Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

堀場亙氏のTwitterスペース「ウォーゲームにおける歴史再現性とシミュレーション」を聴いてみた

堀場工房の、毎月第一水曜日に開催されている堀場亙氏によるTwitterスペースを生放送で聴いた。今回は盛り上がって1時間の予定の所を、1時間30分に達した。

 

テーマは、「ウォーゲームにおける歴史再現性とシミュレーション」と、凄く大きく抽象的なテーマだ。

 

概要を黒文字で書き、私個人の感想を青文字で書いておく。

 

私が聞き間違ったり、解釈を誤っていたりする可能性があることをあらかじめお断りしておく。また、発言の順序を変更している部分があることもお断りしておく。

 

■今回のテーマ選定理由

今回、このテーマを選んだ理由は、bonsai-gamesさんの下記『歴史的再現性と歴史的信憑性、そして『日本機動部隊』』を読んだからだそうだ。

bonsai-games.net

■歴史的再現性の定義

まずは「歴史再現性」という言葉を定義する。

「歴史としての事実を再現できる」という簡単な定義からスタートする。

しかし、そうすると、「全体としての歴史再現性」と「個々の局面の歴史再現性」について考える必要が出てくる。

 

ここでリスナーの一人から「事象の再現の他にも、当時そこにいた人が抱いたストレスの再現もある。」とコメントがあった。

 

歴史的再現性は完璧に再現することは不可能だ。

誰がいつどこにいて何をしていたか、を完全に記述できないし、残っていない。

当人達は既に亡くなっているケースもある。

神の視点で、全ての原子や分子がいつどこにあったか記録し再生できない限り、完全な歴史的再現性、歴史的正確性はあり得ない。

どこかで妥協しなければならない。妥協という言葉が悪ければ、バランスをとらなければならない。

 

■歴史的再現性と歴史的信憑性

歴史的正確性を高めると、ルールの制約が多くなる

歴史的信憑性とは、いろいろな要素がからみあい、いろいろな可能性があったことを追求しており、史実はその結果の一つになる。ゲーマーはその可能性を体感できる。

 

歴史的正確性と歴史的信憑性は混じり合っている。

 

今回のスペースの中で「歴史的信憑性」の定義はなかった(と思う)が、私は「歴史的な事実から考えられる可能性」と思って聞いていた。

これは難しい。

起こっていないことについて、起こり得たか起こり得なかったか、起こったとしてその確率が何%だったか、決めないといけないからだ。

史実では1:1の戦闘比で戦いA国が勝ち、B国が撤退したが、1:2でもA国が勝てたのか、他の部隊も1:1で勝てたのか・・・を考え、戦闘結果表(CRT)や部隊の戦闘力を決めていかないといけない。

決めるに当たって、何らかの論理が必要なわけで、それがデザイナーの歴史観だと思う。

そう考えると、デザイナーさんは大変な仕事だと思う。

 

■歴史的再現性とランダム性

ランダム性はほとんどのゲームに含まれており、デザイナーはランダム性のバランスをとり、ブレすぎないようにする。

 

ここでリスナーの一人Hさんから「歴史的信憑性の部分集合が歴史的再現性だと思っている。正確性を突き詰めるとCRT不要で、移動の自由もなくなり、ルールが不要になる。
CRTはゲームとしての面白さのためのエンターテインメント性の要請からだけではなく、デザイナーがここまでは起こりうると考えているから存在すると思う。」と発言した。

 

ウォーゲームではないが、ホビージャパンが出した野球ゲームでは選手カードは去年のデータから確率を求めて作っている。これは歴史的信憑性がある。プレイすると、去年と同じチームの順位にならない。これは歴史的信憑性があっても歴史的再現性が高まるわけではない一例だ。

 

「歴史的信憑性の部分集合が歴史的再現性」という考え方は、「なるほど~。位置づけが明確になった。」と思った。

私個人は、歴史的再現性と歴史的信憑性という用語を混同し明確な位置づけができていなかった。この発言やプロ野球ゲームの例で明確になった気がする。

 

また別なリスナーのTさんが「史実の再現=戦況図の再現に偏っている気がする。それは果たして史実の再現か?例えば現場の指揮官が感じたジレンマや戦場の霧は史実の再現ではないのか?ウォーゲーマー全体が戦況図に縛られすぎていると思う。ダイスを振るのは戦場の霧の再現だと思う。ゲーム性ではなく戦場の霧の再現だと思う。」と発言した。

「史実の再現=戦況図の再現に偏っている気がする」とは、私のことを言われた気がしてドキッとした。「現場の指揮官が感じたジレンマ」は、私もゲームをプレイしていて一番重要と考える要素だ。

「ダイスを振ると歴史的再現性を保てない」という考えに対して、「ダイスを振るのは戦場の霧の再現」という考えは新鮮だった。

 

