もくじはこちら
戦艦「大和」の設計思想から、実際の建造過程について、まとめた本だ。
主に実際に作業をしていた工員に焦点をあてたノンフィクション作品だ。
設計から完成までの期間にわたる厳重な機密保持の状況は、既に何度も語られているが、あらためて読むと凄い。
その機密保持をしながら、コンピュータがない時代に、計算し、設計図を描き、設計図どおりのモノを作り、組み立てた人達の凄さは、想像を絶するものがあり、完成して動く姿を見たときには誇らしかっただろうと思う。
建造が始まってからの、工事の様子は、具体的で、生き生きとした描写だ。
あんパンで自分の担当部署に、優先的に資材を運んでもらう話や、巨大な艦内でもよおしてしまい、トイレまで間に合わないので途中で用を足す話や、球状艦首取り付け時の苦労話などが面白い。
舷側に装甲板を取り付ける時に、角度がついていて難しいという課題を、クレーンで吊る際に傾いた状態になるような治具を考えた見習い工出身の岡田善吉の話も印象的だ。
ブロック工法の採用など、戦後のモノづくりに役立った技法がこの頃、実践されていたのも興味深い。
p.228に、殉職者数が載っていた。
製鋼 15 電機 6 砲熕 16 造機 3 造船 8 大工 3 総務 3
約5年間で合計54人だそうだ。
単純に平均すると年10人。1か月に1人弱。
当時の他の工事と比べて多いのか少ないのかわからないが、私の感覚だと死が身近な現場で、軍艦建造も命がけだ、と思う。
p.248に、「「大和」の主砲は、爆風が強いので、甲板上に人間は出られない。」とある。だが、改装後、甲板にむき出しの対空機銃が多数並んでいる。これらを操作する兵士達は、主砲発射時は退避したのだろうか?退避するにしてもすぐそばに退避所があったのだろうか?本書を読んでそんな疑問を持った。
あとがきに、データがいくつか載せてある。
「大和」の造船実就工数は、船殻工場関係999,000、艤装工場関係696,000で合計1,695,000だそうだ。戦艦「陸奥」のそれが、1,740,000なので、45,000も減少したのだ。「大和」の方が重く大きいので、この減少は凄いと思う。単位の記載がないのと、私に造船知識がないので、よくわからないが、並大抵の努力ではできないことだろう。
鉸鋲数は999,005本だそうだ。
電気溶接実績は、合計463,784m。使用した熔接棒は、7,507,536本
「大和」建造に要した延べ人員 15,000,000以上
呉工廠造船部で直接要した工数 1,695,000人(延べ人員)
本書は、もう古書店でしか入手できないが、我々の先祖が、当時持っていた技術を駆使して、最大・最強・最先端の戦艦「大和」を建造したことは、いつまでも語り継ぎたい日本人の物語だ。