Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

ウォーゲームに関するとりとめもない思い

私は、中学生や高校生の頃ウォーゲームをプレイしており、約40年のブランクを経て、コロナ禍により、再開した。

中高生の頃は、ウォーゲームをプレイすることで、その歴史を理解し、精通したつもりだった。今考えると思い上がりも甚だしいことだ。

 

ウォーゲームを再開してみて、自分がいかに史実を知らなかったか思い知らされた。

映画にもなって有名なノルマンディー上陸作戦やマーケットガーデン作戦だって、何を狙って結果がどうなったかは知っていても、ユニット一つ一つ、将軍達が何を意図して、どう動いたか、いつどこでどう戦っていたかを説明できない。つまり何も知らないと言っていい。

 

また、ウォーゲームをプレイすることで、戦史を理解したつもりだったが、ウォーゲームに凝縮されたユニットやマップやルールは、必ずしも史実を再現するものではないことに今さらながら気づかされた。

そもそも記録が曖昧なのだ。勝者はともかく敗者は生命最優先で記録を残す余裕がない。あるいは敗戦時に記録を廃棄している。

さらに、戦争となると情報は錯綜する。夜戦だと敵駆逐艦が戦艦に見えたり、魚雷の命中爆発が轟沈に見えたりするし、距離感や速度に関する情報は不正確なのが当たり前だ。

また、当事者の見えている範囲は狭いし、時間が経過すると当事者の話は、何倍にも膨れあがる。

 

中高生の頃、自分でシナリオやゲームを作成しようとして、資料を入手できずあきらめた。再開してからネットで情報を得られるようになったので、シナリオ作成をしてみて驚いた。資料があっても何が事実なのか全然わからないのだ。次から次へと疑問が湧いてきて調べれば調べるほど資料ごとに矛盾があったり肝心なことが抜けていたりする。

 

そんな限られた情報から、ゲームデザイナーはユニットの戦力や移動力の数値を決め、戦闘結果表を作るのだから、凄いと思った。

ウォーゲームが史実とズレがあって当たり前だ。もともと史実とのズレがあるゲームをプレイしても、史実を理解したとはいえない。

 

ただ、ウォーゲームをプレイして自分でユニットを動かすことは、史実への思いや動きの違いが眼前に拡がることで、本や映画を見るようにその戦いの理解に役立つことは確かだ。能動的にユニットを動かすことで、受動的な本や映画より史実の理解度は増すと思う。

 

史実への疑問は自分なりに仮説を作って調べて、デザイナーの意図や判断に対しては謙虚に受け止めて、ウォーゲームを楽しくプレイしていきたい。