Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

奉天会戦ヒストリカル・ノート

『コマンドマガジン』第163号の地図とユニットを使って、史実になるべく近い形で戦況図のように並べてみた。

大まかな雰囲気を見てほしい。

どんな歴史書を読んでも、正確な部隊の位置を地図上で再現することは難しいからだ。

 

1905年2月27日から28日f:id:Haruichiban0707:20220308150329j:image

日本軍は左翼から進撃していく。

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1905年3月1日から3月2日

日本軍左翼がだいぶ進撃した。
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1905年3月3日から3月4

日本軍左翼が、奉天やその北にある鉄道まで、あと少しまで迫った。
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1905年3月7日から8日頃

日本軍が中央や右翼からも奉天を包囲した。だが、ロシア軍はスルスルと北に逃げていく。
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こうして見ると、バトル・レポート(AAR)は、ほぼこの通りの展開になったなぁ。

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