『コマンドマガジン』第163号の地図とユニットを使って、史実になるべく近い形で戦況図のように並べてみた。
大まかな雰囲気を見てほしい。
どんな歴史書を読んでも、正確な部隊の位置を地図上で再現することは難しいからだ。
1905年2月27日から28日
日本軍は左翼から進撃していく。
1905年3月1日から3月2日
日本軍左翼がだいぶ進撃した。
1905年3月3日から3月4日
日本軍左翼が、奉天やその北にある鉄道まで、あと少しまで迫った。
1905年3月7日から8日頃
日本軍が中央や右翼からも奉天を包囲した。だが、ロシア軍はスルスルと北に逃げていく。
こうして見ると、バトル・レポート(AAR)は、ほぼこの通りの展開になったなぁ。
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