Haruichibanのウォーゲームのおと

80年代にシミュレーションゲームにはまったが長い冬眠に入り、コロナ禍やライフイベントの変化により、再開した出戻りヘッポコウォーゲーマーのノート。

堀場亙氏のTwitterスペース「ウォーゲームにおける誇張と省略」を聴いてみた

堀場工房の、堀場亙氏によるTwitterスペースを録音で聴いた。

 

 

テーマは「ウォーゲームにおける誇張と省略」

ゲストとしてBANZAIマガジンvol.14の付録ゲーム『続・八甲田山 黒溝台会戦』のデザイナーの和栗南華氏だ。

bonsai-games.net

ウォーゲームも創作活動なので、現実の全てのパラメータを採り入れることは不可能だ。誇張と省略が発生する。

その時に、テーマが重要だ。

 

テーマについて、堀場氏は「創作活動全般において「テーマは動詞」だ!」と面白い表現をしていた。

小説や映画でもそうだが、日本では、「この作品のテーマは”友情”だ。」のように名詞で表現されることが多い。

しかし、テーマは「友情」と言っても「友情はすばらしい」と「友情なんて大事ではない」では180度違う。作品の内容や登場人物の行動や性格もも全く異なったものになるだろう。

「すばらしい」は形容詞で「大事だ」は形容動詞だから、厳密に言うと「テーマは動詞」ではなく「テーマは述語」が正しい。

だが、そんな揚げ足取りはどうでもよく、堀場氏の言わんとしていることは、とても重要なポイントだと思う。

英語だと主語-述語で一文だから忘れることはないだろうが、日本語は名詞だけでも一文作れるので、述語を忘れてしまうことがよくある。

創作する者は、テーマを言葉にする際、「主語ー述語」を明確にするべきだろう。

 

「リアルとリアリティは違うものだ。 全てのデータがゲームに落とし込まれていても、リアリティは増さない。リアリティを増すために誇張と省略が必要」という話も、うんうんとうなずきながら聴いた。

 

リアルとリアリティの定義を堀場氏は語っていなかったが、私は、リアル=現実、リアリティ=現実”感”だと思う。

眠っている時に見る夢は現実ではないが、夢を見ている時は、現実感を感じているだろう。小説は現実ではないが、夢中になって読んでいる最中の読者の脳内では現実感を感じているだろう。

ウォーゲームも現実ではないが、実際に移動し、砲撃し、爆発し、硝煙の匂いさえ感じられるような感覚が得られるゲームがリアリティのあるゲームだろう。

 

ウォーゲームの中に、リアルを追求しようとして、あれもこれもいろいろな要素を追加していっても、プレイヤーがリアリティを感じるか、というとそうならないこともある。一方、いろいろな要素を省略しても、プレイヤーがリアリティを感じて夢中になってプレイする場合もある。

スペースの中ではとりあげられていなかったが、私は次のような例がこれにあたるなぁ、と思って聴いた。

最初のAH『戦闘指揮官』(Squad Leader)が、戦車の砲塔ルールさえ省略していたが夢中になってプレイできた。しかし、第4作のAH『G.I.勝利への礎』(G.I. Anvil of Victory)になると、いろいろなルールが追加になり、リアルに近づいたはずだ。しかし、テンポが悪くなって、1ターンに要する時間が長くなり、現実の2分からかけ離れ、リアリティが遠のいた感じがする。

 

リアリティを増すために何を誇張し省略するかのバランスがデザイナーの真骨頂だ、というのは、まさにその通りだと思った。

 

私が全然理解できなかった言葉が、「しゃがむ」という表現だ。カード・ドリブン・ゲームで発生する事象だそうだが、通常の作戦級ウォーゲームでも、起こりうることだそうだ。例えば、バルバロッサ作戦で、ズンズン進撃していたドイツ軍が、ソ連軍の反撃に遭って、一旦、小休止した状態のようなものだそうだ。

いずれカード・ドリブン・ゲームをプレイする機会があったら、わかる時がくるかもしれない。

 

ゲストの和栗氏は、20代後半の若さなのに驚いた。 ボード・ウォーゲームのプレイヤーは多くが50歳代以上だからだ。

20代の若いのにしっかりした考えを持つ人だと思った。

来年発表する新作ゲーム(どうやら北アフリカの戦いらしい)の準備中だそうで、どんな形になるか、楽しみだ。

 

次回は8月第一週の水曜日らしいが、どんなテーマ、ゲストになるか楽しみだ。