。
昭和18年5月に大東亜政略指導大綱を議決。
昭和18年11月初旬、大東亜会議開催。
大日本帝国憲法では統帥権の独立というのが慣例ではあった。全体主義のドイツ、イタリア、ソ連はともかく、民主主義国であるアメリカ、イギリスも、ルーズヴェルトやチャーチルに権限を集中させていたのに、日本はこの頃まで統帥権の独立を守っていたのだから、戦争に勝てないはずだ。
p.95 カラー徹底図解◆【ノルマンディー攻防戦】独vs.連合軍の主力兵器
計70種に及ぶ上陸用舟艇と支援用舟艇。英第79機甲師団が持っていた各種の特殊戦車。水陸両商社DUKW(ダックと呼ぶ)。大西洋の壁=アトランティック・ウォールと水際障害物のイラストとCG。
p.111 連合軍兵站戦の実装 文・監修/白石光
D-Day当日の作戦参加戦力は、戦闘機3711機、軽・中爆撃機933機、重爆撃機3130機、上陸地域に投下した爆弾13000t !!
戦艦7隻、巡洋艦26隻、その他の戦闘艦294隻!!
揚陸艦・上陸用舟艇4126隻、補助艦艇736隻、徴用商船864隻
戦車・装軌式車両500~650両!!
トラック・装輪式車両2500~3000両!!
上陸将兵13~20万人!!
まさに史上最大の作戦だったのがよくわかる。
その他、燃料輸送用のPipe-Lines Under the Ocean(PLUTO)や、人口港マルベリー、レッドボール・エクスプレスと呼ばれた5500両のトラックによる大物流システムについて、目立たないが重要な仕組みについて、写真による解説がとてもいい。
p.119 ローマへの道 文/伊藤裕之助
1943年7月10日のシチリア島上陸から1943.9.3のベイタウン作戦、アヴランシュ作戦、1944.1.24に始まるカッシーノの戦いが、写真とCG、イラストによってわかりやすく解説している。
イタリアの険しい山岳地帯の様子がよくわかる。
p.130 特別企画 7月20日事件と反ヒトラー運動 文/鷹光隆
ヒトラー暗殺未遂事件はいくつかあったようだが、一番有名なのが1944年7月20日にラステンブルクで発生した事件だろう。写真や地図による解説がわかりやすい。また、反ヒトラー運動が、左翼政治グループやキリスト教会や保守派グループなどに分かれており、一枚岩ではなかったこと、国防軍反ヒトラー派の末路がまとめていてわかりやすい。
p.135 検証1 「史上最大の作戦」D日H時の決め方 文/中山隆志
史上最大の作戦であるオーヴァーロード作戦の日付、場所の決め方、欺騙活動について、その苦労がよくわかる。当事者は胃が痛い思いだったことだと思う。
p.146 アメリカ製兵器 その優越性を探る 文/野木恵一
アイゼンハワーが戦勝に最も貢献した兵器として、ダグラスC-47輸送機、バズーカ砲、ジープ、原爆をあげている。野木恵一氏は、アメリカの航空機とシャーマン戦車の大量生産、空母や駆逐艦や潜水艦の大量生産を例としてあげている。
野木恵一氏があげる次の二点は私も同意見だ。
「これら(ダグラスC-47輸送機、バズーカ砲、ジープ)は・・・凡庸ではないものの際立ってこう性能でもない。むしろ着想のよさや登場のタイミング、使い勝手で評価される兵器である。」
「英国製兵器の最大の優越点は、個々の兵器の性能などではなく、実にその量産性と実用性にあったのである。」
兵器ではないが、人員補充もアメリカの凄さだと思う。
空母を50隻、駆逐艦や潜水艦を多数、航空機を何万機と作っても、それを動かす人間がいなければ、単なる金属の塊にすぎない。
日本は艦上機を作ってもそれを動かすパイロットの養成が間に合わなかった、と何かの本で読んだ記憶がある。それらを動かす人員の教育力・供給力もアメリカの凄さだと思う。
p.153 米国の国民的英雄 アイゼンハワー&パットン 文/谷光太郎
アイゼンハワーとパットン。この2人が正反対ともいえる性格だが、二人とも平時なら将軍にはなれず、せいぜい大佐止まりで退役していそうな点は共通する。
ニミッツもそうだが、戦時となると実力者を抜擢するアメリカ軍の人事の柔軟性については、驚く。日本は明治維新の頃は、幕府側も薩長側も、下級武士が実力で取り立てられた。それに対し、大東亜戦争の時には、陸大の期や成績順、ハンモックナンバー順を変えられなかった日本軍の頑迷さは何だったのだろう?大日本帝国陸海軍は、滅びるべきして滅んだのだと思う。
p.160 指導者ド・ゴール 政戦略とリーダーシップ 文/前川清
p.168 第2次大戦とフランス 「神話の時代」 文/守屋純
1940年5月10日から6月にかけてドイツ軍の電撃戦により完敗したフランスが国際連合の常任理事国になり、核兵器保有国になったのは、火事場泥棒と呼ぶべきか、ちゃっかりしているというべきか、と思っていた。しかし、この記事を読み、その認識が誤っていたことを認める。
ノルマンディー上陸作戦がいつ始まるか、ド・ゴールが知ったのはDデーのわずか2日前だった。そして、フランスの旧首都パリは目指さないという方針だった。当時のレジスタンスは共産党勢力によって固められていた。
ド・ゴールは、活発に活動し、パリを凱旋行進するように変更した。レジスタンスの中心勢力だった共産党勢力から巻き返した。
自由フランス軍がフランスの政党政府であることを米英に認めさせた。
ヴィシーフランス政府のペタン達がどうなったかも書いてくれたらよかった。
フランスはフランスで苦労していたのだなぁ~
p.173 魔のシュヴァインフルト 米重爆部隊の蹉跌 文/宮本勲
ボーイングB-17フライングフォートレス(空飛ぶ要塞)は、日本軍では撃墜しにくい重爆撃機だったが、ドイツ空軍機はかなり落としていた。1943年10月14日のシュヴァインフルのボールベアリング工場爆撃(暗黒の木曜日=ブラック・サーズデー)の経緯についての解説がわかりやすい。
発進したのが第1師団163機、第3師団154機、合計317機。ミッション中止したのが56機。投弾できたのが227機。損害が往路で34機、復路で26機、合計60機。第1師団は合計45機、損害率27.6%、第3師団が15機、損害率約10%。投下した爆弾は618t。ボールベアリング工場の75%が損害を受けたと判定されたがそれが過大評価だとわかったのは戦後のことだった。
爆撃機の基本隊形や編隊構成が、AH/HJ『ヨーロッパ上空の戦い』(Air Force)シリーズのシナリオ作りの参考になる。
p.185 もっと知りたい人のためのブックガイド 守屋純・選
p.184 【映画が描いた第2次世界大戦】シネマガイド
p.183 【編集部厳選】博物館・資料館・史跡ガイド
これらもとても参考になる。
p.189 W.W.II軍事学の基礎知識「築城」 文・構成=鷹光隆 イラスト=樋口隆晴
巻末にあるこの記事は当時の掩体、掩壕、障害物の様子がよくわかる。