堀場さんは「指揮官のジレンマや心理的な苦悩は、数値化できない。私は実際の盤上と戦況図が一致しているかは、重きを置いていない。個人的には、指揮官のジレンマや心理的な苦悩を体感できることを重視している。一方でそうではない、という人もいると思う。」と答える。

 

「現場の指揮官が感じたジレンマ」は、私もゲームをプレイしていて一番重要と考える要素なので、堀場さんもそうだと言うことが何だか嬉しかった。

 

Tさんは、「チェスや将棋はランダム性がないが、ゲームとして成立している。」と発言した。

 

これはいい問いかけだと思った。ウォーゲームはランダム性としてダイスを振るが、チェスや将棋は振らない。この違いは何だろう?と考えてしまった。私だったら、答えに詰まってしまうところだ。

 

しかし、「プレイヤーがどこに何を動かすかはある種のランダム性だと思う。」と堀場さんは即座に答えた。

すごい名回答だと思った!!常日頃考えているのだろう。

 

「ダイス振りは、戦争の相互作用のシミュレートではないか?チェスや将棋もゲーム性ではなく、シミュレートとして収束できるのではないか?」と、Tさんがそこにたたみかける。

 

「ダイスを振るということは、シミュレートとしての側面とゲームとしての側面がある。ゲームにはランダム性が必要。増えすぎると制御が難しくゲームが破綻する。少なすぎるとなるようになるしかない。デザイナーはそこのバランスをとる必要がある。」と堀場さんが答える。

 

この辺りのやりとりは、興味深かった。私は、ダイスを振ることの意味について、考えたこともなかった。堀場さんの回答は、納得する。例えば太平洋戦争のゲームで、ゲーム性を高めて、日本軍がオーストラリア全土やアメリカ本土を占領する可能性があったら、歴史的信憑性がない、と言えるだろう。当時の日本軍の国力や軍事力のデータをもとにして、どこまで何ができるか、何ができないか、を考え、ルールやユニットやマップで表現するのが、ゲームデザイナーの大事な仕事だと思う。

 

「史実の方が6ゾロのような異常なときどういう風にゲームデザインするか?例えば、海戦で、一発の砲弾が旗艦の艦橋に命中し司令官が戦死した場合だ。」Tさんの質問だ。

鋭い質問だ。堀場さんは「何と答えるだろう?」と思った。

「イレギュラーはイレギュラーとして整理する。排除はしない。可能性が0.1%あるならそれを残すことでゲームとして面白くなる。それが10%だとゲームを壊してしまう。」

堀場さんの答えも的確だ。

 

■表現物としてのウォーゲーム

Tさんが、「ウォーゲームも書物や映像ドキュメンタリーと同様の表現物だと思う。表現者(ゲームデザイナー)が、何をプレイヤーに伝えたいのかが大事だ。勝敗は関係ない。どちらかというと、ゲームデザイナーが伝えたかったことを感じられることが大事。」と発言した。

 

ウォーゲームが本や映像と異なるのは、能動性があることだ。

 

これは激しく同意する。

 

何を目的にウォーゲームをプレイするかは、プレイヤーによって、それぞれ違う。ある人は勝利を追求するし、ある人は歴史の追体験をするし、ある人は歴史の何かを学ぶためにプレイするし、人によってはifを追求する。そして、どれか一つではなく、人それぞれグラデーションがある。

 

これも激しく同意する。私個人のウォーゲームをプレイする理由は、追体験、ifの追求、歴史の何かを学ぶ、勝利、デザイナーが伝えたかったこと、といった感じだ。

 

ウォーゲームにおける歴史的再現性とシミュレーションは、デザイナーのデザイン観であり、史実感であり、プレイヤーの感じ方だと思う。

 

堀場さんがうまくまとめていた。

 

■司会進行の見事さ

堀場さんは、Twitterスペースに上がってくるコメントや、発言したいと挙手した人に、その場で全てに即答していて、驚いた。

また、それでも、発散しないで、うまくまとめていたことに、驚いた。

 

発言したりコメント入れていた人達の内容が、テーマに沿っていて、しかも議論を深める鋭いものが多かったのも、スペースが盛り上がってよかった。皆さん、場を壊さないようにわきまえた発言やコメントをしていて、1時間30分がとても有意義だった。

 

私なら、まずは自分の言いたいことを言わせてもらい、その間は、コメントや発言への回答はとりあげないだろう。堀場さんのようにうまく進行する自信がないからだ。議論が発散し、ヘンな方向に向かい中途半端に時間が過ぎるのを防ぐためだ。

一通り言いたいことを言わせてもらったら、質問タイムを設ける。そこでコメントや発言をピックアップしてとりあげるだろう。

 

堀場さんは、質問やコメントを理解し即答し、テーマから外れず、うまくまとめていてすごいと思った。

 

毎回第一水曜日だから、次回は9月6日だろう。どんなテーマ、ゲストになるか、次回も楽しみだ。